取材、写真 :山本貞彦
波乗りジャパン / NSA指定強化選手のA指定であり、千葉県特別強化選手にも選出されている稲葉玲王。先月、オリンピック会場である千葉県一宮町釣ヶ崎海岸で開催された「第2回ジャパンオープンオブサーフィン」では準優勝。
2019年WSLのワールドランキングは30位と大原洋人、村上舜を抑え日本人最高位を獲得。今年はコロナ禍でツアーが途中キャンセルとなるも31位をキープ。その実力は間違いなく日本トップレベルである。
そんな稲葉玲王にここまでの軌跡を振り返り、現場で何があったのか。世界と戦うコンペティションについてどう思っているのか。また、自分が目指すサーフィンやコロナ禍で感じたことなど、今の気持ちを素直に語ってもらった。
ーまずは、コンペについて聞きます。2017年のワールドランキングが136位、2018年 71位、昨年は30位と着実にランキングを伸ばしています。この3年間は何があったのですか?
2016年に遡るんですけど、この年にリージョナルチャンプを取ったことで、翌年のプライムに出られるようになったんです。この年は結果は136位だったんですど。初めてのプライムでしたから、6000とプライムの差をめちゃくちゃ感じましたね。
毎朝、練習しているんですけど、1本も波に乗れないんです
やはり練習から選手の気合の入り方というか、緊張感というか、本当に何か殺気ある感じで。もちろん、みんな 6000も本気だと思うんですけど、プライムの雰囲気って特別な感じでした。
初めてのプライム1戦目の南アフリカのバリトーで、毎朝、練習しているんですけど、1本も波に乗れないんですよ。
プライムは普段のQSに比べて半分以下ぐらいの参加人数だから、本当だったら乗れるはずなんですけど、全然乗れない。乗らせてもらえないみたいな。ビビったわけではないですけど、そこに圧は感じましたね。
自分で立てた目標を予定通りできたことが自信に繋がりました。
ーその見えない圧みたいなものを感じた中で、翌年の2018年は71位まで順位を上げています。イスラエルの初戦で5位、アメリカのバージニアで2番になっています。トータル6210ポイント。前年の倍のポイントを稼ぐようになったわけですけど、これは何か掴んだのでしょうか?
プライムに入った年から、親にも誰にも言っていないことなんですけど、毎年終わった時に来年の目標を立てるんです。来年は何番で終わるとか、ここは優勝するとか、そういう具合的な計画を立てて。2017年はダメだったんですけど、2018年の100番以内という目標は達成した感じで。QS3000でファイナルとか、そういうのを予定通りできたことが自信に繋がりました。
樹くん(田中樹)にコーチをお願いしたことが、一番デカいですね。
それと海外の試合では舐められたら終わり的な部分もあるので、練習とかで喧嘩じゃ無いですけど、外人と言い合いもしましたね。でも、そのうち仲良くなって、フリーサーフィンでも乗れるようになリました。自分はハワイアンに友人が多かったので、そういう部分で助けられてるというのもありましたけど。
あと2016年のQS6000の千葉から樹くん(田中樹)にコーチをお願いしたことが、一番デカいですね。自分は試合運びが本当に下手なので。それまでは良い波が来たら乗るだけ的な、何も考えていなかったんですよ。それが樹くんにタクティクス(戦術)、試合運びを教えてもらって。それで大会を勝ち上がることができるようになりました。
それと今までルールとかも知らなかった部分もあって、自分で調べるようになリました。ルールがわからないと、どうしても試合のミスに繋がると思いますから。自分のスキルとかを気にし過ぎて、ルールを学ぶこが後回しになっていると思うんですよね。大体はわかっているからイイやって、自分もそうでしたけど。そこはやはり大事なのかなって、今は思います。
最初の半年で決めれなかったら、もうコンテストを辞めようと思っていたんです。
ーそして、2019年のリザルトトップ5を見ると、1月のイスラエルから7月の南アフリカでまでで合計12210ポイントで、ランキングもトップ10に入る快進撃。この時はどんな感じでした?
実は2018年が終わって、その当時のスポンサーだけでは、次の年は世界を廻れない状況に陥っていて。2019年の前半で何か変えられなかったら、もう後半は廻れないぐらいまで追い込まれていました。だから、もう自分の中では、この最初の半年で決めれなかったら、もうコンテストを辞めようと思っていたんです。
2018年が終わって、2019年に入る時は本当に悩みましたね。世界を廻るのにお金がキツいから、前半も廻らないで、辞めようかとも考えました。家からは一切もらわないと決めていたし。本当、もう働かなきゃいけないのかなとか。でも、前半だけでも頑張ってみようって。そこが多分、デカかったんだと思います。あとが無いじゃないですけど、ここでやらないと終わりという状況だったので。
ーあとに引けないところまで追い込まれていたんですね。その気持ちの強さが結果を導き出した。スキル、メンタル、タクティクスと噛み合っての快進撃だったんですね。
スキルもですけど、実際に結果が出ていましたから、自信がついていたことは間違いないですね。試合も樹くんと一緒にやることによって、いろんな選択肢が増えて、戦いやすくなりました。おかげで、新しいスポンサーも増えて、後半も廻ることができるようになったのが、救いでした。
田中樹コーチからのコメント:2018年に自分の力でプライムに出られる権利を獲得したことが自信につながったんだと思います。どうやったらスコアに繋がるのか、自分で組み立てられるようになったことが、前半の良い結果になったのではないかと思います。
自分としては調子が悪いから負けたというのでは無かった。
ーその年の後半ですが、大苦戦を強いられます。プライムのアメリカのUSオープン、スペイン、ポルトガルと1コケが続きました。結果しか見ない人はどうした?となりますけど、実際はどんな状況でしたか?
USオープンの負けたヒートもそんな悪い試合じゃなかったんですよ。負け方としては。確かにハンティントンは苦手な波ではありますけど。スペインのヒートも7点、6点出して負けたので、そんなズボって負けたわけじゃないんですよね。
この頃には、相手が誰だからとか、そんなに気にするヒートってあまり無くなっていたので、対等にやっていました。上手いやつもズボる時はズボるから、自分が決めるか決めないかの勝負でしたし。自分としては調子が悪いから負けたとかということでは無かったです。
田中樹コーチのコメント:USオープンは狙いすぎたというのもあります。USオープンの波が得意じゃないと本人も言ってますけど、練習から見ていて調整は悪くなかったと思います。でも、確かに乗った波でのミスがあリました。それが無かったら、ヒートはパスしていたと思います。
そのあとのスペインは玲王がダメなわけで無くて、13点ぐらい出してるのに、負けてしまった。その日は他のヒートでは7点、8点で勝ち上がっているのに、たまたまこのヒートが厳しいヒートとなってしまったということ。波の状況もありますけど、ある程度スコアを出して負けたのは、しょうがない部分もあります。
プライムならではのヒートなんだと思います。でも、コンディションの変わっていく中でも勝っていくのが大切で、そこがまだ本人の欠けている部分でもあるのかなって思います。
ーそして、この年の最後のハワイ。このトリプルクラウンのハレイワ、サンセットのプライム2戦はどうでしたか?
日本人だけじゃなくて、みんなハワイの前までに決めなくてはいけないって、外人の選手もそうだと思うんですよ。それだけハワイはローカルが強いハードなところですから。でも、自分的にはハワイで決めれるという、その今までの経験値ではないですけど、それがあったから自信はあったんですけど。
そう思って、早めにハワイに入ったんですけど、実際、今までパイプが良くなかったりしたら入るけど、わざわざハレイワとサンセットをやりに行くって、無かったんですよね。考えてみたら、あんまり好きな波じゃないなって。
スキル、メンタル含め全てにおいて足りなかったんだと思います。
だから、1ヶ月ぐらいハレイワなどをひたすらやり込んだんですけど、難ししかったですね。ラインナップとか、試合となるとさらに難しくて。自信が無くなったわけではなかったんですけど、やはり、ハワイで決めるという気持ちは弱くなっていたのかもしれません。
ーもう後が無い、これで決めなければというプレッシャーもあったんでしょうか?
それもあったと思います。クォリファイを意識しないようにして、目の前の試合に集中していたんですけど。やはり、硬くなってしまったかもしれません。ハレイワとか、サンセットもそうだったんですけど、もう、負けた内容が悪すぎでした。
いつもだったら、普通にできる波にも乗っていたつもりだったんですけど。全く試合にすらならなかった。まあ、スキル、メンタル含め全てにおいて足りなかったんだと思います。
やはりハワイにいる時、波が上がるとCTの行われるパイプをいつもやっていたんですよね。他のポイントのこととか考えてもいませんでした。本当にCT入りたいんだったら、ハレイワとサンセットにも時間をもっと割くべきだったなと今更ながら反省しています。
田中樹コーチのコメント:僕が思うにハワイは、やはりハワイアンが上手いんですよ。基本的にハワイアンのレベルが高いし、毎日、長い板をやっているんですから。玲王にはそれが圧倒的に足りなかったと思います。ハワイで日本人選手も良い波乗って、良い演技すればスコアはくれるようにはなリましたけど。やはりその確率は少ないですから。
ー最後のQS、サンセットが終わった時の気持ちはどうでした?
終わった時は、正直、悔しかったです。何でCTに入れなかったんだろうと何度も考えました。やはり、最終的に気持ちなのかっていうのはありましたけど。どれだけそこに入りたいかという想いの中で、きちっと準備ができていたのかとか。
やはり、準備が足りなかったですね、目標は立てていたつもりでしたけど。前半に自分が思うより良い結果が出ていたことで、そのまま突っ走っちゃいましたから。CTは強い気持ちだけで入れるところではないってことは、わかっていたつもりだったんですけど。
ーそして、今年の2020年ツアーがスタートします。コロナ禍で3月終わりまでとなりますが、中国のQS5000が5位、モロッコのQS5000は73位、オーストラリアQS5000で17位。そして、チャレンジシリーズ10000で25位と4戦合計でランキングは31番、4500ポイント。このスタートは自分的にはどう思っていますか?
そうですね、スタートは悪くなかったと思います。去年の反省がありましたから、自分的には自信もありました。逆に去年の結果で落ち込むというより、今年はCTに入れるという気持ちで戦っていました。
クォリファイはできなかったですけど、2019年の前半の結果や30番まで上がった順位が一番自信になっていました。どんな試合でも、どんなコンディションでも点数が出せるんだと思えるようになったことが、昨年と大きな違いですね。
試合に入る時に、この波じゃ点数出せないという心配ではなく、1本乗れば点数は出せるんだという気持ちになっていましたから。
田中樹コーチのコメント:試合運びとかは、ある程度、何も言わなくても、最初の動きとかは自分で考えてやれるようになったと思います。なので、心配はしていません。現場で調整とかはやりますけど、あとの基本的な流れは、ほぼ本人が決めています。
試合だから勝ったり、負けたりは当然あります。ただ、玲王のサーフィン自体にジャッジがスコアをくれるようになリました。僕が見るに、数少ない、ちゃんとしたQSサーファーになってきていると思います。
何が上手いって、動きがすごく良くなったこと。試合の前半で、このシチュエーションで何をしなきゃいけないっていうタクティクスな部分が、すごく上手くなっています。自分で試合を考えて、組み立てる能力は格段に上がりましたね。
もちろん、海外で戦うとなると、サーフィンのスキルの課題だったり、一つ一つのターンでの課題はまだあるんですけど。戦術だったり、自信のあるバックサイドに加えて、最近、フロントも点数が出るようになったので、今はそれでいいのかなって思います。
ー世界を相手にして、ここまで戦うことができるようになった。何かきっかけとなる大会、出来事はありますか?
ファイナルに行った2018年のアメリカ、バージニアのQS3000の試合ですかね。自分の中で一番苦手意識がある波での結果だったので。そういう面での自信とか、あれこそ本当に試合運びだけで勝ったみたいな感じでしたから。
その時は樹くんも来れなくて、一人で合に臨んでいたので、そういうところでは一つのきっかけだったのかもしれません。
でも、自信から確信に変わったのは、去年の志田QS6000ですかね。これが自分に取って一番自信になったんです。その後の南アフリカのバリトーの結果も良かったですから。
志田は地元ですし、気合も相当入っていて。ここは絶対に勝てるという自信がありました。今までの志田のQSではそこまでの気持ちは無かったんですけど。去年は髪型もパンチパーマにして、これで負けらんないでしょって(笑)。
結果は3番だったんですけど。自分的には全てのラウンドが良かったし、思い通りに試合運びができたというか、そこまでは完璧だったと思います。
ー志田は地元でもあり、多くの応援団が来ていました。嬉しいと共に負けられないという気持ちが強くなって、プレッシャーは相当あったんじゃないですか?
本当だったら、すごいプレッシャーだったと思うんですけど。その時は自宅に外人がたくさん泊まっていて。毎日、試合が終わった後に、バッティングセンター行こうよとか、ボーリング行こうよとか。もう、マジかよみたいな(笑)。
去年はキアヌ(アシン)、イーマイ(カラニ・デボルト)、ジョシュ(モニーツ)、イアン(ジェンティル)など、ほとんどのハワイアンが泊まっていたんです。7人ぐらいかな。その前の年、セス(モニーツ)が2番になった時も、みんな家にいたんですけど。
試合でのエナジーもすごいけど、普段の生活のエナジーも半端じゃないというか。それで自分も紛らわされちゃった、みたいな感じでしたね。だから、ホームの日本のはずが、外国にいたような感じで。試合直前になって初めて、あ、試合だみたいな。余計なことを考える暇もなかったことが、逆に良かったのかもしれません。
自分のサーフィンのルーツはハワイかもしれないです。
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ーハワイに友人が多いのは、幼少の頃から一人でハワイに修行に行っていたと聞きました。どのようにしてハワイへ行くことになったんですか?
自分の板のスポンサーであるロックダンス、ソエダサーフボード がウェイド・トコロと契約していて。その当時、工場長だった古尾谷さんに11歳の時、繋げてもらって行くことになりました。
それで最初、1ヶ月行くことなったんですけど、最初は大変だったです。英語がわからなかったし。本当に何にもわからかったので、最初はマジで帰りたいって(笑)。
でも、2週間ぐらいで、逆に楽しくなっちゃって、その後1ヶ月ぐらい滞在しました。トコロの家がノースから少し遠くて、イーストサイドなんですけど。でも、毎朝、ノースにサーフィンしに行くので、いろんなポイントに連れて行ってもらいました。
でも、ベルジーが多かったですね。トコロがベルジーが好きだったので。ハワイではいろんな人に紹介してもらったりしました。ミック・ファニングもトコロの家にいた時もありましたし。それが今の自分にとっては友人もそうですけど、本当にでかいですね。もう、トコロには感謝しかないです。
ハワイアンってあの波をやっているから、どこ行っても強いって思うんです。コンペやっていたら外せないじゃないですか、ハワイは。その経験があれば、他のところに行った時も滑れる自信というか、安心感というか、生まれると思うので。
自分のパワーがついたのも、ハワイのおかげではありますね。板も普段より長い板に乗るし、そういうデカい板を沈めるようなサーフィンを13歳ぐらいからしてきましたから。ハワイに行ってから世界を廻るようにもなったし、友達も世界中に増えたし。だから自分のサーフィンのルーツはハワイかもしれないです。
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ー日本人選手にしては身体も大きいし、パワーもある。サーフィンの基礎を作ったのがハワイということなんですね。
これでも小さい時はガリガリだったんですよ。急にデカくなった(笑)。確かにハワイでのサーフィンが今の自分を作っていると思います。でも、まだまだ経験不足ですね。今回で思い知らされました。
コンペ辞めたら、サーフィンも辞めようかなって思ったりすることもあるんです。
ー改めて聞きます。コンペは好きですか?
コンペは好きか、嫌いかと言われれば、あまり好きじゃないです。でも、前よりは今の方がコンペ寄りにはなっています。樹くんに教わって戦い方を覚えて、自分のサーフィンで勝つことの面白さを知ったからというのもあります。
やはり、サーフィンで一番稼ぐとなった時に、コンペが一番手っ取り早いし。やはり、結果が無いとフリーサーファーにもなれないだろうし、何も繋がらないと思うので。それにコンペやるなら、自分はそのトップオブザトップのCTに挑戦しかないと思っていましたから。
ー本当は自分のフリーサーフィンを追求したい?
やはり、良い波で、チューブなんかをメイクしたいというのはあります。でも、選手を辞めたら、そこそこの波でサーフィンするぐらいでいいかなって。そこまで追いかけなくてもとか。コンペ辞めたら、サーフィンも辞めようかなって、思ったりすることもあるんですよね、最近。どうなんだろうって。
選手でやっていて思うのは、日本でのサーフィンって夢が無いかもって。
ーここまで結果が出ている中で、コンペを辞めたら、サーフィン自体も辞めるという想いに駆られたのはどうしてですか?
そうですね。フリーになって、好きに波を追いかけてスコアすることとかもやりたいですけど。でも、それをやるのにもお金がかかるし。サーフィンの写真や映像を残しても、それで返ってくるお金が、今の日本にはほぼ無いじゃないですか。だから、どうしても現実的に考えちゃいますね。
お金があれば、それなりに好きなことも出来るし、良い波をやりに行くこともできるけど。お金が無ければ、何にもできないですから。本当、今、選手でやっていて思うのは、日本でのサーフィンって夢が無いかもって。
カノアぐらいまで行けば夢ありますけど、今の日本のプロサーファーを見た時に、どうなんだろうって、正直、思います。今の日本の現状が変わったら良いなと思っていますけど。今のままでは難しいですね。
ー実績を作ってからでないと、好きなことができない。だから、コンペをやっている。でも、その後でフリーサーフィンで食べていける保証が日本には無いと。では、どうしたら良いと思いますか?
この間、自分たちの仲間で作っている “ Mobb(稲葉玲王、村上舜、村上蓮、脇田泰地、都筑百斗) ” で、子供を集めたんです。千葉に呼んで、一緒にサーフィンしたんですけど、すごいパッションというか、熱いものをもらいました。
自分たちは試合だけじゃなくて、フリーもそうだし、それぞれが求めるスタイルがあって、いろんなことをやってきたんですけど。その子たちが、少なからず、自分たちを目標にしてくれているというのが伝わってきて。実際、そんな経験は無かったので、とても新鮮でした。
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子供達の目標になるようなものを作りたいと思っています。
今、舜や自分たちが好きなことをやるために、コンペで実績作って戦っていますけど、もっと自由でいいんだよって。子供たちにはいろんな可能性があるし、最初から決めつけないで、自由にやること教えたいなって。
今まで舜も慧斗(松岡)くんに連れて行ってもらって。自分もずーっと、達哉(深川)くんにいろんなところに連れて行ってもらったりしてましたから。そういうのを今度、自分たちができるっていうのは嬉しいし、今まで教えてもらったことを教えてあげたいというのがあります。
実績が無いとダメなのはわかっていますけど。でも、日本にはコンペを辞めた後のことがまだ何も無くて。だから、自分も今、そこを考えているんですけど。自分たちや子供たちの可能性に賭けるじゃないですけど。いろんなことをやっていきたいと思っています。夢じゃないですけど、目標になるようなものを作りたいと思っています。
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ー“ Mobb ” はどんな存在?
仲間ですね。舜とは、ずーっと一緒にいるので。ライバルだし、仲間だし。泰地とかもパイプすごいし、蓮、百斗もチャージするし。一緒にいて本当に面白いし、みんなから刺激もらいますね。コンペ中心の自分にとっては、“ Mobb ” はリフレッシュできる場所です。
ーさて、話題を変えて。コロナ禍でツアーが全てキャンセルされてしまいました。スタートが良かっただけに、どんな気持ちでした?
すぐに今年のツアーが全部無くなるか、しばらくわからなかったじゃないですか。その時は、どうしたらいいんだろうという感じだったんですけど。でも、その後にツアーのキャンセルが発表されて。
今年はマジでCTに行けると思っていましたから、試合ができなかったのは痛かったですね。それに来年、WSLのシステムも変わるし、そう考えると試合ができなかったのは辛いなと思いました。
コロナでいろいろ考え方も変わり、改めて自分を見つめ直すことができました。
ー実際、コロナで大会が無くなってから、何をしていたんですか?
緊急事態宣言が出ていた時は、ほとんど家にいました。外にも出られなかったから、Youtubeとかを見ていましたね。ちょっと外に出れるようになってからは、釣りとかに出かけました。メディアでサーフィンも叩かれていたので、その時はサーフィンは全くしてなかったです。
その時に思ったのは、今までサーフィン 漬けだったなって。QS廻っていたら常に海外で移動移動で。日本帰っても3日間とか、4日間しか無くて。日本にいない時間が長いから、いる間にやることやんないといけないし。
考えてみたら、小学校の頃から休みってほとんど無かったなって。だから、あまりサーフィンのことを考えることはしなくて、釣りをしていましたね。
6月から3ヶ月は、漁師の手伝いをやったりしていました。友達に漁師がたくさんいるので、それの手伝いです。毎日、夜中、2時半から伊勢海老漁に行って。網にかかったゴミとか取るだけなんですけど、今までやったことがないことですから。それがけっこう楽しくて。
釣りも今は趣味になって。今までそんな時間も余裕も無かったし。でも、逆にそういうことができるようになって、何だろうな、だいぶ変わリましたね。いろいろ、考え方も変わりました。
本当に今までサーフィン以外は何もして来なかったんだなって気づきました。
ー考え方が変わった。そこで改めて何を考えたんですか?
やはり、このままコロナが終息しなくて、試合が無くなってしまった時にどうしようかとか、すごく考えました。もし、来年も試合が無かったら、スポンサーもつかないだろうし。そうなったら就職しなきゃいけないかなとか、真剣に考えました。
人生って言うと、大袈裟に聞こえるかもしれませんけど。本当に今までサーフィン以外は何もして来なかったんだなって気づきました。自分は知らないことが多過ぎて。だから、新しいことを学びたいというか、いろいろやってみたいと思うようになりました。
コロナで大変な世の中ですけど、自分は改めて自分を見つめ直すことができました。人生はサーフィンだけじゃないって、思えるようになりました。
ーある意味、覚悟が決まったということでしょうか?
そうですね。サーフィンだけに縛られるのではなくて、人生を楽しむではないですけれど、自分で好きなことやっているわけですから。
本当は今年にCTに入っていうのが、自分の目標でしたけど。来年はWSLのシステムも新しくなって、それもコロナでどうなるかわからないですけど。大会があるならQS廻って、やるならCTには絶対に入りたいと思っています。
今、23ですから、25歳ぐらいまでガッツリやります。もし、それで無理だったら、キッパリ辞めようとも思っています。やはり、それまでにできなかったら厳しいと思うし。まだ25歳だったらチャンスはあるだろうけど、ズルズルやるよりも期限を決めてやった方が、結果にも繋がると思いますから。
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稲葉玲王、23歳
日本のコンペティターの中でトップクラスの逸材。
日本人離れしたパワフルでスピードあるサーフィンは誰をも魅了する。
幼い時から単身ハワイに渡航し、スキルを磨き人脈を広げて来た。
田中樹コーチが就いてからは、この4年でWSLランキングも確実にジャンプアップ。
昨年はクォリファイまであと一歩と迫り、30位でシーズンを終了。
結果と数字からだけではわからない、玲王の進化がこのインタビューで確認ができた。
ハワイを第2のホームとする玲王ですら、足りなかった経験不足。
そして、クォリファイした後の明確なビジョンの欠如。
全ての結果を受け入れ、新たな想いでスタートした今シーズン。
しかし、コロナ禍で世界は一変。
サーフィンすらできない状況で知った自分の今。
改めて人生を振り返り、自分は何がしたいのか、何が出来るのか。
サーフィンだけが人生ではない。
そこから改めてサーフィンと向き合う。
覚悟を決めた玲王の新たな挑戦が始まる。
Go!Reo!
You can do it !
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稲葉玲王(イナバ レオ)
生年月日 :1997年 3月 24日
出身地 :千葉県
身長 :172cm
体重 :70kg
スタンス :グーフィー
ホームポイント :一宮
スポンサー :Gotcha (ウェア/ウェットスーツ),
Rockdance / Tokoro surfboards (サーフボード)
Creatures of leisure (サーフアクセサリー)
Futures (フィン)
Sexwax (ワックス)
Vertra (日焼け止め)
FEA (歯科材料)
串屋横丁 (飲食店)
エム・アイ・総合美装 (清掃会社)
静掃舎 (清掃会社)
建築集団 海賊 (建築会社)
エムズファクトリー (クラフトバンド)
好きな波 :チューブ
好きなマニューバー:エアー
影響を受けた人 :ウェイドトコロ
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リンク先
Youtube / Mobb channel
https://www.youtube.com/channel/UCQeMDhOLV1qXMt9a-_mTOGA
Instagram / mobb005
https://www.instagram.com/mobb005/