松田 詩野 独占インタビュー「This Is My New Beginning〜苦悩を乗り越えた新たな挑戦の始まり」

文、写真:山本貞彦

 

2019年の宮崎で行われた ISA世界選手権大会。松田詩野はここで15位となり、アジア最高位を獲得、東京オリンピック出場へ条件付きの内定を得た。17歳の高校生は一躍、ヒロインとなり、その名前は全国に知れ渡ることとなる。

 

そして、1年延期された2021年の東京オリンピック。正式出場をかけ、6月にエルサルバドルで開催されたISA世界選手権に臨むも、41位という結果。選考枠の上位2名から外れ、ここで惜しくも出場を逃した。

 

 

松田がオンラインや個別取材を除いて、直接、大勢の日本のメディアの前に立つのは、2020年11月に千葉で行われた「ジャパンオープンオブサーフィン」の大会以来となる。久々の対面取材ということもあり、年末ながらテレビ、新聞など多くのメディアが「BILLABONG STORE 湘南」に集まった。

 

 

 

その会見では、今の心境やパリオリンピックへ向けてのトレーニングなども語られたが、メディアの興味はやはり日本代表から外れたことについて、当時どんな思いだったのかといった質問に集中した。

 

それは松田に内定が決まった2019年の9月から、正式な日本代表が決まる今年の6月まで、1年と9ヶ月という長い間、オリンピックに決まった新競技のサーフィンの日本代表候補として、この競技の素晴らしさをアピールし続けてきたからにほかならない。

 

久々に見るその顔は、緊張はしていたものの、時折、笑顔も見せた。何か決意を秘めた自信すら感じさせる堂々とした佇まい。それはこれからの松田詩野の新たなスタートを予感させる記者会見となった。

 

 

※このインタビューは記者会見の後、単独で話を聞いた。

 

 

 

 

サーフィンがオリンピック種目に選ばれた時、自分が出られたらいいなと思った。

 

 

オリンピックに新競技としてサーフィンが採用が決定したのが、2016年。この時、松田詩野は14歳。この年は国内3団体(日本サーフィン連盟/NSA、日本プロサーフィン連盟/JPSA、WSL JAPAN)にフル参戦。NSAでは級別、全日本とも優勝。WSLでは日向で優勝、千葉で準優勝。

 

 

2016年に宮崎の日向で行われたWSL-QSイベントで優勝
2016 WSL QS1000 「Trump Hyuga Pro」優勝

 

 

さらに田原で行われたJPSAとWSLの合同大会で3位に入賞し、JPSA公認プロ資格も獲得する。さらにWSL ASIAではこの年のランキング1位となり、華々しいデビューを飾った。この時はどんな将来を夢見ていたのだろうか。その時の心境をこう語る。

 

 

田原でJPSAプロ公認を獲得

 

 

ジュニアの時が一番試合に出ていたかもしれないですね。その時の目標は、プロを目指していたとかではなくて、ただ漠然でしたけど、海外で勝てる選手になりたいっていうのが最初にありました。

 

プロになったのも、この田原のWSL、JPSAのダブルサンクションの大会でしたけど、プロ資格を取りにいくというよりも、その時は試合をこなすっていう感じでした。ただ、その時は何のプレッシャーとかも無くて。試合自体を楽しんでたからこそ出た結果だったと思います。

 

この年にオリンピックにサーフィンが決まったことは、素直に嬉しかったです。NSAの記者会見にも選手の一人として同席させていただいたんですけど、その時は自分がオリンピックに出て、どういうふうに戦っていこうかとかは、全然考えていませんでした。

 

でも、4年後ということで自分の年齢(18歳)とかを考えると、もし、自分が出れたらいいなっていう思いは、少しはあったかもしれません。

 

 

オーストラリアで行われたWJCワールドジュニア・チャンピオンシップに日本代表で出場 。WSL「Jeep World Junior Championship 2017」

 

 

翌年の2017年からは、プロ活動を本格化。国内のJPSA、海外のWSLにも積極的に参戦するようになる。しかし、自分より年上の選手を相手にするようになったことで、経験の少ない松田は優勝から遠ざかる。唯一、国内のWSLジュニアで優勝し、ジュニアの世界大会(WJC)の日本代表として出場するも、世界の現実も知ることとなる。

 

 

 

調子が良かったら、もちろん戦えるとその時は思っていましたけど。今考えると世界は、調子が良かったら勝てるというステージではなかったですね。

 

やはり、今の自分は練習やトレーニングをやっているからわかりますけど、この時はそれが全然、足りていなかったなって思います。このジュニアの時は、そんな自覚も無かったですし、ただ、試合に出ていたという感じで。そこはすごく大きな違いだと思います。

 

 

松田詩野 2018年WSLジュニア

 

 

そして、2018年はWSLの千葉で、久々に優勝と再び表彰台に戻ることができた。ジュニアでも国内で2連勝を決め、この年もWSLのジュニア世界大会(WJC)の日本代表に選ばれる。さらに海外では、ISAのジュニア世界大会でU-16で準優勝。WSLの南アフリカでは3位という結果を出し、徐々に自分のサーフィンを確立し始める。

 

 

台湾で行われたWSL「Taiwan Open World Junior Championships 2018」

 

 

2019年はオリンピックを翌年に控え、選考も本格化。9月に宮崎で開催されるISA世界選手権大会に出場する選手を決める大会「ジャパンオープンオブサーフィン」が、国内3団体(NSA、JPSA、WSL)協力のもと開催され、初代チャンピオンに輝き、代表入りを決める。

 

 

ジャパンオープンオブサーフィンの初代チャンピオンになる

 

 

そして、ISAの本番の世界大会でも日本人選手で最高位、アジアでも最高位となり、条件付きながらオリンピック内定を獲得する。しかし、世界を巻き込むコロナ禍。オリンピックも1年延期となり、代表を決めるISAの世界大会も翌年に持ち越しとなった。その当時のことは、こう振り返る。

 

 

松田詩野 東台湾2019「WSL Junior Championships 2019」

 

 

条件付きとはいえ、内定を頂いたことについては、正直、嬉しかったです。

 

 

宮崎で行われたISA世界選手権でアジアナンバー1となり東京五輪の条件付き内定を得た。

 

 

内定については、本当にそこに照準をしっかり合わせられていたからこそ、ISAでも取れた結果だと思っています。自分が勝つという気持ちで臨んでいましたから。条件付きとはいえ、内定を頂いたことについては、正直、嬉しかったです。

 

コロナ禍では海に入って練習とかできない期間もあったので、もっと練習したいのにっていう葛藤はあったんですけど。それでも、家でできるトレーニングとかをトレーナーが組んでくれて。それを繰り返す毎日でした。

 

大会がこんなに長い間無いというのは、本当に初めてだったのでモチベーションを保たないとって思っていました。どうしたらいいかと、当時はずっとその事を考えていました。

 

 

 

 

そこで、選んだのがハワイへの自主トレーニング合宿。この空いた時間に苦手を克服することを考えた。自分は大きい波だと恐怖心から、技の手前でスピードを自分で緩めてしまう。コーチングでも指摘されていたことだ。大き波が崩れていく所に技を仕掛けていくメンタルを作って、恐怖心を克服したいというのが目的だった。

 

 

ヒートで守るよりはキメにいきたい。

 

 

ハワイではシェーン・ドリアンが、ちょうどオアフに滞在していて、アドバイスをくれました。その時も指摘されたのは、やはりスピードでしたけど。「コケても、コケてもチャレンジしなさい。コケなければ成長はないよ」と言ってくれて。

 

オリンピックだけじゃなくて、CTでサーフィンに必要なのは、パワーもなんですけどスピード。やはり、試合を見ていても、実際にCT選手とQS選手は違うなって感じていたのもあったので。

 

それに、試合を回っていた時の自分からすると、ヒートで守るよりはキメにいきたいというのがずっとありましたから。そのアドバイスは、すごく勇気づけられたし、自分の考えは間違っていなかったんだって思えました。

 

スピードが出ている時の自分のサーフィンは、ビデオで見てもすごく良かったし。技もキメられている確率が高かったので。そこにスピードがプラスされたら、爆発力も生まれるし。スピードがつけば、技のバリエーションも増えていくので、自分にとっては武器になると思ったんです。

 

 

松田は自分と世界との差はスピードにあると考えた。上手くなる、試合に勝つ為にはもっと計画的に練習する必要がある。練習でチャレンジすることで、必ずリスクとしてある怪我についても対処しなくてはならない。そこで、母親やマネージャー、さらにトレーナーやメンタルコーチに相談するようにした。

 

 

時間をどう過ごすか。スケジュールとか悩みましたね。やはり、オリンピック前はどこに練習行こうとか。海外で練習するか、それとも日本だったらトレーニングも並行してできるから、この期間は日本にとか。そういうのは一人で考えると無理でしたから。

 

実は怪我もハワイ合宿で2回やりました。この前のハワイのチャレンジャーシリーズの時もです。もともと肩の関節が緩いみたいで、肩の亜脱臼なんですけど。去年、一度、この怪我をやってから癖になっているようで、波でパンっと叩かれるとイキやすいんです。外れはしないので脱臼まではいってないから、まだ良いのですけど。

 

なので、有酸素運動や体幹トレーニングに加えて、その肩まわりの筋肉を鍛えたりするメニューをトレーニングには取り入れています。

 

 

松田詩野 エルサルバドル Photo: ISA /Pablo_Jimenez

 

 

コロナ禍でオリンピックが1年延期され、2021年7月に行われることが決まり、それに併せてISAの世界選手権も5月末から開催が決定。エルサルバドルで行われたこの大会でオリンピックへの出場が決まる。

 

日本は2枠。前田マヒナ、都筑有夢路、松田詩野の3人のうち、上位に行った2人が日本代表選手となる。結果はリパチャージに回った松田だったが、このR-4で敗退。結果、女子は上位7名に前田マヒナ、都筑有夢路が入り、松田のオリンピックはここで終わった。改めて、そこを振り返って松田はこう語る。

 

 

エルサルバドルの閉会式を詩野はどんな気持ちで迎えていたのだろうか。 ISA/Pablo_Franco

 

 

期待に応えなくちゃっていう気持ちが膨らんでいったことを覚えています。

 

 

内定を取った時は、そこを目標にしていた部分もあったので、正直、ほっとした気持ちはありました。そこからコロナ禍でオリンピックが1年延びて。その間、時間も増えた分、やるべきことをやる時間はできたし、それをやっていたんですけど。

 

そのISAまでの期間は、練習とかトレーニングに集中できていたからこそ、あまり、自分のことを考える時間はありませんでした。練習の合間に入るメディアの取材とかで、ふと我に帰った時、何か期待に応えなくちゃって。まだ漠然でしたけど、そういう気持ちが膨らんでいったことを覚えています。

 

試合ではみんなの為にって、期待に応えるということだけを考えて、試合に臨んでいたのかもしれません。今考えると、そこに自分の気持ちがついていってなかったのかなって。

 

Photo: ISA /Ben_Reed

 

 

本当に試合に勝ちたいっていう、自分の思いを大事にしておくべきだった。

 

 

実際に試合が終わって、すごく悔しくて、悔しくて。本当に、素直に試合が好きで、勝ちたいっていう気持ちが、自分の中に強くあったんだなって、その時、実感したんです。

 

応援してくれている人に、良いサーフィン見せたいとか。サーフィンを通じて、勇気や夢を与えたいって、メディアでそう発言したように、もちろんそれは嘘ではないですけど。何かそれを自分の一番最初に持ってきちゃってたのかなって。

 

 

まわりの人の為にというエネルギーだけで頑張っていた

 

 

無理して、そういうふうに言わなくても良かったのかなって。もちろん本当にそれは思っていることですけど。でも、その前に本当に試合に勝ちたいっていう、自分の思いを大事にしておくべきだったのかなって。

 

まわりの人の為にというエネルギーだけで、頑張っていたかもしれないですね。自分が良い結果を残したいという強いエネルギーを持ってやっていった方が、本当は気も楽になるし、楽しめたし、結果も出たのかなって。

 

 

松田詩野 ポルトガル WSL / Poullenot

 

 

この気づきは、オリンピック期間中に友人と練習で行ったニカラグアではなく、WSLの後半戦が始まったチャレンジャーシリーズだと言う。USオープンで17位、ポルトガルで5位、フランス9位、ハワイ33位という結果でシーズンを終えた松田は、2021年WSLのランキングは日本人最高位の17位となった。

 

特に記憶に新しいのが、ポルトガルでのアリッサ・スペンサー(USA)とのベストバウトだ。残り時間6分を切ってからの逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。波も早く、サイズもダブルを超えるヘビーコンディション。ここで松田は自分の課題だったスピード、さらにパワーも手に入れ、このヒートを勝ち上がった。これが自信になった。この結果、改めて思うことがあると言う。

 

 

 

 

自分の素直な気持ちを大切にすることと応援してくれる人への感謝。

 

 

 

サーフィンだけに集中してやってきましたけど、それでも届かないってなった時、今の倍をやらなきゃいけないんだなってなると。うん、いけるのかな、自分にできるのかなって不安になる。

 

それでも、もう一度、苦しくても頑張り続けるんだという気持ちで、ここまでやって来れたことは、何なのか。そこでわかったことは、まずは自分の気持ちを大切にすること。試合で勝ちたいという気持ちを押し出していくことなんだっていうことでした。

 

そして、もう一度、前を向いて進んでいけたのは、やはり、まわりのサポートしてくれている人の応援と家族のサポートだったと気づいたんです。1人だったら、こんなにすぐ次に向かえなかったと思います。次があるんだっということで、すごく救われましたから。

 

本当にこの1年通して気づけたことは、自分の素直な気持ちを大切にすること。そして、まわりの応援してくれる人への感謝です。

 

 

松田はこのWSLのチャレンジャーシリーズで、自分のサーフィへの取り組み方を学び、そして、再び自信を取り戻すことができた。さらに試合ではCTへの手応えも感じた。同じ世代の子がCT入りを決めたことも、自分への鼓舞となった言う。そのためには今、何が必要か。

 

 

松田詩野  WSL / Poullenot

 

 

自分の目指すCTで戦えるって自信を常に持ってやっていくってことが大切

 

 

QSやチャレンジャーシリーズを回っていく上で、そこで戦うことを目標にやっていくのではなくて、自分の目指すCTで戦えるって自信を常に持って、チャレンジャーシリーズをやっていくってことが大切だと思っています。

 

その、やはりCTのステージ。大会が行われる会場は、行ったことがないポイントもまだあるし、そのサイズも大きいですから。まだまだ練習も経験も必要なんだって。

 

サーフィンは上手さだけでは、勝てない世界。だから、本当にもっと体力が自分には必要だと思っていて。それがあれば、その試合中でも冷静な判断ができると思うし、余裕も出てくると思うんです。

 

 

ここまで追い込まれるほどの苦しい状況を味わったのは、初めてでした。

 

 

それにプラス、筋力トレーニングをして、日々の練習でパワーがつけば、自分で自信持たなきゃという暗示をかけなくても、自然とその自信は湧いてくると思いますから。

 

今までやってきて、ここまで追い込まれるほどの苦しい状況を味わったのは、初めてでした。でも、その味わったことが、今、自分の自信にもなっています。

 

 

さらに続ける。この素晴らしいサーフィンを世間に広めたいと、小さい時から考えていた。 このオリンピックでサーフィンが取り上げられ、自分がそれに関わることができたことは、一つの夢でもあった。

 

そして、女子がこれから活躍する場所を、後輩だったり、そのサーフィンを始めようとする子に向けて、自分が女子プロとしての活動をもっとアピールしていきたいとも考えている。

 

 

まずはサーフィンっていうスポーツ自体の知名度を上げること。

 

 

いろいろできることっていうのは、あると思うんです。ビデオを作ったり、いろんなブランドと関わりを持つとか。女子にもサーフィンの中で、将来的にそのような選択肢が増えたらいいなと思っていて。

 

でも、ビデオでいろんな人が見てくれるかって言ったら、まだ、それは無理だと思うんですよね。やはり、まずはサーフィンっていうスポーツ自体の知名度を上げること。自分も含め女子プロみんなが活躍することが先ですね。

 

そして、みんながハッピーで楽しみにしているっていう環境を作れたら。そこからきっと自然と出来上がっていくものなのかなって。そうすれば、もっと女子のプロの活動もしやすくなると思いますから。

 

 

最後に聞いた。松田詩野にとってサーフィンとは?

 

 

サーフィンが無かったら、こんなにいろんな感情を経験できなかったです。これだけまわりの人への感謝とかも実感できていなかったと思います。

 

私にとってサーフィンは、その苦しい時とか、辛い時もあるけれど、それ以上にサーフィンが自分に与えてくれるものが、その他に何も変えられないくらい大きいものです。自分の人生において、サーフィンが自分を作り上げてくれたと思っています。

 

 

松田詩野、19歳。

 

オリンピックにコロナ禍。
サーフィンを取り巻く環境が大きく変わったこの2年。この出来事は彼女のサーフィン人生においてどれだけ影響を与えたのか。

 

厳しい戦いとなる日本代表争い。
彼女は条件付き内定という立場で、世間からも期待を一身に浴び、マスコミから取材を受け、サーフィンというスポーツの広告塔となった。

 

選手同士の戦いに徹すれば良いはずなのに、彼女の背負ったものは抱えきれないほどの期待。彼女が集中して練習すればするほど、そこに応えたいという気持ちも大きくなっていった。

 

期待に応えたい。
人を思う優しい性格から、彼女はまわりを優先した。
彼女の背負ったものはどれくらい大きなものだったのだろう。
多くの人の夢を抱えたことで、身動きとれなくなったのではないだろうか。

 

心と体のバランスを自分自身でコントロールできない状態が続く。
彼女はひたすらサーフィンに打ち込んだ。そこで得た答えは、自分の素直な気持ち。まずは自分を大切にしようと。

 

そして、やはり大事に思えたのは、自分を取り巻くまわりの人たち。みんなのサポート、応援があるから、次の一歩に進めたこと。
その人たちがいなければ、次に進めなかったことに気づいた。

 

自分1人では何もできない。
ただただ、今は感謝。
そして、今はこの全て経験が、これからの目標への原動力に変わった。詩野は強くなる。

Go!Shino!Go!Next!

 

松田詩野(まつだ しの)プロフィール

2002年8月13日(19歳)
出身:神奈川県茅ヶ崎市
身長:158cm
スタンス:グーフィー
ホームポイント:茅ヶ崎 / 宮城県亘理町

スポンサー
BILLABONG(https://www.billabongstore.jp/※ボードライダーズジャパン株式会社
FCS(https://www.surffcs.com.au/※サーフハードウェアーインターナショナルジャパン株式会社
Y.U SURFBOARDS ※有限会社ベイシックプラスティック
株式会社エアロテック(http://www.aerotech.co.jp/
H.L.N.A(https://hlna.jp/※株式会社H.L.N.A
SeaBlink(https://seablink.com/ ※株式会社エグザイルス
森永製菓inトレーニングラボ(https://www.morinaga.co.jp/in/support/※森永製菓株式会社
whitebuffalo(http://www.whitebuffalo.jp/※株式会社ケイズプロジェクト

参加活動
WATARI TRIPLE[C] PROJECT(https://triplecproject.jp/

広告出演
LOEWE(https://www.loewe.com/jap/ja/home※LVMHファッション・グループ・ジャパン株式会社
ハンモックキャンペーン2021
https://www.loewe.com/jap/ja/exploring-happiness/shino-matsuda.html

 

好きな波:ローワーズ カリフォルニア
好きなマニューバー:カービング

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