Mermaid & Guys Presents
須田那月インタビュー
「Mermaid & Guys」第3回は、2017年に練習中に肩を怪我して1年間コンテスト出場を断念し治療に専念、復帰後2019年JPSAグランドチャンピオンを獲得した須田那月プロにインタビュー。怪我を乗り越えて一つの目標を達成したこと、故郷の種子島のこと、これからの目標についてなどとともに、おすすめのMermaid & Guysについてお聞きしました!
サッカー選手が夢だったのですが、カリッサ・ムーアを見てプロサーファーを目指しました
ーまずはじめにサーフィンを始めたきっかけを教えて下さい。
子供の頃はサッカーとピアノをやっていたんです。弟が2歳ぐらいからサーフィンを始めたのをきっかけに海に行くようになって。サッカー選手が夢だったのですが、ある時カリッサ・ムーアのドキュメンタリーを観てプロサーファーという夢があるんだって知って。それをきっかけにプロサーファーを目指したいって思うようになりました。
小学校でサッカーをやめて、中学校からプロを目指して本格的に始めました。父の仕事の関係で1歳になるぐらいに種子島に移住したのですけど、海も近くて、気軽にサーフィンができて。父がサーフコーチングの勉強でオーストラリアに行ったり、地元のサーフィン部の部外者コーチをしていたので、環境的にすごくよかったと思います。
ープロになったのはいつでしたか?
プロになったのは高校1年生の春です。サーフィンを始めたのが遅かった私に向けて、父がどうしたら最短でサーフィンが効率よく上手くなるかを第一優先に教えてくれました。楽しくサーフィンというより部活の感覚に近いですね。
上手くなっていくのを感じることは、もちろん楽しかったですけど。始めた時からストイックにやったので、短い期間でプロになれたのかなと思います。種子島の波で練習したということも大きいですね。いつもある程度のパワーとサイズのある波で学校に行く前、帰宅後もできるし、練習量はすごくこなせていたと思います。
海外に挑戦して、とことんやりたいという思いは今も変わりません。
ープロになってからの目標は?
きっかけがカリッサ・ムーアだったので、どうしてもCTに行きたくて。日本でプロ資格を取るという執着はなくて、その目標に向かって資金を集めるためやスポンサー獲得のために試合を積み重ねていく中で、プロになりました。
だから冬は父とオーストラリアに行ってQSとかプロジュニアに出場したり。海外で活躍したいという思いが強くて。でも自分は怪我が多くて。ブランクもありましたが、グランドチャンピオンを獲った後、コロナ禍で試合も少なくなってしまいましたけど、海外に挑戦して、とことんやりたいという思いは今も変わりません。
怪我が治りかけた時に別の病気を併発してしまった。
ーこれまでに印象に残っていることやターニングポイントはありますか?
全体的なターニングポイントとしては、肩を怪我して丸一年試合に出なかった2017年が惜しかった年でもあるし、グランドチャンピオンを獲得した2019年に繋がった年だと思います。
ー怪我がなかったらと思ったことは?
怪我した時は怪我がなかったらってめっちゃ思っていました。今はそう思わないですけど。今年26歳になるのですけど、怪我したのは20代前半で、体も調子が良くなってきて、ここからって時にオーストラリアで肩を怪我してしまって。その年QSを回る予定が、回るどころかサーフィンもできなくなって。
めちゃくちゃ悔やんだり、周りのみんなが試合に出て活躍しているのに自分はできない、スポンサーさんが観て下さっているのに何もできないという葛藤がありました。
怪我が治りかけた時に別の病気を併発してしまって。強い薬の治療をしていたので紫外線に当たるのがだめで2週間半ぐらい病院内で過ごしました。それが怪我がよくなってようやくサーフィン復帰できたという時で、愕然としました。
海外回りたい、もう一度試合やりたい、サーフィンやりたい
ーどう乗り越えたのですか?
スポンサーさん、家族、友人の誰もが引退という言葉を出さなかったのが1番強かったと思うんです。もちろん自分の気持ちで海外回りたい、もう一度試合やりたい、サーフィンやりたいというのが強かったというのもあったんですけど、それだけでは保たない時期もあって。
周りの人たちが、「那月ちゃんなら絶対復帰できる」「この1年がいい方向にいく年になるから」とかポジティブな言葉をかけてくれて。一人でも「考えた方がいいんじゃない?」とかネガティブなことを言う人がいたらちょっと途中で折れちゃっていたと思うんですけど、そういう人が一人もいなかったから根拠のない自信が芽生えてきて、”大丈夫”って感じで持ってこれました。
ーたしか、療養中に開催された種子島の試合を観に来たよね。
種子島の試合に合わせて退院させてもらいました。怪我の間は病院とトレーニングのためにずっと東京で一人暮らしをしていて。高層ビルのど真ん中に住んで、今考えると種子島で育った私にとってはそっちのストレスが大きかったかもしれません。全然寝れなくて。あの時は種子島に帰れてよかったです。
ーどんなトレーニングをしていたのですか?
肩はギブスをしていたので、まだ痛みも熱もあるし走ったらだめという感じでしたけど、胸から下は健康だったので少しでもトレーニングを始めたくていろいろ探しました。そしたら代官山のトレーナーさんに出会えて、その方が理学療法やメディカル系に強く、コンディショニングもできるのでお願いしました。
痛み出ている間も下半身を鍛えられるように。午前中病院に行って午後トレーニングみたいな生活を半年ぐらいしました。お金はすごくかかったけど、1回しかない人生だし、できることはやろうって家族で決めて。
ーそして復帰戦は?
復帰戦は2018年4月のJPSAのバリです。セミファイナルで負けてしまったのですけど、自分の想像以上に体が動いたことが印象に残っています。絶対優勝できるって自分では思っていたのですけど、そう上手くはいかず。でも楽しかったです。ちょうどファイナルデーが手術から丸一年の日でした。
イメージトレーニングってみんなしてると思うんですけど、そのイメージどおりに自分が思った以上に体が動いて。地道なトレーニング、リハビリ、怪我している間に自分がどれだけサーフィンに戻りたかったのかがライディングに出たなって感じました。
辛かったこともすべて忘れましたね。その年はグランドチャンピオンは獲得できなかったのですけど、試合に戻って来れて、”これ、これ!”って感じでした。
ーその後、復帰の次の年の2019年にグランドチャンピオンを獲得しましたね。あの時のことは?
グランドチャンピオンを獲ろうと決めていて。どうしてもQSを回りたくて。怪我が多かったから、気持ちはあっても体的に引退しないといけないタイミングってふと来るんだなっていうことを感じていたので、早く海外に挑戦したくて。
実力が伴わないといけないのですけど。怪我してしまって契約的にスポンサーがなくなってしまったので、それを補わないと海外に行けないなって。2年でグランドチャンピオンを獲れなかったら、そこまでのレベルだし、復帰後2年以内にグランドチャンピオンを獲ることを目標にしていました。
その目標が2019年に達成できました。その年は勝ちへの執着がすごかったですね。最終戦の表彰式でも言ったのですが、2019年にグランドチャンピオンを獲るための準備が2017年の怪我の手術が終わってからのトレーニングから始まっていて、すべてが糸で繋がったみたいな感じで。
2017年のあのタイミングでいいトレーナーさんにも出会えて地道にトレーニングしてきて、妥当な時に出た結果なんだと。試合は2位でしたけど、あの日はグランドチャンピオンが獲れて全然満足という感じでした。いつも勝つパターンって、ラウンド1から1位上がりみたいなずっと調子がいい時だったんです。
でもあの年はずっと調子がいいわけではなくて、点数がロースコアでも勝てていたり。平均的に良かったのですけど、いつもの勝つパターンではなかったからこそすごく自信になりました。
ーグランドチャンピオンを獲った次の年から世の中がコロナ禍になりましたが、どう過ごして来ましたか?
正直めっちゃ厳しくて。グランドチャンピオン獲ったからこそ、次の年に期待していて、やっと海外に行く舞台が整ったという時で。自分のレベルはもっと上げないといけなかったけど、やっと活動資金は確保した状況でした。
試合がなくなって、大手の契約予定だったスポンサーの話がなくなり、グランドチャンピオン前よりも厳しい状況になって。試合がなくなって賞金もインセンティブもないというような。
企業に話をしに行きましたが、厳しい状況は私だけではなくて。これでは生活もできなくなるなって感じになった時にパーソナルオンラインサーフィンスクールを立ち上げました。
それから緊急事態宣言が解除されてからは島内のサーフィンスクールも受け付けて。何とかスポンサー一つ分ぐらいはアルバイトもして確保しました。今だに厳しい状況は続いていますけど、コロナ禍で良いこともあって。アスリートキャリア・アカデミーというものに参加させてもらえたんです。
今はプロサーファーですが、その次の勉強、社会的な勉強をさせてもらえる機会で。オンラインで講義を3ヶ月半受けました。選抜に受かって、普段会うことのない一流アスリートの方、五輪内定選手とかテレビでよく観るような人たちと毎週1回授業を受けるんです。
いろんなことを知れたし、注目しなきゃいけないことが学べました。それから英語の勉強も週1回オンラインで受けて、1年以上続いています。試合がなかったからこそ、学ぶいい機会になりました。今年は試合があるので、ようやくって感じですね。
ー話に出たサーフィンスクールはどんなものですか?
自分はプロサーファーで実技としてはやって来たけど、教えるのはプロじゃないし、サーフィンスクールを始めると決めてから1ヶ月で準備しようと思って、教える勉強をしました。マニュアルを作って、自分の友人や身内の人にモニターとしてスクールをやってみたりして、試行錯誤しました。1ヶ月後の昨年5月初めぐらいにスタートして。
ただレッスンをするだけではなくて、レッスン内容を私がPDFにまとめて、スクールを受けた人が普段練習する時に見返せるようにしました。リピーターも多くて、島内でこんなにサーファーが居るんだって思うぐらいで。100人以上の人に受けてもらいました。有り難いです。
その人の支払ったお金が私の遠征費になるので。教えるのって難しいなって思いますけど、自信はつきました。いろいろ勉強しながらやっています。教えるのも楽しいです。試合がある間はスクールはお休みです。今は試合を頑張らなきゃです。
普通の家庭で育った子の夢や目標の叶え方ってある。
ー自分にとって種子島はどんな場所ですか?
家、故郷ですかね、今までは。私にとって種子島は落ち着く場所という自分の感情だけだったんです。でもコロナ禍で地元の子供たちにサーフィンを教えたり、母校の小学校から講演を頼まれたりする中で変わって来たかな。
サーフィンに関わらずいろんな分野で外に飛び出して行きたいっていう子供たちがたくさんいるけれど、今の子供たちは私の頃よりも現実的というか、お金がかかる、何が稼げて何は稼げないとか、小さいなりに考えていて。いろいろハンデに思っている子供も多くて。
今は地元の子供たちに講演会やサーフィンスクールぐらいしかできていないのですけど、将来、子供たちが夢を追いかける後押しを行動としてやってあげられたらいいなってすごく思っていて。
種子島の子供たちに貢献していきたいですね。
スポーツにしろ何をするにしろ環境を整えてあげられれば。私の家も普通の家庭で、私がとっても才能があるというわけでもなかったけど、そういう子でも目指し方、夢や目標のかなえ方ってあるのかなって。
サーフィンスクールとかでも、例えば、”テイクオフできるようになる”っていう目標があったとしても、同じ教え方をみんなにしてもみんながみんなできるわけではなくて。その子に合わせたやり方があるから、そういうことを含めて教えていけたらいいなって。
選択肢が増えるきっかけを作れたらと。種子島の子供たちに貢献していきたいですね。種子島という場所に何回も救われて来たので。子供たち、島に恩返しできるようなことをやっていきたいと思っています。
ー種子島の魅力は?
移住者も多いのですけど、地元の人とも仲良くて住みやすいですよ。学校の課外授業も自然の中ですることがたくさんあって。ロケット発射台もあって、海もきれいだから観光客も多いからいろいろな出会いもあります。島の文化もあるけど、他からもいろいろなカルチャーを取り入れているし。サーフィンするにはもちろん最高です。ポイント数が多いから安全に人の少ない場所でできますよ。コロナ禍でリモートになってから移住者も増えています。
サーフィンというスポーツ業界に携わっていけたらと思っています。
ーあらためてこれからのことを聞かせて下さい。
CTに入りたいという目標が小さい頃からずっとあるので、目標をかなえるために今は頑張るのみです。25歳になってサーフィンだけではなく、コロナ禍で他のことも勉強して、将来サーフィン業界、サーフィンというスポーツ業界に携わっていけたらと思っています。
中学生ぐらいから試合を回って来て、これから試合を回る子供たちがもっといい環境でサーフィンが出来るように。みんな高いレベルを目指しているので、その目標に到達しやすいように道筋を作ってあげられるように貢献できたらいいなと、今までの経験をとおして思っています。
日本の選手は日本の業界が育てていかないと、後が続かないと思います。
ーCT入りということで、活躍中の都筑有夢路ちゃんについてどうですか?
試合、全部観ていました。自分もあの舞台でやりたいって思いますよね。有夢ちゃんはサーフィンのレベルも高いし、気持ちがすごいなって思います。根性あるなって感じるし、みんなの刺激になっていますよね。彼女が1ヒート出るごとにみんなの士気が上がっていると思うんですよ。
以前、オーストラリアでQS1000とかでよく一緒になって、一緒にサーフィンもしました。CTでやるには実力もそうですけど、気持ちもすごく大事だと思います。周りのサポートも揃えつつ、有夢ちゃんのすごい努力があの試合でのサーフィンに出ているなってわかります。私もまだまだだなってすごく思うし、早くそこで一緒に戦えないとなって感じました。
もちろん今までもみんなCTに行きたいって思っていましたけど、尚更現実味が出ましたよね。選手だけじゃなく、親もサポートするためにそこに向かう。そこに今のサーフィン業界がついてこないと選手が頑張っても実力ある選手も心が折れる時が来ちゃうと思うんです。
日本の選手は日本の業界が育てていかないと、後が続かないと思います。ISAや海外の試合で頑張っている選手を支えられるようなサーフィン業界が整っていかないといけないと感じます。キャリアアカデミーでスポーツビジネスを学んで、引退した後なのかどうかはわからないですけど、そこを変えていくきっかけでもいいので、何かできたらと思います。
ー熱い話を聞かせて頂きましたが、最後に那月プロは「Mermaid & Guys」の商品が大好きで自ら会社に問い合わせをしてライダーになったと聞きましたが、おすすめの商品について熱く聞かせてもらえますか?
そうなんですよ。私は肌が弱くて、きっかけはライダーの桃子ちゃん(宮坂桃子プロ)がおすすめしてくれたことから、気に入って1年間使って。ウェブサイトのお問い合わせからメールして、「微力ながら宣伝させて下さい。あわよくば、ライダーにお願いします」って感じで。ライダーになれなくても使っていましたね。
今も家族で使っているんですよ。おすすめの商品は特に最近発売されたバズタイプのUVカットミルクとスプレーです。虫除け成分が入っているもので、暖かくなってサーフィンにいく時、着替える時、BBQとか外で作業する時に使うと日焼けも阻止できるし、虫もよってこない。
アロマっぽい香りもいいし、虫除けなのにノンケミカルで肌にも優しいんです。めちゃくちゃ重宝しています。夏は日焼けをして肌が赤くなって炎症を起したりするけど、その上に塗っても全然ひりひりしないです。
「Mermaid & Guys」のスティックタイプの日焼け止めは落としやすくて1番気に入っています。
それから、美容で気をつけているのがクレンジングなのですけど、「Mermaid & Guys」の日焼け止めにはスティックタイプのものもあるのですが、ファンデーションみたいなテクスチャーで、こういうタイプの日焼け止めってクレンジングを1回しただけでは落ちなくて、すごくこすらないと落ちなかったりするのですけど、「Mermaid & Guys」のスティックタイプの日焼け止めは落としやすくて。そこが1番気に入っています。
海上がって最初にクレンジングシートで落とすのですけど、1回拭き取るだけである程度落ちて、その後クレンジングジェルで落とせば完璧に落ちてくれて。私はニキビができにくくなって、化粧水の入り方が違うと感じています。落としやすいけど、海に入っている時は落ちないのでめちゃいいですよ(笑)。
それから保湿美容液のプラセジュレ。海上がった後にクレンジングシートで日焼け止めを落として化粧水スプレーをしてからこれを塗ると、クレンジングした後の突っ張り、日焼けした後の肌のバリバリしわしわみたいな感じがなくなります。とろっとしているけど、べたべたしない。
それからこのUVカットスプレーは顔だけじゃなくて髪の毛にも使っています。試合の時って朝早くから夕方遅くまで海にずっといるので、髪の毛がバリバリになってしまうのですけど、これを髪の毛にスプレーするとダメージを抑えられて全然違います。
「Mermaid & Guys」の商品はとにかく全て香りもいいからつけてて気持ち良くて。サーファーはもちろんサーファーじゃない人にも自信を持っておすすめできる商品です。ライダーみんなでサンプルを試して率直に意見を出し合っています。いいチームワークですよね。ライダーみんなが商品を好きだからでしょうね。愛用者がもっと広がればいいと思います。商品はロフトでも発売していて。みんなが手に取ってくれると私たちもうれしいです。
【プロフィール】
須田那月(すだなつき)
静岡県西伊豆町出身、1歳から鹿児島県種子島在住。1995年生まれ。2011年JPSAプロ公認。JPSAツアーを回りながら、海外の試合に出場。2017年に遠征先のオーストラリアで肩の大怪我をして1年間療養。復帰後2年の2019年にJPSAグランドチャンピオンを獲得。
取材、撮影:米地 有理子
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