伝えなければいけない、もう一つの偉業。 日本女子プロサーフィン、忘れてはいけない先人たちの軌跡。

 

日本人CT選手として2020年のクォリファイが決まった都筑有夢路。WSLとしてのCT日本人選手は五十嵐カ ノアが最初だが、女子選手として初めてという偉業を達成した。本人の努力と家族の献身的なサポート、そして、スポンサーがあって、初めてこの成果を収めることができた。

 

都筑有夢路

 

WSLから配信されたニュースでは、今年のグランドチャンピオンのカリッサ・ムーア(HAW)が、1年の休業 宣言をしたことから、QSランキング8位につけていた都筑有夢路が繰り上がり、正式に2020年のCTに登録 されたと記されていた。

 

PHOTO:YAMAMOTO

 

女子の世界への挑戦はここ数年、ジュニアから始まり、ISAでも大きく結果を残すようになった。都筑だけ でなく、WSLの2019年ワールドランキングを見ても、日本に拠点を移した前田マヒナが15位、16位に脇田紗良、37位 黒川日菜子、40位 橋本恋、46位 川合美乃里と50位以内に6人入り、野中美波、西元エミリー、 ジュリ姉妹、大村奈央、松田詩野がそれに続いた。今年は女子選手がコンスタントに結果を残した1年で あった。

 

 

遡ること30年前、WSLの前身であったASP(Association of Surfing Professionals)が、今みたいに2部リーグ 制ではなく、まだ1つに統一されていた頃。日本でもこの世界ツアーにも一部の女子選手が戦いを挑んでいた。

 

 

 

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日本で最初に結果を残したのは、89年に11位、90年に12位という成績だった伊藤彩子(旧姓:平野)。吉澤美千江(旧姓:清水)もモースト・インプルーブド・サーファーを取るなどしたが、選手の数はまだ多くなかった。

 

 

小野里美之 月刊サーフィンライフ(マリン企画)

 

その中でも、90年代に入り94年、95年とトップ10に入る結果を残し、一躍、トップサーファーの仲間入りを果たした小野里美之。94年には12位で上滝恭子もルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど世界で女子も活躍していた時代だった。

 

上滝恭子 月刊サーフィンライフ(マリン企画)

 

 

そのASPが今の形となるCT、QSの2部リーグ制を導入。WSLのアル・ハント氏曰く、女子のスタートが1997年だったと言う。その時に女子のCTシード選手は上位8人とされた。96年には9位にランクインしていた小野里。8位だったキャシー・ニューマン (AUS)が引退を宣言したことから繰り上がり、トップツアーに参戦することが決定。これが日本人選手として「初」のCTシード選手の誕生となった。

 

この時代、今に比べると世界を廻ることが、どれだけ大変だったかは想像に難くない。特に女子の賞金額等を見てもわかるように、金銭面での苦労もあっただろう。その中で小野里がわずか3年で達成したこの偉業。これはサーフィン界が決して忘れてはいけないことだ。

 

サーフボードなどの道具の進化によるコンペサーフィンの発展。ただ、どれだけレベルが上がろうと、世界 と闘うことの厳しさは今でも変わらない。日本の今のコンペの発展があるのも、諸先輩や小野里美之らが残 した軌跡があるからだ。

 

2020年、女子のCTで日本人選手として1人戦うことになった都筑有夢路。しかし、決して1人ではない。家 族、スポンサー、そして、このコンペの火を繋いできた先輩たちがいる。目標はワールドタイトルを取ること。都筑有夢路ならできる。この金字塔を打ち立て、更にその先につないでいって欲しい。Go! Japan!

 

文:山本貞彦、取材協力(敬称略):小野里美之、上滝恭子、柄沢明美、水垣糸子、アル・ハント。参考文献:月刊 Surfin’Life 誌、月刊 Surfing World 誌