オリンピック代表候補として戦い、怪我やコロナ禍に翻弄されながらも、コンペティターとして突き進んだ村上舜が、チャネルアイランズサーフボードへ移籍。そして、彼が常に追い求めてきたウェイブハントの活動を加速させていくことを決意した。
コンテストに関してはオリンピック出場には取り組んでいくが、WSLの試合は出場しない意向だ。
そして、今年の活動目標は世界有数の超スラブの波6箇所で撮影。映像を残して、それを日本と世界に向けて発信することと明言した。
手始めに2月はハワイのパイプラインに標準を合わせる。そして4月にインドネシア。その後にプエルト・エスコンディード、タヒチのチョープーでのシューティングをサーフラインで波高をチェックしながら計画。秋にはスラブ波の宝庫と言われるポルトガルへ。
そして、その集大成として、あのカリフォルニア州サンタクルーズ沖に現れるマーヴェリックスで世界最大級の大波に挑む。そんな壮大な計画を立てる村上舜が、心の内を語った。
「自分がISAやQSに出始めたのは、多くの人に自分のフリーサーフィンを見てもらいたいからでした。
なんでこのタイミングかというのは、CS(チャレンジャー・シリーズ)とか回っていても、自分の心が熱くなることが少なくなってきてしまって、ただ仕事のようにこなしている自分がいました。
それが良くないのは分かっていたけど、自分の気持ちが、どうしても乗ってこなくて。
友達が自分のやりたいコンディションでサーフィンしてたりとか、チューブ抜けている映像とか見て、やっぱりモヤモヤしてて。
コンテストの方でも刺激がないから、これ以上、上達することがないんじゃないかなって思うことがあって。伸び代も感じなかったし。環境を変えないとと思って。
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このままダラダラ試合をやって、CT目指して、ワールドチャンピオン目指してやっているよりは、自分のやりたいサーフィンを今やった方が、結果が出るんじゃないかなって思いました。
今回の移籍も、自分の活動を理解してくれて決まったものなんです。でも、これは滅茶苦茶チャレンジだと思うんです。ただ楽しいサーフィンをするだけで、絶対話題を作れるって確実性は少ないと思うんです。
一番良い波乗って、一番やばいライディングするのは本当に難しいことだと思う。
自分は、そっちのサーフィンでやることに凄く自信があるけど。自分が目指す世界的な場所に行ったら、そういう波が得意なサーファーがたくさん集まるから、乗ることすら難しい。その中で一番良い波乗って、一番やばいライディングするのは本当に難しいことだと思う。
でも、その挑戦をする方が、自分は成長出来そうだし、楽しくサーフィンできそうだと思います。
完全に試合に出ないとは言わない。
これまで村上舜は、弟の蓮とともに、日本を代表するビッグウェイバーのひとりであり、仙台市出身のハードコアサーファーとして知られる松岡慧斗と3人でウェイブハントを続けて生きた。今回の決断もその延長線上にあるものなのだ。
「自分はCSを回る前から、蓮やケイト君(松岡慧斗)と日本中を回っていたんです。その間、自分はオリンピックのチャンスがあったから、メディアに出たりとか、各自で注目してもらえるように知名度上げていこうと目的で頑張っていたんです。
(松岡慧斗は、2019年1月にハワイ・オアフ島ノースショアで行われた「Da Hui Backdoor Shootout」で史上初となるパーフェクト12ポイント・ライドの大会最高得点を叩き出し、WOTWでも総合優勝。2022年には、その大波をハントする日々に迫ったドキュメンタリームービーもリリースした。)
本当の自分が無くなっちゃうんじゃないかと思った。
でも、本当の自分がなんか無くなっちゃうんじゃないかって。それが嫌だった。前の自分が方が好きっておかしくないですか? 前の自分の方が好きってなるのが嫌だったから。
ただ完全に試合に出ないとは言わないです。でもフリーで結果を残したい。インパクトを残したいです。でも、試合とか出ないと、オリンピックとかには出場しずらくなっちゃうとは思うんですけどね。
プロサーファーだから試合に出なくてはならないという呪縛からも解放されたかったという村上舜。
自分の夢であるフリーサーファーという道を貫いて、新たな道を切り開いていく。
実際に彼が世界に発信するものが、どんなモノになるかは分からないが、これまで彼らが残してきた作品を見れば、それを心配する余地もない。
自分が全盛期のうちに世界有数の場所で形を残したかった。
『誰にも乗れないハードで危険な波』を求めて。
新しい村上舜の旅が今始まろうとしている。
取材協力:
@bewet.wetsuits
@cisurfboards
@cisurfboards_japan