村上 舜 独占インタビュー「Exceed yourself 〜自分を超えろ。その挑戦が未来を変える。」

文、写真:山本貞彦

 

サーフィンがオリンピックの新競技として選ばれたことは、エポックメーキングな出来事だった。日本では選手だけでなく、協会、業界全てのサーフィンに関わる、多くの人を巻き込んだ。

 

日本は五十嵐カノアが銀メダル、都筑有夢路が銅メダルと素晴らしい成績を残し、多く のメディア、テレビでも連日報道されていたのは記憶に残るところだ。しかし、この華々しい結果の裏には、サーフィン競技を広めるために広告塔の役目を担った選手がいた。

 

 

村上舜 ISA世界選手権 エルサルバドル PHOTO: ISA Sean_Evans
村上舜  2019年に宮崎で開催されたISA世界選手権で2年連続のカッパーメダル獲得。

 

 

それが村上舜、そして、松田詩野だ。2人は2019年に日本の宮崎で行われた、オリンピックの予選となるISA世界選手権に出場し、アジア枠で最高位を獲得し、条件付きな がら内定を獲得。その後、新競技となったサーフィンについて、多くの取材を受け、メディアの前に立ち続けた。

 

 

エルサルバドル 2021年ISA世界選手権

 

 

ISA世界選手権大会の3年連続で日本代表選手選ばれた村上舜は、2018年、2019年の大会では決勝まで勝ち上がり、2大会連続のメダルを獲得。しかし、日本代表が確定する 2020年(コロナ禍で2021年に開催)大会では順調に勝ち上がるも、決勝の手前で敗退。あと一歩のところで、オリンピックのサーフィン出場が、その手からこぼれ落ちた。

 

その後、もう一つの挑戦だったWSLのチャンピオンツアー(CT)のために、チャレンジャーシリーズに参戦。2019年の初戦の中国で優勝、コロナ禍でツアー自体が中断するも、2020年に再開され、ランキングも上位をキープ。クオリファイが狙える位置にいたものの、こちらも後半戦に失速し、もう一つの夢もここで潰えた。

 

 

 

しかし、久々に会った村上舜は、晴れ晴れとした表情を見せ、明るく迎えてくれた。その顔には、何かを掴んだ自信に満ち溢れたものだった。そんな村上舜にオリンピック、そして、WSLのことなど、改めて今の心境を聞いた。

 

村上舜 PHOTO: ISA Sean_Evans

 

 

村上舜は2020年の7月に全治3ヶ月の怪我をした。コロナ禍でオリンピックが1年延期となり、それに併せてISAの世界選手権も翌年となったことで、治療する時間を十分とることができた。

 

実際、前回のインタビュー(https://surfmedia.jp/2020/10/09/shun-murakami-interview/ )では、 2ヶ月ほどで、サーフィンに復帰したことを語っている。2021年に行われることになったISA世界選手権大会までの期間、村上はどう過ごしていたのか。

 

 

 

怪我して1ヶ月ぐらいはサーフィンをしたいとも思わなかった。

 

 

その時の怪我した理由は、当時、モチベーションが低くて。サーフィンから少し離れている時の怪我だったんです。だから、本当に怪我して1ヶ月ぐらいは、そんなサーフィンをしたいとも思わなかったですね。

 

でも、怪我が治ってくると、どうしてもサーフィンやりたいっていう気持ちが、強くなっていました。そこから3、4ヶ月はそのモチベーションを保つことができて、がっつりサーフィンして。 そこでレベルアップ少しできたかなって思っていました。

 

 

100%の実力を出したら、絶対勝てるって思っていま した。

 

 

怪我から復帰後、サーフィンが楽しくてしょうがないとSNSなどでも発信していた村上だが、 ISAの大会まで、実戦となる試合には復帰していなかった。

 

その、やはり、試合は相変わらず、そこまで好きじゃないので。出る必要のない試合は出たくなかったです。なので、ISAまではただ、ただサーフィンだけをしていました。トレーニングとかも満足いくものができていたので、その時は100%の実力を出したら、絶対勝てるって思っていました。

 

だから、特にISAまでの準備とかは具体的には無くて。ただ、練習以外で取材も増えて、その気持ち的な部分でプレッシャーっていうのか。まだ、その時はそんなにプレッシャーとは意識はし てなかったんですが、ただ考える時間はすごく多くなっていましたね。

 

 

条件付き内定の日本代表候補として取り上げられたことで取材も増えた。サーフィンに没頭することで、そのプレッシャーのようなものから逃れようとした村上だったが、その時に心の中に生まれたものは何だったんだろうか。

 

 

取材ごとに負けられないっていう気持ちが強くなっていた。

 

 

不安とかでは無かったです。その時は、オリンピックということよりも、自分の目の前にある ISAのことだけしか考えてなかったですから。ただ、このオリンピック内定と言われてることによって、負けられないっていう気持ちが、取材ごとに強くなっていたことは間違いないですね。

 

記事やニュースで、みんながそれを認知するし、自分がオリンピック代表選手として見られるわけですから。それ自体が自分は少し嫌だといえば、嫌だったんですけど。

 

 

村上舜 エルサルバドルのISA世界選手権の開会式 PHOTO: ISA Sean_Evans

 

オリンピックに出る気でいました。それがプレッシャーになっていた。

 

 

でも、自分自身はISAで勝つつもりだったから。オリンピックに出る気でいました。でも、たぶん知らぬ間に、それがプレッシャーになっていたのかもしれません。人に会うたびに、みんなに 「オリンピック頑張って! 」って言われていましたから。

 

何だろうな。やはり、オリンピックに出るという前提で、いろいろ取材も来ていたし。スポンサーやみんなから期待されているのがわかったから。逆に自分を硬くしちゃっていたかもしれません。

 

フリーサーフィンは、たくさんやっていたんですけど。やはり、試合のことを考えるとしんどくなることも多くなって。それで、その理由を考えたいんですけど、今度は考え過ぎて、辛くなってしまって。正直、考えていられなかったですね。

 

 

村上舜 エルサルバドル PHOTO:Ben_Reed

 

 

そして、オリンピック代表を決める最後のISA世界選手権大会をエルサルバドルで迎える。村上は勝負強さを見せて、本戦の最後のラウンドまで勝ち進んだ。ライバルの大原洋人はリパにまわ り、後がない状態だったことで、このまま勝ち進むことができれば、オリンピックへの正式な出場権が手に入るはずだった。

 

しかし、村上は本戦最後の戦いで4位で敗退し、リパ(敗者復活戦)の決勝にまわる。さらに勝 ち上がってきた大原洋人と直接対決となるも、ここでは大原が巻き返して圧勝。村上は4位とな り、舞台を去ることとなった。

 

村上舜 PHOTO: ISA Pablo_Jimenez

 

 

何かプツッと集中力が切れてしまいました。

 

 

現地に入って「負けねーぞ!」という気持ちでやっていたんですけど。ただ、ボードの調整とか が想像していたのと違ったので、そこは常に迷いがありました。ショートボードを7-8本持って 行って、さらに後から来るスタッフの人たちに、少し長めの板を持ってきてもらったんですけど。でも、あまりしっくりこなくて。

 

それと、大会最終日の前日は、あまり寝れなくて。もう、これで決まるんだなみたいな気持ちになったら、悩んでいたこととかがいろいろよぎって。それで、もう目が冴えてしまって。そうしたら、それで何かプツッと集中力が切れてしまいました。

 

だから朝とかも、何だろう。逆にリラックスしすぎちゃってる状態になってしまって。だから、今、思うとプレッシャーがあった方が良かったのかなって。メンタル的にはすごくきついですけど、試合を戦うんだったら、絶対に落とせないという強い気持ちがあった方が良かったのかなって。

 

それで、その時は集中力も全く無くて、そのメインのファイナルとそのリパのファイナルは、もう全く同じ試合運びして、負けました。もう自分の中の粘り強さみたいなのが、全くなかったと思います。

 

あの時は視野がすごく狭くなっていたって感じですね。リラックスしているのに。何でかわからないですけど、開き直ったみたいな感じで。それが、良い時もあることは経験もしているんですけど、初めての感覚でした。

 

 

村上舜 PHOTO: ISA Pablo_Jimenez

 

 

大原洋人はこの時「同じヒートで、全力出し切って戦いたい」と言っていた。村上もそれには同意だった。大原が勝った勝因をこう分析する。

 

 

期待を裏切るのが怖かった。

 

 

洋人との勝負はリパではなくて、最後のファイナルで決めれたら良かったなと思いましたけど。 やはり、洋人はメインで自分より一つ前で落としちゃったじゃないですか。それで、あいつがその厳しいところから流れをつかんだから。すごく頑張ったなと思います。

 

それはあいつの実力だと思うし。流れをどうやって掴むかって、とても大切なんですよね。その時、洋人は絶対負けないって気持ちになっていただろうし。今回、経験しましたけど、シチュエーション的に追われる側は嫌ですね。追う方が全然良いです。

 

 

代表選考ではなく、単純に大会だけだったら、村上は勝ち上がっていったのかもしれない。それがリラックスしていたのに負けたという初めての感覚。これが「オリンピック」というものの重圧か。いったい村上の心にどれだけ重くのしかかったのだろうか。

 

 

プレッシャーをエネルギーに変えることの大切さ。

 

 

村上舜 PHOTO: ISA Pablo_Franco

 

みんなが自分がオリンピックに出ると思っていましたから。正直、当時はしんどくなっていました。もし出られなかったら「何だ出れなかったんだ」って、思われるのが嫌で。その期待を裏切っちゃうのが、怖かったです。何でそんなこと考えていたんだろうって、今は思いますけど。 その時はそれがすごく怖かったです。

 

でも、カノアのオリンピックでのインタビューで「プレッシャーというのはネガティブなものではなくて、すごくポジティブなもの。そのプレッシャーがかかればかかるほど、自分はそれをエネルギーに変えるように意識している」というのを見て、感銘を受けました

 

カノアがプレッシャーをエネルギーに変えれるってすごいことだし、そうやって意識することも大切だなって。これからサーフィン以外でも、これはとても大切だなと思いました。いろいろなプレッシャーがかかることって、これからもあるじゃないですか。それをパワーにしないといけないんだなって教わりました。

 

 

村上舜 CS最終戦のハレイワ・チャレンジャー photo:gordinho

 

オリンピックでサーフィン競技が行われていた当日は、フリーでサーフィンしていたという村上。仲間の試合だけは見たと言う。そして、その時はすでに、次の戦いであるWSLのチャレンジャーシリーズに狙いを定めていた。ISAの後から新たに始めたパーソナルトレーニング。ハワイ在住の田嶋鉄兵プロとオンラインで一から鍛え直した。そこでサーフィンも心構えも大きく変わったと語る。

 

 

今はCTに入ることを優先しようと考えるようになった。

 

 

ISAを負けた後は、めちゃくちゃ頑張りました。鉄兵くん(田嶋鉄兵プロ)とトレーニングも やって。オンラインでのやり取りでしたけど、サーフィンがすごく変わったと実感できて。それのおかげで、ターンのキレとか伸びとかが変わったと思います。

 

サーフィンが変わったことで、気の持ちようが変わりましたね。自分はこれで今はCTに入ることを優先しようと考えるようになって。いつもウェーブハントを共にしている慧斗くん(松岡)や蓮(実弟)とかに「絶対CT入るから!」と約束したりして。そこからモチベーションが上がって、どんどん試合だけにフォーカス していきました。

 

CTを叶えるんだという強い気持ちになったんです。だから、練習ではチューブがあっても、ター ンの練習をひたすらやって、トレーニング量も増やして。常にCTに入ることを念頭においてやっていました。短い期間でしたけど、3、4ヶ月集中してやりましたね。

 

 

村上のサーフィンが変わったのは、一目瞭然。元々、低い姿勢であるものの、下半身がさらに安定。ボトムのためが出来たことでスピードが増した。さらに、板を返した時の腰と膝の使い方が 変わり、当て込む時の爆発的なパワーが生まれた。

 

 

専属パーソナルトレーナー:田嶋鉄兵

 

 

舜の希望をしっかり聞いてから、舜には何が必要なのか。持っているポテンシャルを最大限に引き出すことができるトレーニングメニューをデザインして、それを実践してもらいました。

 

ただ、シーズン中にそれをやるのは非常に難しいことでしたが、舜のモチベーションも高かったので、US OPENまでに少しでも成果が出るようにと、僕の中でもハードなメニューでしたが、 週3回、それをやってもらいました。

 

それは舜に必要な部分の筋力を上げること。そこを強化、鍛えるためのトレーニングでした。いろんなバリエーションでやったことで、アクションのクオリティも上がったと思います。そこ が、舜のサーフィンが一番変わったとこだと思います。

 

 

村上舜@USオープン WSL/ Morris

 

そして、WSLのチャレンジャーシリーズはアメリカ、ポルトガル、フランス、ハワイと4戦続 く。その結果については、US OPENは9位だったものの、残りは残念ながら満足いく結果は出せなかった。

 

それでも、年間ランキングは1位の五十嵐カノアを除き、日本人では2番目の22位の9200ポイント。クォリファイを決めた15位のカルロス・ムニョス(CRI)が10650ポイントであることを見ても、もし1試合でもキメることができたら、クォリファイはできていたはずだ。

 

 

 

 

全試合とも本気でやれたことが自分にとって大きな成長。

 

 

US OPENは鉄兵くんとのトレーニングで調子自体は良かったし、対策はあったんですけど。潮で試合が止まることが、度々あって。スタートまではすごく良かったんすけど、そこから先手を 取ったんですけど、波回りが悪くなって負けました。

 

これは結果論ですけど、サーフィンとかではなかったです。相手が先攻取ったら、自分の波回りが良くなったわけだし。その後のヨーロッパレッグも通して、全部その負け方だったんですよね。

 

今回のツアーも4戦通して、自分のサーフィンができたのは、本当に1試合も無いですし。自分のサーフィンを出すのがすごく難しかったというのが、実感です。

 

でも、この負け方にも絶対に意味があるなって思ったんですよね。フランスで負けた時も、勝つ選手って、そういう辛いヒートであっても絶対乗り越えるんですよ。だから、その対応力っていうのが、自分には足りないことが改めてわかって。

 

その進歩というか、自分で成長したなってと思えたのは、CTに本気で入れるって自分で思えたことでした。今までCT入ることとかを、単に口にしていただけだった気がしますから。その自分の中で、本当に「これ叶えるよ」って気持ちになっていたんです。

 

それって自分にとっては、すごく良いことで。だから、結果は結果でしたけど、全試合とも本気でやれたこと、それが自分にとってすごい成長だなって思っています。

 

CTに入るという気持ちが全て整った。サーフィンも身体も一から作り直し、さらに心構えまで変えての再スタート。自分の中で、その大きく変われたきっかけは何だったのか。

 

 

悔しい気持ちは闘争心にもなるし強くなれる。

 

 

 

 

それは間違いなく、ISAで負けたことですね。本当に悔しかったので。こんな思いは二度としたくないと思いましたけど。でも、ハワイが終わってCT入り間近で、これも逃しちゃうみたいな。

 

試合が終わって、あの時どうしとけば良かったのかとか、何日も考え込みました。でも、答えはやはり簡単に出ないですよね。

 

そして、考えたのは別に何が悪かったのかって、結論を出さなくても良いのではないか。敢えてて答えが出ないままでも良いのかなって。それが、次に活きるのではないかと思ったんです。

 

実際に勝負に勝っていたら、そこで満足してしまう自分がいて。ただ、そのまま続けるだけだから。それは上達するかもしれないけど、次の新しい行動には移らないかなって。

 

今、自分でわかっているのは、負けたことで自分が本当に変われると気づいたんですよね。 日々、頑張る方が上達の幅が大きいかなって、思えるんです。それに悔しいという気持ちって、闘争心にもなるし、強くなれると考えたんです。

 

 

そして、将来、自分がやりたいことでもあるフリーサーフィンについてはどうなのか。“ MOBB ”ではフリーの価値観を高めたい。それと共にサーフィンにはフリーやコンペなどがあり、子供た ちにいろんな選択肢があることを教えていきたいと考えている。なので、大橋海人プロがオーガナイズするスタイル重視の大会「KNOT online conetst」などでも協力して盛り上げていきたいと言う。

 

 

日本からもっと個性あるサーファーがたくさん出ると思う

 

 

結局、サーフィンの良いとこは、そこだなって思っていますから。海人くんのイベントに自分が参加させてもらったことは、とても嬉しく思っています。「KNOT online conetst」みたいな大会に、みんなが注目してくれたら良いですよね。それが面白いって感じてくれる人が、増えたら良いなと思います。

 

こういう試合が増えたら、日本からもっと個性あるサーファーがたくさん出ると思うんです。夢があるじゃないですか。選手が目指す場所が一つではなく、自由であって、そういう環境があったら、もっといろんなスタイルを持ったサーファーが増えると思います。それって、日本のサーフィンにも大切なことだと思うんです。

 

しかし、その好きなフリーサーフィンの活動は抑えてまで、やろうとしていることがある。それがコンペティション。以前は将来、好きなフリーサーフィンのためにだけやっていたコンペだったが、今ではこの世界で自分の力を試したいという欲求が上回った。CTをこの手に掴むこと。それが今のやりたいことだ。そして、その課題も見つかっている。

 

 

今の気持ちは優先順位で言えば、CTが一番強いです。

 

 

 

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去年までは “ MOBB ”の活動もしたいっていうか、“ MAD DAWG ” で波を当てたいとか思っていましたけど、今の気持ちは優先順位で言えば、CTが一番強いです。

 

来年の1年でチャレンジャーシリーズで結果が出なかったら、終わりにする。これは毎年、言っていたことになってしまうんですけど。今回は本当にクォリファイしてCTで戦うことを考えています。

 

そのために、まずはフィジカルの部分で、鉄兵くんと肉体改造することを考えています。

 

メンタルについては、今思うと、US OPENの時の自信は半端じゃなかったんですよ。絶対、勝つ! みたいな自信しかなかったです。なぜかと言えば、トレーニングしてるからなんですよね。 その積み重ねがあれば、自信は自然とつきます。自分のサーフィンをして、トレーニングしている自信があれば、絶対勝てると思えましたから。

 

 

メンタルよりもモチベーションの維持の方が、自分には課題になる

 

 

 

 

でも、メンタルよりもモチベーションの維持の方が、自分には課題になるかなと思っていて。 やはり、どうしても決めた目標が、自分の中で薄れてきてしまう時があるんです。ずーっと、そのことばかり考えていると疲れてきちゃって。

 

それが気の緩みみたいな感じで試合で出ると、やはり、駄目な結果になってしまう。ひどい負け方の時は、大抵そういうことだったと気づきました。 だから、常に目標を意識し続けることが大事なんですが、その意識する時間を決めること。

 

ただし、その意識している時間は全てそのことだけに集中して過ごすこと。そのそうすることで生活 にメリハリもつけられるし、モチベーションをキープできると思います。

 

今回のいろいろな経験で、自分の足りないところや、自分がやりたいことも明確になりました。それにこのCT挑戦も、今しかできないことだと思っていて。悔いの残らないようにやれるだけやって、頑張りたいと思っています。

 

 

この板は舜にとっての初めてのサーフボード。レフト(中さんシェイプ)の板で、脇田貴之のサイン入り

 

 

村上舜、24歳。

 

誰もが、オリンピックに選ばれると思っていた。 CTへのクォリファイもできると思っていた。 そして、その実力も十分にあった。 しかし、それは叶わなかった。

 

そして、この経験が舜の心に火をつけた。 自分に足りないものは何か。 それは改めて自分の弱さを受け入れること。 全てを変えて、一からのスタート。

 

今は自分の可能性に賭けてみたい。 それは自分なりの真実に気づいたから。 自信から確信に変わった。 そして、覚悟を決めた。

 

舜にしかできないものがある。 失うものは何も無い。 自分を偽らず、自分の信念を貫く。 あとは実現するだけ。

 

Go my way ! Go!Shun!

 

 

村上 舜 (ムラカミ シュン)

生年月日 :1997年 3月 3日

出身地 :神奈川県湯河原 

身長 :168 cm

体重 : 65 kg

スタンス :グーフィー

ホームポイント :吉浜海岸

スポンサー :BEWET、Sharpeye surfboard、Rakuten、Syndicate、Newera、 Nixon、楽採、山利、ONETABLE、TRIPLE C PROJECT

好きな波 :チューブ

好きなマニューバー:チューブ

影響を受けた人 :松岡慧斗

リンク先

Youtube / Mobb channel

https://www.youtube.com/channel/UCQeMDhOLV1qXMt9a-_mTOGA

Instagram / mobb010

https://www.instagram.com/mobb010/

 

取材協力:田嶋鉄兵 Instagram / teppeitajima
https://www.instagram.com/teppeitajima/