イタロとカリッサが金メダル獲得。五十嵐カノアと都筑有夢路が銀銅。メダリストたちの喜びの声

Photo: ISA / Pablo Jimenez

五輪サーフィン結果

男子
金 – イタロ・フェレイラ(ブラジル)
銀:五十嵐カノア(日本)
銅:オーウェン・ライト(オーストラリア)

女子
金 – カリッサ・ムーア(アメリカ)
銀 – ビアンカ・ブイテンダグ(南アフリカ)
銅:都筑有夢路(日本)

 

 

千葉県の釣ヶ崎海岸で3日間にわたって繰り広げられた、オリンピックに初参加したサーフィン競技が終了した。

 

ブラジルのイタロ・フェレイラとアメリカのカリッサ・ムーアが、そのサーフィンの頂点に立ち、2020年東京オリンピックの初代チャンピオンとして、歴史にその名を刻んだ。

 

IOCのバッハ会長は、ISA会長のフェルナンド・アギーレともにサーフィン会場に足を運び、世界最高のサーファーたちと会い、オリンピックの新種目となった若者向けのスポーツを体感。サーファー達は会長の前で最高のパフォーマンスを披露した。

 

フェレイラは、2019年のワールド・サーフ・リーグ・チャンピオンシップ・ツアーの世界タイトル、同じく2019年に宮崎で行われたISAワールド・サーフィン・ゲームズ金メダル、そして今回のオリンピック金メダルという、3つの偉業を成し遂げた。

 

イタロ・フェレイラ 写真: ISA / Sean Evans

 

「オリンピックが私たちの人生を変えると心から信じています。」

イタロ・フェレイラ

 

 

「自分がこれまで成し得たことはすべてが重要なものでしたが、このオリンピックでの金メダルはサーフィン界にとって初だったので、最も意味のあるものだと思います 」とフェレイラは言った。「でも、すべてのサーファーがここで歴史を作ったのです。すべてのサーファーがこの金メダルの一部を持っています。」

 


自分は貧しい環境で育ったので、クーラーボックスでサーフィンを始めたんです。子供の頃、初めて本物のサーフボードを手にして、初めてのイベントで優勝しました。私はこのスポーツに情熱を持っています。

 

オリンピックが私たちの人生を変えると心から信じています。メダリストだけではなく、この歴史的なイベントに出場したすべてのサーファーにとって。」

 

 

 

金メダルを獲得したカリッサ・ムーア Photo: ISA / Ben Reed

 

「サーフィンを知らない多くの人たちに、このスポーツを伝えることができたことは特別なこと。」

 

カリッサ・ムーア

 

 

WSL世界チャンピオンに4回輝き、ISAワールド・サーフィン・ゲームズの銅メダリストでもあるムーアは、これまでの実績に加えて名誉あるオリンピックメダルを獲得した。

 

「このイベントの規模はとても大きく感じられました」とムーアが言った。「これまでサーフィンを見たことがなかった多くの人たちに、このスポーツを伝えることができたことは特別なことです。

 

ハワイアンとしては、デューク・カハナモクの夢が叶ってサーフィンがオリンピック種目に選ばれただけでも特別なことです。サーフィンがこのようなレベルで評価されるのは大きな意味があります」。

 

 

また、日本の五十嵐カノアが男子銀メダル、南アフリカのビアンカ・ブイテンダグが女子銀メダル、オーストラリアのオーウェン・ライトが男子銅メダル、日本の都筑有夢路が女子銅メダルを獲得した。

 

 

日本の都筑有夢路が女子銅メダル Photo: ISA / Sean Evans

 

 

開催国日本が2つのメダルを獲得する大活躍

 

 

 

開催国である日本は、オリンピック・サーフィン競技で2つのメダルを獲得した唯一の国となり(五十嵐が銀メダル、都筑が銅メダル)、一週間を通して、そのサーフィンの才能を披露した。

 

2016年にサーフィンがオリンピック競技に選ばれて以来、日本のサーフィンは世界の舞台で著しく成長を見せている。

 

チーム・ジャパンは、2018年にISAワールド・サーフィン・ゲームズで史上初の金メダルを獲得し、その後、2019年に銅メダル、2021年に銀メダルの成績を収めている。

 

五十嵐カノア、前田マヒナ、都筑有夢路、大原洋人などのサーファーが先頭に立ち、日本でのスポーツの振興と発展に大きく寄与してきた。

 

 

日本の五十嵐カノアは、決勝でのパフォーマンスに悔しさをにじませていたが、まだ23歳という若さの彼には、オリンピックでの未来が待っている。写真: ISA / Sean Evans

 

 

「他国と同じ数の日本のサーファーが集まる日が来ることを願っています。」

 

五十嵐カノア

 

 

五十嵐は、「ここ東京での大会開催が発表されたことで、日本のサーフィンに何かが起こりました」とコメント。「日本のサーファーが進化していることを感じると思います。オリンピックで活躍する日本人選手はもちろんですが、オリンピックの恩恵を受けている他のサーファーもたくさんいます。」

 

「日本はすでに上昇傾向で、オリンピックがそれを後押ししてくれたと感じています。僕の夢は、これをきっかけにして、日本のサーファー、アジアのサーファーがツアー(CT)に参加するようになることです。アメリカ、オーストラリア、ブラジルと同じくらいの数のトップサーファーが集まる日が来ることを願っています」。

 

 

オリンピズムと決意を体現したオーウェン・ライトの表彰台

 

オーウェンを祝福するオーストラリアチーム ISA / Pablo_Jimenez

 

 

2015年、オーストラリアのオーウェン・ライトは、パイプラインでのサーフィン中に頭部を負傷し、1年以上も競技サーフィンから遠ざかっていた。

 

ライトの忍耐力と決意は、オリンピックに参加するすべてのアスリートに共通する価値観を体現しており、今回の表彰台は彼の回復への道の頂点を表していた。

 

「友人や家族がいなければ、このようなことはできませんでした。また、オリンピックのコーチやスタッフのおかげで、外傷性脳障害(TBI)からの回復に向けて100%の力を発揮することができました。私がここに立っているのもそのおかげです。

 

そのおかげで、このポジションにたどり着くことができました。サーファーとして、多くの人は自分にはメダルの期待が持てないと思っていたでしょうが、私は自分が経験してきたことから強さを得ました。私はチームに感謝しています。妻や子供たち、すべての人に感謝しています。

 

 

パリ五輪のサーフィン競技で引退

 

 

「私には目標があります。メダルを首にかけている自分の姿を想像してきましたが、もう一つの目標は、2024年にタヒチのチョープー(2024年パリオリンピックのサーフィン競技の開催地)の後にゴールすることです。それが私の目標であり、それで競技人生を終わらせたいのです。オーストラリアを代表して参加したいと思っています。金メダルのチャンスが待ち遠しいです」。

 

 

メダルを掲げたオリンピック男子メダリスト。左から五十嵐カノア(JPN)、イタロ・フェレイラ(BRA)、オーウェン・ライト(AUS)。写真: ISA / Pablo Jimenez

 

 

ハワイの金メダル、デュークの夢が現実に

 

 

競泳のオリンピック金メダリストであり、現代サーフィンの父と呼ばれるデューク・カハナモクは、1912年にストックホルム大会の表彰台で「オリンピックにサーフィンを取り入れてほしい」と初めて表明し、その時に初めてオリンピック・サーフィンの思いを広めたのだった。

 

それから1世紀以上が経ち、デュークの夢が巡り巡って、ハワイ出身のカリッサ・ムーアが、オリンピック女子初のチャンピオンに輝いた。

 

 

世界中を旅して同じアロハ・スピリットを共有すること。

 

 

ムーアは、デュークのレガシーと、彼のオリンピックの夢と彼女のつながりについて語った。

 

「デューク・カハナモクは私たちのアロハ大使です」とムーア。「最近、彼のドキュメンタリーを見て、彼の人生や、いかに無条件に、愛と優しさをもって人々に接していたかを知ることができました。彼は世界各地にサーフィンを広め、オリンピックでサーフィンを披露することを夢見ていました。

 

「ハワイアンとして、彼がしたことを知り、世界中を旅して同じアロハ・スピリットを共有することは、私がやりたいことでもあります。デュークの夢を叶えてくれたISAとフェルナンドに、心から感謝しています」。

 

 

女子の表彰台(左から右)。ビアンカ・ブイテンダグ(RSA)、カリッサ・ムーア(USA)、都筑有夢路(JPN)Photo: ISA / Pablo Jimenez

 

 

台風のうねりがもたらした、オリンピック・サーフィンの最終日

 

 

台風のスウェルがヒット 写真: ISA / Sean Evans

 

 

台風の接近に伴い、オリンピック競技の中には競技を延期するものもあったが、オリンピックのサーファーたちは、台風が千葉県の海岸に向けて吹き付ける波の高さを歓迎した。

 

3日目の最終日は、5~8フィートの波とサイド/オフショアという、今大会で最高のコンディションで幕を開けた。世界のトップサーファーたちは、このチャンスを逃さず、クオーターファイナルでは、フェレイラがパーフェクトに近い9.73をマークするなど、多彩なマニューバーを披露した。

 

史上初のオリンピックチャンピオンが決定した男子金メダルマッチでは、フェレイラが五十嵐カノアと対戦し、注目の対決となった。

 

フェレイラは、1本目の波でボードを折るアクシデントに見舞われる、厳しいスタートを切った。しかし、すぐにスペアボードを取りに岸に戻ったフェレイラは、焦りも全く感じさせない試合運びを見せた。

 

イタロは、これまでのヒートのエアーゲームとは逆にレールサーフィンを駆使して五十嵐にプレッシャーをかけていった。五十嵐はコンディションの変化に対応できず、フェレイラが圧勝する形で幕を閉じた。

 

 

決勝後に抱き合う銀メダルのビアンカ・ブイテンダグと金メダルのカリッサ・ムーア。Photo: ISA / Ben Reed

女子決勝では、カリッサとビアンカが対戦。

 

 

ビアンカは、今大会の勝利の鍵を握ったバックハンド・サーフィンを披露できる波を見つけるのに苦戦したが、カリッサはワールドクラスのテクニックを発揮。7点台の波を2本揃えて合計14.93点を記録し、8.46のビアンカを抑えて、勝利を手にした。

 

 

ビアンカ、競技サーフィンからの引退を表明

 

 

銀メダルを獲得した南アフリカのビアンカ・ブイティンダグは、メダル獲得後にプロとしての近況を語り、「今回の経験は、自分に多くを与えてくれたスポーツに別れを告げる最高のタイミングです」とコメント。

 

「自分のスポーツキャリアにおいて、すべてのチャンスを最大限に活用できたと感じました。自分自身と自分の国に対して行った約束を最終決定し、尊重しなければなりませんでした。 これは区切りをつけるのに最適な機会だと思いました。私が引退することは本当です。個人的な理由や他の多くの理由から、私はこれからの人生を楽しみにしています。」

 

 

これは、サーフィンのオリンピックの旅の素晴らしいスタートです。

 

 

ISAのフェルナンド・アギーレ会長が大会が終了しコメントした。

 

 

「最初のオリンピアンが、メダルを首にかけながら表彰台に立つのを見て、涙が出ました。この瞬間は、サーフィンを通じて世界をより良い場所にするという私たちのミッションの大きな一歩でした。

 

オリンピック・サーフィンは、全く新しい世代の若者にスポーツを紹介しました。この瞬間を見た世界中の子どもたちは、今、サーフィンを知り、夢を描いています。オリンピック・サーファーになることは、実現可能な目標であることを知ったのです。」

 

「私は、これまでのサーフィン競技の中で最も多くの観客が見守る中で、サーフィンのパワー、自然とのつながり、そして私たちがオリンピックにもたらした若々しいエネルギーを感じていただければ幸いです。

 

 

私たちのスポーツの刺激と喜びが世界中に響き渡り、スポーツが社会にポジティブな変化をもたらすことを人々に示してくれることを願っています。さらに、海を日常的に利用している私たちは、世界中の人々が海をより大切にすることに協力してくれることを願っています。

 

東京2020は間違いなく大成功でした。2024年にはパリ、2028年にはLA、2032年にはブリスベンで開催されることが決定しており、サーフィンのオリンピックの未来は明るいものとなっています。これは、サーフィンのオリンピックの旅の素晴らしいスタートです。」

 

 

昨日の興奮から一夜明けて、今朝のワイドショーでのサーフィン競技の取り上げられ方は本当にすごかった。民法各局にメダルを獲得したカノアとアムちゃんが分刻みで登場し、インタビューを受けた。

また今回のオリンピック・サーフィンを扱った番組やコーナーには、小川直久、大橋海人、大村奈央、水野亜彩子らが出演。そのサーフィンの素晴らしさをお茶の間に届けた。

本当に、このオリンピックの偉大さを痛感。サーフィンがスポーツとして大きく変わった1日になった。今後、日本のサーフィンがどのようになっていくのだろう。

日本のサーフィン界が手を組んで舵取りをしていくべきなんだと思う。そして、この素晴らしいチャンスに感謝し、前を向いて進んでいこう。

 

 

NHK 東京2020オリンピックサイトでは、見逃し動画もあるので要チェック。https://sports.nhk.or.jp/olympic/schedules/sports/surfing/