WSLワールドサーフリーグは、「インドネシア・ウィーク」として、2008年にバリ島のウルワツとパダン・パダンで行われた「 Rip Curl Search バリ」やクラマスの「コロナ・バリプロ」を特集。
またWSLは、そのタイミングでバリでキャリア初のCT優勝を決めた五十嵐カノアに電話取材。その初優勝を成し遂げたバリ島について、また最近どのように過ごしているかなどを聞いた。
WSL:インドネシアへの最初のトリップはいつですか?
五十嵐:日本からバリは、とても近いから、両親はいつもバリに行っていました。初めてバリに連れて行ってくれたのは9歳くらいだったと思います。その後、家族と一緒に何度か行ったことがあります。
初めてバリ島での試合に出場したのは、14歳のときのワールドジュニアでした。そこで初めてクラマスでサーフィンしたんです。
波が怖かったですね。アウトにずっといたのを覚えています。物凄く浅くて掘れた波で信じられませんでした。最後のセクションをビビって攻められず、最初のラウンドで負けてしまったんです。怖いからクラマスでは二度とサーフしないだろうとバリを去ったことを覚えています。
ルーキーイヤーのパイプでのファイナルは、正直言ってまぐれでした。
去年のバリでのCT初優勝は、自分にとってどんなものでしたか?
本当に特別でした。正直なところ、その勝利は自分の人生を変えました。それは自分にとって突破口的なものでした。自分はルーキーイヤーにパイプでファイナルを戦ったんですが、正直に言って、その結果はまぐれでした。
そのイベントで本当に良いサーフィンをしましたが、優勝候補のように感じることはありませんでした。自分は18歳でまだ子供で、自分の居場所がわかった感じでしたね。
クラマスでは最初から勝てると思っていました。
でも去年のクラマスは、ヒート毎に優勝へ向かって勝ち進んでいる感じでした。パイプでは、ジーク(イズキール・ラウ)のクオリファイのためにセミファイナル進出を狙っていたんですが、クラマスでは最初から勝てると思っていました。
準備は完璧で、クラマスの波が自分のサーフィンに合っていると感じました。いま自分は世界タイトル候補です。今までにそのようなことを感じたことはありません。かけ離れていると思っていました。でも、この勝利は、自分の試合の戦い方、トレーニング方法、自分自身の見方さえ変えました。
正直言って、あの勝利が私の考え方を永久に変えたようなものです。永遠に続けることができるかどうかはわかりませんが、次回のバリでは、完全に勝つことが期待されるイベントになると思っています。
サーフィンだけではなく、もっと重要なものが世界中にあることを忘れています。
21歳のカノアは、コロナ・バリの決勝でジェレミー・フローレスを倒しCTイベントで優勝した日本人初のサーファーとなった。
コロナウイルスで、考え方はどのように変わりましたか。
それは全く大きく異なる感情ですが、サーフィンよりもはるかに大きなことです。他にも気になることがたくさんあります。試合がないとかサーフィンできないとかが今のところ最大の問題であると考えるのはかなり利己的です。結局のところ、何をするときにも自然からの警告があって、それを思い出すためのメッセージなんです。特にサーファーである僕たちに。
試合が延期になったととき、最初は行く準備ができていたので困っていました。サーフボードをはじめ、これまで以上に肉体的にも精神的にも準備ができていると感じました。でも、この5〜6年の中で最も友人や家族と多くの時間を過ごすことができました。
アラームなしで目を覚まし、両親と一緒に朝食と昼食をとっています。それはとてもシンプルに見えますが、僕にとって本当に特別なことで、サーフィンができなかったり、試合がないことの痛みを和らげてくれました。
自分のペースをスローにしてくれて、ささいなことにも感謝しています。ツアーで僕は利己的で視野が狭過ぎる。ある意味で、サーフィンだけではなく、もっと大きくて重要なものが世界中にあることを忘れています。だから、これはステップバックして家族と過ごすための重要な時間でした。再び試合ができる時には、これまで以上に準備ができると思います。
WSLニュースより引用
https://www.worldsurfleague.com/posts/451167/the-win-that-changed-kanoa-igarashis-life