ハワイと日本の強い絆。DA HUI backdoor Shootout 2019 記念イベントで感動の映像公開。

松岡慧斗と中村昭太、DAHUIデビッド・スタント氏

ハワイ・オアフ島ノースショアのフィールドを守る『Da Hui』が、1975年の結成以来開催している歴史あるコンテスト「DA HUI Backdoor Shootout 」の記念イベントが東京、大阪で開催された。

 

素晴らしいメンバーによるトークショー

 

今回のイベントでは、素晴らしいコンディションで行われた今年のコンテストの模様を収録した映像を見ながら、輝かしい結果を残した“チームジャパン”の選手たちとハワイ・ダ・フイの創始者の一人であるデビット・スタント氏を交えてのトークショー、フラダンスなどが行われた。

 

日本のサーファーが感謝しなければならないハワイ・ダ・フイ・ファウンダーのDavid Stant さん。日本人サーファーの良き理解者であり、この人の尽力無くしては彼らの活躍はあり得なかった。

 

ここでしか観ることのできないチームジャパンとロコサーファーが繰り広げた素晴らしいライディングとインタビュー映像は鳥肌ものだった。

 

今年1月にコンテストが終わり、彼らは何度、このような公の場で気持ちを伝えてきたのだろう。僕たちは月から生還した宇宙飛行士の話を聴く子供のように、彼らの生の言葉に耳を傾け、気が付けば大きな拍手を惜しみなく送っていた。

 

 

今年2度目のチーム・ジャパンとして参加した松岡慧斗は、今大会唯一のパーフェクト12ポイント・ライドをスコアして、2年連続の3位入賞の快挙。そして、今回初参戦となった中村昭太もバックドアで10.5をスコアして、4位と大健闘を見せた。この二人の活躍無くして今年のイベントは語れない。

 

松岡慧斗

 

松岡慧斗「このコンテストはGOと言われれば、GOなんです。自分が如何にコンディションを整えておけるか。どれだけパイプラインをリスペクトして臨めるかを試されているコンテストといっても過言ではないです。行けるって思える日もあれば、メチャクチャ怖くなっちゃう日もある。その繰り返しで、それは16年間ハワイに通い続けても変わらないです。

それを積み重ねて、やっと2年続けてこのコンテストに出れるようになって。あのパイプラインを30分間、仲の良い日本人4人だけでシェア出来るなんてことは、ダフイバックドアシュートアウト以外では考えられない。本当にスペシャルなコンテストなんです。

なぜ自分があんな波に乗れたのかもわからない。全てが繋がって。仲間とシェアした気持ち、自分が乗った波、あの空間全てを忘れることはできません。そこにはハワイアンのカルチャーがあって、その人たちが自分たちを受け入れてくれて、自分たちがそのステージに立てたわけなんです。言葉では説明することが出来ないくらいスピリチュアルで特別なコンテストなんです。」

 

中村昭太

「言葉に出来ないほど感激でした。自分たちのヒートを待っている時間が一番強くて、恐怖で潰されていたんですが、海に入って4人だけであの波をシェアできた感覚は、一生味わえないものだと思っています。また来年出られるように目標にしています。」

 

 

フォトグラファー神尾光輝

世界レベルの泳力を持つ、日本屈指のサーフィン・ウォーター・フォトグラファー、神尾光輝。彼がライフワークの場と考えるサーファーの聖地であるハワイ・オアフ島ノースショア・パイプライン。そこで行われる今回のイベントを最初から最後まで海の中で彼らを撮影し続けた。

「僕は彼らが様々なものを背負ってこの大会に挑んでいることを知っていました。ケイトは10年以上前の子供の頃からパイプで決めるのが目標だと言い、それを思い続けて今年それを成し遂げてくれたんです。

ショータは去年のイベントに出場できなくて日本で泣いていたんです。その思いを胸に今年のイベントに参加していたんです。試合が始まって僕とショータは、海の中でいちばん近いポジションにいて、彼がパイプのコンディションに敢えて、危険が伴うバックドアを狙っているんだって分かり、その覚悟に感動しました。」

 

DAHUI創始者のDavid Stant

「彼らのヒート前に『Don’t go, don’t come in. 乗れなければ、戻ってくるな!』と言ったのは、日本チームをこの試合に戻すために様々なことがあった。だから日本人サーファーがパイプラインやバックドアを滑るとこを見せてほしかった。そして、彼らはそれを証明して見せたんだ。」

 

今回、初公開された映像は、SNSに溢れるものとは全く違う、サムライたちが大波と同調する魂を揺さぶるシーンの連続であった。

 

そして、このコンテストを支える多くの人々のインタビュー映像には、忘れることのできない言葉の数々が収録されていた。

 

このパーティに参加して、このイベントの本当の価値や大切さ。そして日本人が参加できる奇跡は、これまで日本人がノースショアで積み重ねてきたもの。そして、それを理解して支えてくれた人々の尽力があっての賜物なんだということ。本物を知るためにはルーツを知らなければならないということが分かった。

 

そして、今回の日本チームの活躍は、それら全てへの恩返しなのだということを再認識できた。今後もこのノースショアで結ばれた日本とハワイの強い絆が続いていくことを願いたい。

 

 

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Hui O He’e Nalu, North Shoreさん(@huioheenalunorthshore)がシェアした投稿

 

今回初来日したウルアロハ(写真右)。彼もまたアロハ・スピリットを伝承するサーファーのひとり。
この大会で撮影されたケイトとショータの2枚の写真はイベントの最後にデヴィッドさんにプレゼントされた。
ダ・フイ・ジャパンのゼネラルマネージャーである鎌田氏の情熱が、日本のサーファーたちにチャンスを与えた。
生粋の志田ローカルで一宮町サーフィン業組合長であるハードコアサーファー鵜沢清永氏も、ダフイバックドアシュートアウトに出場したときの驚きのエピソードを語った。
元JPSA理事長のプロサーファー牛越峰統氏もダフイバックドアシュートアウトに出場経験があり、当時は日本人ヒートではなく、混合ヒートで厳しかったと。また日本人ノースショア・アタックの歴史を熱く語った。
父親のDNAを引き継ぎ、ワイメアやサンセットなどのビッグウェイブにチャージするなど、ハワイ中心にサーフィンライフを送ってきた堀口真平。今回は日本のキャプテンとしてチームを牽引。ハワイと日本の伝道師としてチャンスを貰えたことに感謝ですとコメント。
乾杯の音頭は、ハワイダフイのコンテストをサポートする日本初の企業となったデイトナ・インターナショナル/フリークスストアの鹿島社長。彼らのサポートがなければ、日本チームの偉業は成し得なかった。「これからも応援していきたい」とコメントした。
ハワイから参加のDAIVIDファミリーと記念撮影する鹿島社長
石丸義孝さん、鵜澤清永さん、ネクストレベル舟橋大吾社長など、千葉からダフイと関係の深いコアサーファー達がイベントに駆けつけた。
このダフイバックドアシュートアウトのサポーターである永和貿易の三松社長も挨拶。熱いハートで日本のサーファーをサポートしてくれている。
神尾フォトグが撮影したジミー・ウルアロハ・ナペアヒのウオーターショット。本人のサイン入りでプレゼントされた。
日本のサーフィンレジェンドである川井幹雄氏も来場。
ケイト、ショウタのスポンサーなど多くの仲間達がお祝いに駆けつけた。

 

取材協力:http://dahuijapan.com/

 

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