大原洋人が2022年シーズン振り返り&2023年への意気込み記者会見。屈辱的な1年を乗り越えて完全復活へ。

2020TOKYOオリンピック5位入賞を果たし、日本のサーフシーンを牽引して来た、世界を舞台に活躍する大原洋人。腰の疲労骨折と分離症のため、今シーズンの8月のUSオープン以降の試合を全てキャンセル。

 

完全復活を目指して、約半年間を治療に充ててきた。そして治療の甲斐あって、100パーセントとは言えないまでも、思い切りサーフィンができるまでにようやく回復。そんな大原が厳しかった1年を振り返りながら、来年への意気込みを語った。

 

 

大原洋人

 

多くの屈辱的な感覚を味わいました。

 

「今年は人生で初めて試合から長い間離れて、人生で初めて、なんかこう多くの屈辱的な感覚を味わいました。試合に出ている選手を沢山見ていて、早く自分も出たいなって思っていた一年でした。

 

それ以外の部分では、家族が出来て、海外の試合に行かなかった分、家族との時間を多く過ごせたなというのはありました。今後、試合に復帰すれば家族との時間は少なくなることは間違いないので、そういう意味では良い一年だったとも言えます。」

 

「怪我の方は、まだ完治はしていないんですけど、怪我をした当時から見れば、サーフィン出来るようになっています。1カ月ぐらい前から、毎日サーフィンしても腰の痛みが酷くなるとかなく出来るようになっています。

 

来年の試合は、1月の終わりにあるフィリピンの大会になんとなく標準を合わせているんですけど。

 

 

 

3月の日本の試合(宮崎・日向)で完全復帰を目指す

 

1カ月前にようやくサーフィンが出来るようになってきた時は、フィリピンの試合が予定されていなかったので、3月の日本の試合(日向)を目指して完全復帰できれば良いなって考えていたんですけど、急遽入った予定なので、試合まで残り1カ月で自分がどれくらいまで戻せるかで『出るか、出ないか』を決めようかなと思っています。

 

なので1月の試合(フィリピンのQS3000)は未定という感じで、調整しているところです。

 

 

USオープンに出た後2カ月ぐらいはサーフィンしなかった。

 

リハビリの先生からも『サーフィンやっていいよ』というよりは、やらないことでストレスが溜まるようであれば、激しい技とかせず痛みが出ない程度ならいいよって言われていたので、そんな感じを3、4カ月続けていた感じですね。USオープンに出た後2カ月ぐらいはサーフィンせずに、治療に専念していた感じでした。

 

リハビリ中も1週間に1回やったり、2週間に1回やったり、ちょこっと海に浸かるような感じでサーフィンはやっていました。

 

リハビリ中は、CTからJPSAまでたくさん試合を見る機会があったので、自分だったら、こうしていたのになぁとか、こう出来ていたのになぁとか思ったり、CTの試合とかだと、復帰した時こんな技を練習したいとか。今まで以上に想いが膨らみましたね。

 

 

 

 

細かい部分の感覚が戻りきってない。

 

トータルで5カ月近くサーフィンをやらない時間があったので、いまサーフィンに戻って1カ月ぐらいで50パーセントぐらいしか戻ってないかなって感じなんですけど。YouTubeとかでサーフィンの映像とかも流しているんですが、見た感じ悪くないなって自分自身感じる部分もあるんですけど。

 

波に乗っている時の足の裏の感覚とか、細かい部分の感覚が戻りきってないなって感じるんです。試合に出るとなったら、そこを100%か120%に戻してから出たいなっていうのがあるんで。3月までなら絶対戻せるなって思っていたんですが、急遽1月に試合が入って、それをどう対応しようかなって今考えているところです。」

 

疲労骨折と分離症と診断されると、一般的な治療としてはインナーマッスルを鍛えることになると大原が言った。自分もそういう部分を鍛えていたと言う。そして、サーフィンでも私生活でもその使い方をしていれば再発するだろうと言われ、それ以来自分の体の使い方を変えるように心がけているのだと言う。

 

 

 

大原洋人が、怪我で試合から離れいていた期間中に取り組んでいた物の一つにYouTubeがある。チャンネル自体は2020年春にスタートしていたが、今年は試行錯誤して様々な形の情報を大原洋人なりに配信し人気となった。試合に本格的に復帰する来年はどのような活動をしていくのか聞いてみた。

 

俺は何の仕事をしているんだろうって思うこともあった。

 

「サーフィンの場合だと、自分が海に入っている時は撮影してもらうカメラマンが必要じゃないですか。だから(海外の遠征先に)連れて行ってあげるお金はないんで、カメラマンが来たいと言ってくれれば、お願したいですけど。そんな感じですね。日本にいる時は撮影していきたいとは思っています。

 

大原洋人がYouTubeチャンネルを続けている理由。

 

自分の中でサーフィンの撮影すれば、しゃべる動画も撮るけど、海に入れば自分の練習になる。何か他の予定が入りそうでも、YouTubeの撮影という予定を入れれば、その時間はサーフィンの練習という時間にもなるので、そういう部分でもマイナスはないなって思うんです。

 

オリンピックがあっても、まだまだサーフィンを知っている人って少ないので。そういった部分でもサーフィンが上手いだけで認知度を高める以外の部分で今ってSNSで自分の認知度を高めることができると思っています。

 

そして、人それぞれ個性があると思うので、それを動画で出してファンが増えたりとか、サーフィンが認知されたりとか、していけたらいいなって感覚で今はYouTubeやってます。

 

特に今は日本にいる時間が長いので。サーフィンも出来なければ試合にも出れない。家にいる時間が長くて、たまに俺は何の仕事をしているんだろうって思うこともあったんです。

 

お金を稼ぐためにYouTubeやるというよりは、仕事をして何かプラスになること、それがお金じゃなくても。サーフィンを少しでも多くの人に見てもらうとか、そんな風に繋がればいいなと思ってやっています。」

 

 

 

パリ・オリンピックの会場となるタヒチの波。『怖かった』

 

パリ五輪のサーフィン競技会場となるタヒチのチョープー Photo: WSL

 

パリ・オリンピックの会場となるタヒチは、4年ぐらい前に一度だけ経験済みで「中途半端な状態で挑める波ではない」と説明。タヒチという名前が怖かったと告白した。「チョープーという海が波のサイズに関わらず怖かった。自分がこれまで経験したことのない感覚だった。」

 

危険で物凄い波なんだという先入観から「恐怖」を感じたという。しかし、パリ・オリンピックの会場でなかったとしてもCTでは毎年行われている場所。自身の中で克服しなければならない場所の一つとして考えている。

 

 

 

 

CSに出れなくなった時が一番悔しかった。

 

「一番悔しかったのは、CSに出れないってなった時が苦しかったです。結局ワイルドカードを貰って出れることにはなったんですけど、出れないってなった時は今年の目標なくなったみたいな感じでした。

 

どうするか考えても、家族も出来て長期で海外に行くのも違うかなって思ったし、怪我もしているから怪我の治療に専念しようかなとか悩みました。

 

そんな時にワイルドカード貰えるよってなって、じゃあ無理矢理でも出ようってオーストラリア行って、それから怪我してると試合勝てないなって感じて。治療しようと思ったんですけど。

 

いろいろな気持ちがぶつかり合って

 

その時の感覚と怪我で試合出れない時の感覚は、いろんな気持ちがぶつかり合って、試合に出たいし、サーフィンやりたいけど出来ないという悔しい気持ちと、でも今はいま自分が何するべきか、治療して1日でも早くサーフィンするということに集中するということに取り組む気持ちが、ひたすらぶつかり合っていました。

 

そこで自分は敢えてたくさん試合を見て、試合に出たいという気持ちを強く強く持ちようにしていました。復帰した時にそれが爆発できたらいいのかなって考えていました。気持ちのアップダウンが激しかったです」

 

ASIA OPENでCSクオリファイを決められなかったのは怪我の影響が多いのかという問いに対しては、「実際にあったはあったと思う。」と回答。「試合前に板が届いた瞬間に怪我して、ほとんど試さずに試合に出た」と告白。「痛みが出ないリスクをとって試合をしていた」と試合を振り返って言った。

 

 

最後に来年に向けて一言。オリンピックも視野に入れて覚悟を持って

 

 

「3月の九州の試合から始まって、3戦が3月中にあるので、その3戦が来シーズンのCSに出るためのポイントを稼ぐ最後の試合なので、そこでポイントを取ってCS出て、CTクオリファイしたいなって思っています。

 

既にポイントを持ってランキング内にいる人はいると思うんですけど、自分が100%の状態に戻れれば、3戦あればCS出れると思うし、そこを目指しているのではないから。CT目指して試合に出て、オリンピックも視野に入れて来年覚悟を持ってやっていけたらいいなって思っています。

 

家族も出来て、ただプロサーファーやっているだけではダメだと思っていて、オリンピックに出て、自分に何ができるだろうと、この怪我で考える時間も出来ました。

 

少し前から自分の姉の沙莉と一緒に環境のこととかやりたいと話していて。自分たちの仕事場である海を綺麗にすることとか、ゴミを無くすこととか、そんな問題に取り組んで貢献したいなと思ってそんな活動もしていきたい」と語った。

 

 

  • ラ・ウニオン・インターナショナル・プロ
    フィリピン – QS3000
    2023年1月20日~26日(大原が出場するかは未定)
  • ホワイトバッファロー日向プロ
    宮崎、日本、QS1000(3000の可能性もあり)
    2023年3月2日~3月5日
  • セントラルコーストプロ、
    オーストラリア – QS3000 オーストラリアとの共同開催
    2023年3月13日 – 18日
  • シティ・オブ・ニューキャッスル・プロ、
    オーストラリア – QS5000 オーストラリアとの共同開催
    2023年3月20日 – 26日

 

 

2015年にUSオープン優勝という日本のサーフィン史上初の快挙を成し遂げた大原洋人。彼の優勝が日本のサーフィン界にとって大きなターニングポイントになり、日本における競技サーフィンの新時代の幕開けとなった。

 

それから彼の名前は日本だけではなく、世界で知られるようになり、彼のステージは世界へ。そして、日本人選手としては最もCTに近い男と呼ばれ、オリンピックの日本代表も獲得した。

 

その他にも日本のサーフィン史に残る偉業の数々を成し遂げてきた大原洋人だったが、今シーズンの後半は怪我の治療に充てて試合から離れた。結婚し子供も授かり、第2章の人生を家族とともに歩み始めた大原洋人。これまで見えなかった世界が、今回の怪我のおかげで見えてきたとも語った。

 

そして、いま彼の夢である世界のトップ36だけで競われる世界最高峰のWSLワールド・チャンピオンシップ・ツアー入りを目指す大原の反撃が始まる。がんばれ!大原洋人!