大橋海人インタビュー。新しい世界への挑戦〜新たなプロジェクトを立ち上げ、次のステージへ。

フリーサーファーを公言するも、大橋海人のコンペティションの歴史は長い。自分の追い求めるサーフィンのためには、コンペの実績も必要だという考えからだ。

JPSAで17歳でプロになり、ルーキーオブザイヤーにも選出。2012年にはJPSAで年間ランキング2位まで順位を上げ、海外をも転戦。21歳で24年ぶりに開催された「稲村クラシック」で優勝など実力は広く知られる。

2014年に南アフリカで右足首骨折するも3ヶ月で現場へ。翌年にはWSL JAPANのリージョナルチャンピオンになり復活してみせた。2016年からNSA強化指定選手に選出され続け、第1回「ジャパンオープン」では村上舜と戦い、準優勝という結果も残した。

それでも、海人のコンペのスタイルはフリーサーフを感じさせる。多くの人を魅了するそのスタイルは、いったいどこから来るのか。それは海人の歩んできた道そのものだった。

2020年、コロナ禍でサーフィンの大会はほぼキャンセル。この期間に自身で新たなプロジェクトを立ち上げ、次のステージに進み始めた海人。いま思うこと。そして、これからのことを改めて聞いた。

取材、写真 :山本貞彦

 

インドネシアのニアスで行われたQSイベントで準優勝した大橋海人 (C) WSL / Tim Hain

 

ーコンペの実績があって、今、フリーサーフィンに転向という決断をしました。フリーサーフィンを意識したのはいつからなのですか?

 

それはもう小学2、3年生ぐらいですね。最初は試合に勝つためにトライフィンで練習していたんですけど、和也くん(佐藤)が「本当にサーフィンを学んで、リアルなサーファーになりたいんだったら、いろんな板に乗れ」って言ってくれて。

 

和也くんにいろんな所に連れて行ってもらって。「今日はこのツインフィン乗れ」とか「シングルフィン乗れ」とか。そこでいろんな波に乗って、こう遊んでいたって感じですね。そこでサーフィンというのはショートボードだけではない、コンテストだけではないということを教えてもらいました。

 

ーもう、その時からコンペよりもフリーへの思いが芽生えていたんですか?

 

思っていましたね。自分はサーフィンが上手い人になりたいって。だから、プロになったのが17歳なんですけど。それまでプロにならないとも言っていたんです。ムラサキスポーツにも「プロになるつもりはない」と言って「自分は世界に認められるサーファーになりたい」って。「試合に勝つだけがサーファーではないんだ」ということをその頃から言っていました。

 

プロという資格がなくても、日本の試合に出ないで海外で勝っている人もいたし。それこそ海外で勝てば、食べていけると思っていたんです。だから日本の資格にはあまり興味が無くて。

 

ただただ、リアルなサーファーとしてやっていきたい、という思いが強かったですね。でも「ライダーとしてやっていくなら、プロの方がサポートしやすい」ということを言われて、その年にプロになったんです。

 

 

ー後輩の稲葉玲王村上舜のインタビューで、彼らは後のフリーサーフィンのためにコンペをやっていると言っていましたが、同じ考えですか?

 

自分はとにかくサーフィンが好きなんですよね。フリーサーフィンの方が良いけど、実は試合も好きなんです。良い波で4人で出来るというところが。勝ち負けというよりは、良い波で4人でできるのって最高じゃないですか。

 

自分はサーフィンに関して、かなりナルシストというか、注目されるのが好きなんですよね。Youtubeで動画やっているぐらいですから(笑)。

 

試合で優勝した時の高揚感も捨てがたいですけど、試合は見てもらえるというのがあるので、みんながわーっと盛り上がってくれると自分も気持ち良いし。それが結果、4番でもみんなが一番盛り上がっていれば、自分は最高なんです。

 

基本、人を楽しませたいし、自分も楽しみたい。ジュニアの時から飛んだり、跳ねたりずーっとやっていましたけど。それで勝てたら一番カッコいいというのがありましたから。無難に勝つのではなくて、魅せて勝ちたいという気持ちが強かったからでしょうね。

 

試合について結果は負けでも、サーフィンでは絶対負けないぞという気持ちでいつもやっていましたから。自分は試合に勝つためとかじゃなくて、ただ自分が楽しいか、楽しくないかという判断なんです。サーフィンしていて、やはり自分が楽しいのが一番なんです。

 

 

ただ、CTサーファーになってリタイヤしてフリーサーファーになるのが、一番カッコいいなと思っていましたから。自分の好きなサーファーで、Rob Machado や Dane Reynolds がそんなリアルサーファーだったから。そこをやれば誰も文句は無いだろうって、その頃は考えていましたね。

 

 

 

 

Dane Reynolds やRob Machadoのサーフィンや生き方に憧れていました。

 

 

ーフリーサーファーにのめり込むこきっかけみたいなものは、何かあったんですか?

 

20歳の時に日本でバズるというか、自分が企業に認めてもらうにはどうしたら良いか考えていて。どんなに自分がすごいことをやっても、日本から発信していては絶対無理だと思ったんです。でも、日本にそのことが逆輸入で入ったら、簡単にバズるなって。それって海外崇拝の日本人の悪い部分でもあるんですけど、それも真実だし。

 

そんなことを考えている時に、フリーサーファーの Dion Agius に出会って、Dionと世界を回ったりして、フィルマーのKai Neville の家に泊まって。そうしたら、Kai が「お前イイね!」って認めてくれたから。日本でも「お前イイね!」となるかもと思ったんです。

 

今、Dion はエポキというサングラスをやっているんです。自分は元々オークリーでお金も出ていたんですけど、彼らと一緒にいたいと思ったので、エポキのファミリーに入りました。

 

その Kai Neville が、自分は世界で一番のエディターだと思っているんですけど。そんな彼がオーストラリアにいる時に「海人、大会かもしれないけどフィジーに撮影に来ないか」って。コロナビールのCMの撮影で自分をブッキングしてくれたんです。

 

 

 

 

それがもう2日後に大会が始まる予定だったんですけど、自分は行くとすぐ返事して。フィジーに着いたら、参加メンバーがStephanie Gilmore、Michael February、Alana Spencer らで驚きました。

 

 

カイ・ネビル、ステファニーやマイケルたちとの時間は海人にとって特別なものとなった 写真:カイト提供

 

Kai の仲間にはCT選手だったり、フリーサーファーもたくさんいるんですけど、自分を選んでくれたということがすごく嬉しくて。それにピックされたのは誇りに思えました。ただの友達になるだけでは無理だし、ちゃんとサーフィンが「イイね!」と思ってくれないと叶わないことだったと思うんですよね。

 

そんな出会いからの付き合いや、自分が好きなDane Reynolds やRob Machadoのサーフィンや生き方に常に憧れていましたね。

 

 

 

 

「自分はフリーサーファーになりたい」とずっと言っていたんです。

 

 

ーそして、昨年、コンペを廻らずにフリーに専念ということになりましたが、問題は無かったんですか?

 

20歳ぐらいから自分のスポンサー企業には「自分はフリーサーファーになりたい」とずっと言っていたんですね。「初めは試合にも出て両立もするけど、フリーサーファーでできるなら、フリーサーファーでいきたいです」と昔から伝えていたんです。 Dion たちもいるしと言ってて。

 

さっきのフィジーもそうですけど、大会に行っていて、Dion たちから撮影に来ないかって連絡は20歳ぐらいからあったんですね。でも、自分は試合に出るから行けないというのがずっと続いていて。

 

大会に出ないであっちに行きたいという話は、その都度、スポンサーに話していたんですけど。やはり、何戦は出るという契約もあったし。実際、大会に出て結果を残さないと、みんなを納得させることはできないということもありましたから。

 

その状態がずーっと続いていたんですけど。昨年、スポンサーが「フリーでもいいよ」って言ってくれて。それで「これからはフリーで、いかしてもらいます」となったんです。その後、コロナ禍になってましたから、どっちにしても大会が無いから、みんなはコロナ禍で出てないんだと思ったようですけど。そうではなくて、そういう経緯はありました。

 

 

大橋海人

 

 

このまま続けていたら、サーフィンできなくなっていたかもしれないと言われました。

 

 

ー試合に出ないという理由に、昨年の左股関節の怪我もあったのかなと思ったんですが。

 

実は、怪我をしたということじゃないんですよね。ずっと20歳ぐらいから、調子良くないなと思っていた箇所を治した感じです。コロナ禍でどこにも行けないから、今、治してしまおうと思って。

 

簡単に言うと、股関節の端の方が出っ張ってしまって、曲げた時に当たるんです。当たるから痛いし。18から20歳の時や、成長期には良くあることらしいんですけど。18歳ぐらいまで出来ていた簡単な技が、20歳で出来なくなったんですよね。

 

エアーなどは足が開くのが大前提なんですけど、そこまで開かなくて。どんなにストレッチして柔らかくしても開かないというのが、もう8年ぐらいずっと続いていたんです。それが今ではリップしても痛いし、おかしいなって思っていて。それで、知り合いのところで医者を紹介してもらって。

 

そして、股関節の権威のある病院に行って診てもらったら、「これは痛いはずだ」と。飛び出たままでサーフィンしていたから、軟骨がもうすり減っていて半分ぐらい剥がれ落ちていた状態でした。「このまま続けていたら、サーフィンできなくなっていたかもしれない」とも言われましたね。

 

ーそれで手術を決意したと。

 

そうです。それが昨年のタイミングだったんです。それで、前の状態に戻すために、丸く削りました。でも、もしコロナ禍とかのサーフィンができない状況が無かったら、たぶん手術はしていなかったかもって。きっと、今でも痛いままサーフィンしていたと思います。

 

今、復活してすごく調子良いんですよ。エアーとかもバンバン決まるし。足に吸い付いてくるというか、前の楽しい時の気分に戻ってきていて、すごく楽しいです。

 

 

 

自分が最前線で一番カッコいいことをして、サイクルを作っていきたいんです。

 

 

ーでは、その目標とするフリーサーファーについて。どうやってフリーサーファーを認知させようと思っていますか?

 

海外とかで試合に勝っている人のモノも売れますけど、それよりもフリーサーファーが使っているモノの方が売れてたりするじゃないですか。オクトパスのDion Agius、Nate Tyler、Chippa Wilson だったりとか。自分もフリーサーファーが好きで、Rob Machado や Dane Reynolds とか。スタイルがある人が陸でもカッコいいと思っていて。そんな人が使っているモノが欲しいというか。

 

例えば、サーフィンが国技とも言われるオーストラリアならば、コアで玄人な人たちがたくさんいますよね。企業に行けば、みんなサーフィンが上手くて、サーフィンを知り尽くしている人たちが多くいて。それぞれがスタイルを持っているんです。

 

だから、そこではいろんなスタイルが求められるわけで。コンペのCTだけでなく、フリーサーファーの人のたちのモノも売れるんですよね。フリーで活躍しているサーファーでもスタイルが良かったり、生き方がカッコいいよねとか。コンペティションのCTだけでなくて、たくさんの選択肢の中から選べる土壌があるんです。

 

なので、そこに目をつけるというか。日本もオリンピックでサーフィンが認知されて、コロナ禍ですけど、時間ができた人がサーフィンを始めたりしていて。今、浸透し始めていると思うんです。それこそサーフィン人口が増えれば、その分、求められるスタイルも増えると思うんです。

 

今、日本の企業の考えでは選手のサポートについては、コンペ中心でフリーにはメリットが無いって思っているですけど、自分はそこを変えていきたいんです。まず、自分が最前線で一番カッコいいことをして、そのモノが欲しくなるというサイクルを作っていきたいんです。

 

 

Win Winなリスペクトし合える関係というのが、一番重要だと思っている。

 

 

自分はただ単に自分がフリーサーフィンやって、自分だけ満足すれば良いとは思っていなくて。その今までお世話になってきたスポンサー企業、ムラサキスポーツなどにいかに還元できるかということは常に思っているんです。

 

日本でもフリーサーファーのモノが売れるんだというベースができたら、日本にもフリーサーファーが浸透すると思うんですよね。今、Youtubeもやっているのも、一般の人たちが知るきっかけになると思うし。それをやることで企業にも返せる一つの手段になりますから。

 

ただお金をもらうだけじゃなく、サポートしてくれる企業にメリットがあるかということを、考えなくてはいけないと思うんです。まず企業と話すときは、自分の夢をもちろん言うことも大事なんですけど。自分を雇うメリットを説明して、それでモノが売れれば企業も潤うんだ、ということを話さなくてはいけないと思うんです。

 

それこそリスペクトし合える関係というのが、一番重要かなと自分は思っていて 。Win Winな関係を作りたいですから。さらに言えば、自分らだけでもダメで、購入する一般の人たちもWinな関係の中に入れないと、成り立たないと思うんですよね。そこをクリアできれば、フリーサーファーも認められると思うんです。

 

大橋海人

 

 

オリンピックでサーフィンに興味を持ったとしても、それだけでは本当のサーフィンの良さは分からない

 

 

ー日本では一般の人が知る機会って、やはり、このオリンピックは大きいと思うんですけど、それはスポーツとしてのコンペのサーフィンじゃないですか。そこはどう考えていますか?

 

そうですね。一般への認知と言う意味では、オリンピックなどのコンペは絶対必要だと思います。ただ、そうなると日本では水泳とかのスポーツよりになってしまう可能性が大きいと思うんですよね。それがダメなわけでは無いんですけど。オリンピックに近づけようとし過ぎて、ある意味、つまらなくなってしまわないかなって。

 

オリンピックを見て、サーフィンに興味を持ったとしても、それだけだと本当のサーフィンの良さってわからないんじゃないですか。実際、技の点数の付け方もわからないし。興味持ってくれても、結局、離れていってしまうと思うんですよね。

 

そこで自分たちがフリーサーファーとして、試合で見ることができないリアルなところを追い求めたりする姿とか。過酷なチャレンジをするところや、そのライフスタイルを見せることができたら、その人たちも試合と違って、こんな世界もあるんだという驚きが生まれるかなって。それで、さらに興味を持ってくれると思うんです。

 

今、日本はオリンピック、オリンピックってなっていますけど、これが終わった時にどうなってしまうのか。また、昔のマイナーに戻ってしまうのか。だから、オリンピックが終わって、離れて行く人をどれだけ引きつけられか、業界の課題でもあると思っています。

 

 

 

ちょっとスポーツとかけ離れているところを見せられるのがフリーサーファー。

 

 

ーサーフィンはスポーツの面だけではなくて、カルチャーという部分がある。より人の生活に入っていけるようなものだから、それを伝えていきたいということでしょうか?

 

それを伝えていきたいですね。自分は一般の人と話す機会もあるんですけど。サーフィンを知らない人に、自分の体験談とかを話すと「え、そんなことやってるんですか!」みたいに驚かれるんですよね。

 

波を探しに、何時間もガタガタ道をドライブしたり、道が無いところをかき分けて、崖のところから波をチェックしたり。それこそ1週間いて、1週間波が無くて、サーフィンができないこともざらだったりするじゃないですか。それが一般の人たちから見たら「何か、冒険映画みたいだね」って良く言われるんです。

 

サーフィンが、ちょっとスポーツとかけ離れているところも見せられたら。それもサーフィンの魅力の一つだし、そこの部分を見せられていないのは、もったいないと思っていて。その世界を見せられるのがフリーサーファーだと思うんです。

 

なので、そこを自分の強みとして、自分の知名度を上げながら、そういうところを見せることができれば、一般の人たちもこんな面白そうな世界があるのか、こんな追い求める世界って、どれだけ楽しいんだろうっていう話に、きっとなるじゃないですか。だったら、やってみようと思う人が増えると思うし、それで実際に増えたら嬉しいし。

 

 

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8年間在籍したハーレーを辞めて、フォーマに移籍したんです

 

ーフリーサーファーになって、自身が発信するスタイルだったり、考え方を見せていくということですが、自らもビジネスに関わろうと思ったのはなぜですか?

 

8年間在籍したハーレーを辞めて、Dane Reynolds、Craig Anderson、Austyn Gillette、Dylan Rieder というメンバーが立ち上げたフォーマに移籍したんですけど。これはただ単にフォーマが大好きで、Dane Reynolds が世界一好きなサーファーで、世界一好きなチームで、そこから声が掛かったら、断る理由は無かったです。

 

やはり、彼らも自分と同じようなことをやっていて。ブランドをデザインしたり、戦略を立てたり、それこそ自分たちでシッピングとかもやっていて。みんなでフォーマの方向性とかを考えて作っている。それを自分も一緒になって考えたいと思ったんです。

 

だから、フォーマジャパン(NINEBALL,LTD.)に入社して、彼らの一員となって、日本でどう展開していくか。CMO(Chief Marketing Officer)マーケティング責任者という役職で、実際に直接、Dane たちと話せて、またそれを直にみんなに伝えられるという仕事にすごい魅力を感じたんですよね。

 

コロナ禍だからではないすけど、これからはライダーだけでやっていくことに限界があると思うし、今、現役で、このフリーサーファーになったタイミングで、仕事としてもいろんなことを学んでいきたいと思ったんです。

 

 

 

デッキパッチ、リーシュなどの新ブランド「Lordish Behavior」を夏ぐらいに立ち上げます。

 

 

ーたとえば、自分で何か新しく生み出していくことは考えなかったのですか?

 

実はもうあるんです。新しく自分で会社を作ったんです。だから、今回のフォーマに入社したこともすごく勉強になっていて。今、デッキパッチを作っているんですよ。もともとDion のオクトパスからも誘われていたんですけど、いろいろ考えて、自分で作ろうと思ったんです。

 

自分のブランドです。日本からカッコいいブランドを出したいというのは元々あったし。あと自分がその上に立って、企業の一番トップに立って、それこそ今まで自分が悩んでいたことを解消できる会社にできたらなと考えたんです。

 

それはもう、フォーマが決まる前から。それこそ昨年の4月にオープンする予定だったんですけど、このコロナ禍でサンプルが届かない状況が続いて遅れてしまって。でも、今はこの発売が伸びている時間を利用して、もっと改良できるところが無いか、いろいろ試行錯誤しています。

 

自分は売れれば良いとは思ってなくて。すごくカッコいいけど、みんなに使いやすいモノを提供したいと思ってて。今、エキスパート用だけでなく、一般用も作っているんです。

 

一般の人たちが今までできなかった、それこそ、キックに乗れない人がほぼだと思うんですけど。そのキックに乗れない一般の人たちに、どうやってキックを味合わせてあげれるか、改良していて。自分たちだけでなく、いろんな一般の人の意見も聞いて作っています。これでみんながサーフィン楽しくなってくれれば、自分としては嬉しいです。

 

たぶん、夏ぐらいになると思うんですけど、デッキパッチ、リーシュ、あとは小物関係ですね。「Lordish Behavior(ローディッシュビヘイビア)」とブランド名です。よりサーフィンを楽しんでもらえるようなモノにしたいと思っています。

 

 

 

自分はこの一番良い時に起業して、ここで頑張ってみるのもいいのかなって。

 

 

ーそうなると一日24時間、普通に考えれば、仕事の部分でサーフィンの時間が減ってしまうと思いますけど、そこはどう考えていますか?

 

うーん、減ると思いますけど。でも、結局、サーフィンだけやっていても減ると思っているので。それはサーフィンのライダーとして長くやっていたとしても、じゃあ、三十何歳になっても、そのままスポンサーされているのかと言ったら、それは難しいと思うし。

 

自分のサーフィンの時間がこれから60何歳とかまであるとしても、どこかで仕事を入れなくてはいけないタイミングが来ると思うんです。だから、自分はこの一番良い時に起業して、ここで頑張ってみるのもいいのかなって。

 

サーフィンは、ずっとやっていきたいと思っていますから。それプラス、今だからできること、今しかできないことをやりたい思っていて。その自分の下の子達にも何か還元できたら良いなとも思っているんです。

 

 

 

オンラインと実際の試合を組み合わせた大会を今年やる予定です。

 

 

ーそれは環境作りということなのでしょうか?

 

実は大会を今年やろうと思っていて。それはどういう大会かというと、ネットでまず募集して、オンライン上でコンテストを開催するんです。そして、上位8人ぐらいに絞った上で、今度はその8人で実際の大会を開催するんです。

 

それはビーチで1日で終わらすんですけど、波が肩頭以上ないとやらないと決めていて、コールは1週間以内と。あと今、ウェイブプールでやれたらとも考えていて、オファーかけているんですけど。採点基準とかも普通の採点基準ではなくて、もう派手とか、メイク率とか、カッコいい技とか、そういうのも取り入れようと思っています。

 

その優勝者には賞金とかじゃなくて、Dion とか、Dane とかと1週間トリップに行って、それを Kai Nevilleたちが撮ってくれて、動画に残してくれるという特典なんです。

 

そこで、5人ですね。4人は小林直海と村上舜と森友ニと自分はそのトリップメンバーに入ってて、あと1人の枠をその優勝者で決めるという大会です。Dion たちにも了承を得ていて、やりたいと言ってくれているし、それを毎年やることを考えています。

 

サーフィンのコンテストとフリーは、どちらも欠けてはダメだと思う。

 

 

ー村上舜や稲葉玲王たちが始めた“ Mobb ”でも、コンペでもフリーサーフでも良いんだよって。子供たちには自由で良いんだよってということを教えたいんだとキッズを育て始めましたね。

 

 

それを聞いた時、自分もすごく嬉しくて。“ Mobb ” はキッズだったじゃないですか。自分の方はその上の現役世代を開花させたいというのがあって。例えば、舜とかは、今、日本でトップじゃないですか。自分も20歳ぐらいの時にその経験があるんですけど、日本で自分が一番上手いんじゃないかって自信を持った時があって。

 

それって今の舜もそこに立っていると思うんですよね。そうするとその先の目標がないから、伸びるけど伸び率が悪くなるというか。もっと伸びるのに、成長を止めるのはもったいないって思っていて。

 

それなら舜に無いものを持っている人たち、Dionや Dane、Craig とかと交わる環境を作ってあげれば、彼らのスタイルを直に吸収できると思うんです。そこから何かヒントを得られるかなって。

 

舜とは去年から話しているんですけど、とても喜んでくれていて。絶対、Dion たちから得るものはあると舜もわかっているから、「どんなとこでエアーしてくるんだろう、どんなとこでメイクするんだろう」という考えになっているみたいで。

 

大橋海人 WSL / Rahmat R Ong

 

Mobbや自分の活動などを見て、他の人も何か始めてくれたらと良いと思うんですよね。

 

 

そのことが自分はすごく良いなと思っていて。その想像がもう成長につながっていると思うんですよね。つまり、それがクリエイティブということだし、それがサーフィンに直接繋がってくると思いますから。直海も友ニもいろいろ吸収してくれると思います。

 

CTとかオリンピックとかのレベルになってくれば、必要なものがいっぱいあって。やはり、最後の10秒でニード9点でも逆転できるだけのスキルも必要なわけで。そうじゃないと、たぶんCTでやれないなと思っていて。

 

そういう部分をこのプロジェクトから吸収してほしいというのがあって。それは今の自分にしかできないことだし、Dion たちと繋がっているのも、Dane とかと繋がっているのも自分しかいないですから。

 

未来のある子をピックして、その子たちと一つ屋根の下でトリップして、最大限にレベルアップしてもらって、そこからCTに入る子が出たり、ワールドチャンピオンになる子が出たら最高ですね。

 

逆にフリーのスーパースターが出てくれれば、それも嬉しいですよね。サーフィンのコンテストとフリーは両方、絶対同じところにあるし。どっちも欠けてはダメだと思うし。なので、ここからどちらも出てほしいですね。

 

これから“ Mobb ”のような動きや自分の活動などを見て、他の人も何か始めてくれたらもっと良いし。それがリンクしていけば、日本のサーフィンはもっと伸びると思うんですよね。

 

ー日本のサーフィンに足りないのは、自由な選択肢。それは育成システムが画一化しているからでしょうか?

 

今の協会もそれぞれ頑張っていると思うんですけど、レールは一つじゃなくて良いと思っているんです。サーファーが一人一人違うように、いろんな選択肢があって当然だし。例えば、お金をあげるから、あとは自分で勝手に頑張れよっていうことでは、無理だと思うんですよ。

 

だから、いろんな選択肢が必要で、それを作るのは大人の役目で。だから、自分ができるのは、彼らとの繋がりなので、そこでできることをやる。自分は下の子たちを連れて行って、そのレベルまで引き上げてあげることの手伝いをしたいんです。

 

それにDionとか、Kai Neville に付き合ってもらうことで、メリットがもう一つあって。それは、これで海外のメディアにも目につくと思うんです。Dion たちがメディアの最先端にいるので、たぶん、Stabとかにも取り上げてもらえるかもしれないし、いろんなメディアに引っかかると思うんです。

 

日本だけではなくて、「この村上舜ってやつ、めちゃくちゃ上手いじゃん」っというように、全世界が見てくれるきっかけにもなると思うんです。今、日本の子たちは海外では目にもつきませんから。この大会やトリップが見る一つのきっかけになると思うんですよね。それで、そこからは自分の力ですけど、そこまではやってあげたいと思っているんです。

 

ーそこまでやってあげようと思ったのはなぜですか?

 

それは昔、自分がやってもらったことですから。自分にしてもらったことは、下に渡していかなくてはいけないなと思っているので。自分が一番最大限にできることはこれだと思っていますし。Dion と自分だけじゃなくて、みんながDion 、Dane たちと繋がって世界に出れば良いと思っているんです。

 

それで成功して、ありがとうと言ってくれる子たちがたくさん増えたら単純に嬉しいし。そして、今度はその子達が引き継いで、下の代の子たちにやっていってくれたら、もっと嬉しいし。自分がこれをやることで、何かのきっかけになってくれたら良いなと思っています。

 

 

 

日本はこれまでコンペの評価がメインでしたけど、それはもう過去のもの

 

 

ーそのフリーサーファーですが、日本では根付くと思いますか?

 

もう根付いてきてると思います。Youtubeとかのおかげで、動画というものに対して企業、スポンサーも良い印象を得てるというか。動画だけで逆に大会に出なくて良いよって言う声も聞くようになりましたし。

 

フリーサーファーが食べていけないのは、お金を生み出していない、ビジネスになっていないということがあったからだと思うんです。でも、今はそれを生み出す方法が増えてきたと思うんですよね。それに一般の人も今やSNSで情報を得るのが、普通になっていますから。

 

日本はこれまでコンペの評価がメインで給料が決まっていましたけど、それはもう過去のものであって、今はそんなことは無いんです。自分のやり方でスポンサーに返すことができるのだから、それをプロサーファー自身がまず気付くことですね。

 

スポンサーに返すことができれば、結果、自分の評価が上がって、それが自分に返ってくるわけだし。フリーでもコンペでも、それをやれば良いだけなんです。思った結果が出なかったら、それで終わりではなくて、他の方法を考えれば良いんです。

 

自分より下の子たちと話す機会も増えてきてるので、それを下の子たちにも伝えていけたらと思っています。自分もプロとして、フリーサーファーとして、どう生きていくか、手本となるようにしたいですね。

 

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大橋海人、29歳。

「サーフィンが好きなんです。」
その言葉が全てだった。
サーフィンをやり続けたいから考えた。
自分のやりたいこと。
そして、できること。

それが、フリーサーファー。
自分が仕事として日本に定着させたい。

フリーサーファーだからできる。
サーフィンの楽しさを知ってもらうための提案。

フリーサーファーだからできる。
スキルアップできる環境作り。
そこにはコンペ、フリーの垣根はない。

だから、フリーサーファーという道を自ら選んだ。
それが自分の追い求めるスタイルだったから。

「人間はいつ死ぬかわからない。
自分も家族もだし、仲良い友達とかも。
それがどんなに元気でも。
だから、一緒にいられるうちは、何かをしてあげたい。
みんな幸せでいてほしいと思う。」

「家族が大好きなんです。
茅ヶ崎の仲間はみんな家族。
その家族が誇れる自分でいたい。
今までお世話になってきたから、今、自分がここにいる。
だから、みんなが誇れるような自分でいたい。」

 

だから、フリーサーファーになった。
真面目に生きることが、カッコいい人生とも言う。

 

自らが楽しみ、そして、それを分かち合う。
それが、海人のフリーサーファー。

 

これからの海人も全力で応援したい。
Go ! Kaito !

 

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大橋 海人(オオハシ カイト)

生年月日 :1992年 2月 16日
出身地 :茅ヶ崎
身長 :170 cm
体重 : 75kg
スタンス :グーフィー
ホームポイント :茅ヶ崎
スポンサー :Former、MURASAKI SPORTS、CITYWAVE TOKYO、i3DESIGN、
          Łordish Behavior、EPØKHE、Captain Fin Co、
          Açaí Japan、bond seikotsuin

好きな波    : フィジー
好きなマニューバー:カービング、レイバック
影響を受けた人 : デーンレイノルズ

 

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