サーフィンカメラマンの藤沢裕之さんの海上セレモニーが、彼が愛した茅ヶ崎の裏パークで行われた。

撮影:佐原健司

 

去る9月26日に、ガンのため入院していた病院で亡くなられた、サーフィンカメラマンの藤沢裕之さんの海上セレモニーが、11月7日(土)藤沢さんが愛した湘南・茅ヶ崎の裏パークで行われた。

 

ヘッドランドを挟んで、パークの反対側が裏パーク。

 

当日は、藤沢さんが生前親交の深かった添田博道氏、池谷真一氏、藤沢譲二氏、細井隆氏、関野聡氏、本庄睦氏、岩倉具威氏、大海英一氏、宇治田みのる氏などサーフィン業界に携わる関係者や友人など200名以上の参列者が集まり、笑顔で藤沢さんの旅立ちを見送った。

 

カヌーを出してくれたのはライフセーバーの鯨井保年さん

 

葬儀はコロナの影響もあって家族と近親者だけの密葬に近い形で行われたが、故人の意思を尊重し湘南で散骨式が行われた。

 

大分県出身の藤沢さんは、東京写真短期大学(現、東京工芸大学)で写真を学び、東京・原宿で西海岸アドバタイジング代表で、初代サーフィンライフの編集長であった森下茂男氏との出会いをきっかけに、79年に(株)マリン企画へ入社。

 

月刊サーフィンライフ創刊に携わりシニアスタッフフォトグラファーとして、日本のサーフシーンを撮り続け、数々の名ショットを残した。サーフィンの腕前もプロ級でサーフィンライフ時代は、撮影の傍、日本をはじめ、世界中の波を追い求めた。

 

 

湘南・茅ヶ崎を拠点に活動を続けていた藤沢さんにとって、裏パークがお気に入りのサーフスポットだった。サーフィンをせずとも多くの時間をこの場所で過ごしていた。

 

生涯をサーフィンに捧げ、その素晴らしさ、波が見せる美しい表情をファインダー越しに切り取って、多くのサーファーに感動を与えてきた。

 

 

ベルジーランド PHOTO:H・Fujisawa

 

サーファーだから分かる本当の美しさ。藤沢さんの撮る波の写真が心から好きだった。だから自分は藤沢さんの写真だけでカレンダーを作った。それを藤沢さんは本当に喜んでくれていたと思っている。

 

当時アナログからデジタルへ移行する過渡期に、デジタルに馴染めずに苦しんでいた藤沢さん。ある時、仕事の話で自宅にお邪魔した時、荷物で足の踏み場もない北側にあった仕事部屋。「これやるよ。」って自分のプリンターで印刷した波の写真にサインをしてくれた。それは自分にとって宝物だ。

 

これはフランスのギタリーH.FUJISAWA

 

マリン企画に入りたての時、茨城の試合に行って初めて藤沢さんと会った。その時はワンワンさんも一緒で、二人から編集部の愚痴を延々と聞かされるという洗礼を受けたのも良い思い出だ。

 

自分がマリン企画に入った時は、藤沢さん土屋さん泰介さん吉岡さんといった人達の写真が、当時月刊誌だったサーフィンライフの紙面を飾っていた。その中でも創刊に携わった藤沢さんが、サーフィンライフという雑誌に対する思い入れが一番強かったように感じた。だから、本作りに対しても熱く語っていたし、サーフィン雑誌はこうあるべきだと、いつも聞かされていた。

 

自分がマリン企画を辞めてウェブサイトを始めたのは、当時サーフィンに対する情報が個人が発信するものしかなかったため、インターネットという世界に自分が見てきたものが否定されているような気がしたからだ。だからお世話になってきた人達に恩返しするつもりで情報を発信するようになった。

 

しかし、それから20年が経ち、時代の速さに翻弄されている。藤沢さんに相談したらなんて言ってくれるだろ。回りは気にするな。自分を信じて良いものだけをやればいいんだよって言ってくれるような気がする。

 

最後に顔を見に行けなかった。行かなかった。変わってしまった姿を自分の中に残したくなかった。だから、今でもあの日のように「お前はサーフィンのこと分かっているんだから、がんばれ!」って藤沢さんの声が聞こえてくる。

 

 

藤沢裕之さんの御冥福を心からお祈り致します。