【追悼特集】ハワイが生んだ世界チャンピオン、デレク・ホー。生前に収録された貴重なインタビューで彼を偲ぶ。

Derek Ho

 

1964年9月16日~ 2020年7月17日

 

ほんの数ヶ月前の話だ。シーズン中の一本が「Wave of the Winter」にノミネートされ未だ現役であることを見せつけてくれたのは。誰も予期しなかった彼の死(心臓発作)。多くのサーファーが「ゆっくりあの世でお休みください」とお決まりの言葉を発していたが、なぜかしっくりこない。

 

Derek Ho at Pipeline, Jan 1st, 2020

 

「明日がないように今日を生き、永遠に続くように勉強を続けよう」というガンジーの言葉の如く、彼は生涯、パイプラインのHaumana(生徒)だった。いや、だったではない。きっと、これからも。きっとすでに始めていることだろう。休む暇なく、次のシーズンのためのトレーニングを。あの世で。

 

ハワイアン古来の信仰では、体は消えても彼の魂は残ると。ハワイアンである彼の魂は、きっと次のシーズンも、ラインナップに加わることだろう。

 

サーファーの読者たち。彼が過去、柔らかな口調で話してくれた言葉の数々を、肝にアーカイブにし、生涯通し、いや永遠に、「海の生徒」でいるということを全うしていただきたいと思う。そして読み終わった時、ぜひ彼に盛大な拍手を送って欲しい。

 

 

 

ALL photo:Paul Cohen

TEXT & interview by Emiko Cohen 

 

このインタビューは2000年7月に収録されたものです。

 

 

ーデレクは今年で幾つになるんだっけ?ー

 

デレク:あれ? いくつだろ? たぶん35位なんじゃないかな?

 

ー波乗りを始めたのはいつのこと?ー

 

デレク:2歳のとき

 

ーどうして?ー

 

デレク:家がハワイってこともあるし、家族全員が波乗りしてたから、あたり前の様に、波乗りを始めていたんだ。

 

初の世界タイトルを取った1993年に母との記念写真 @photogordinho

 

ーそういえばデレックのお母さんって75歳くらいになるんだよね。それでもまだまだ現役で波乗りしてるからすごいー

 

デレク:実際、おふくろの歳は、わからないんだよね。10 年前くらいからかな、いくつかなんて聞いても言わなくなったから(笑)。うん。今でもバリバリ波乗りしてるよ。

 

93年パイプマスターとなるデレク @photogordinho

 

ー初めてパイプをやり出した時のことを覚えてる?ー

 

デレク:しっかりとは覚えてないけど、たぶん16歳くらいの時だったと思う。その頃には僕の兄(マイケル・ホー)は、もうパイプの常連になってたから、兄にくっついて入って行ったのが初めてだった。

 

でもいきなりはラインナップに加わらなかった。波に乗らずにショルダーに座って、波を観察してた。3回目か4回目くらいだったと思う、初めての波に乗ったのは。

 

波のサイズはたぶん8フィートくらいだったと思うんだけど、あの時の僕の眼には12フィートくらいに見えたんだ。初めてアウトに出てみて、とにかく凄いところに来ちゃったなって思ったのは、なんとなく覚えている。

 

 

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ーデレクがその頃に尊敬していたサーファーは?ー

 

デレク:ジェリー・ロペス、ラビット、ショーン・トムソン、それから僕の兄のマイケル。兄とは7つ歳が離れていたから、とにかく色々なことを教えてもらった。

 

 

いい兄弟に恵まれたことは、人生の宝だと思っている。兄を本当の父親の様に信頼していたんだ。

 

 

 

ー兄のマイケルには、どんなことを習ったの?ー

 

人生について。サーフィンの彼が知ってることの全てを教えてくれただけじゃなくて、人としての歩み方も。父親は、僕が18歳の時に亡くなったから、兄は僕を自分の子供の様に見守っていてくれたし、僕は兄を本当の父親の様に信頼しているんだ。

 

特に、人との付き合い方、話し方、他人への思いやりに関しては、しっかりと教えてくれた。兄がいて、本当に良かったと思ってるんだ。

 

よく兄弟は喧嘩するものだっていうけれど、僕らはそういう仲ではなかった。お互い、いつでも尊敬ということを忘れないで付き合っていたし、今でも、そういう関係で付き合ったいるんだ。

 

もちろん自分で一人で決められないとダメな人間になってしまうけれど、迷った時に、何気なくアドバイスしてくれる人が側にいたとしたら、物事はスムースに行くと思うんだ。いい兄弟に恵まれたことは、人生の宝だと思っている。

 

ーデレクがあるのはお兄さんのマイケルがいたからってことかな?ー

 

デレック:そう。だけど反対に、兄にとっても僕の存在が良い影響を与えているって思ってる。

 

@photogordinho

 

ー話はパイプに戻るけど、あのパイプでのチューブライディングの感覚って言葉で言えばどんな感じなのかな?ー

 

デレク:この質問、今まで100万回くらい答えたよ(笑)そのたびに同じことを繰り返して伝えるんだけど、とにかく、沖に出てみないことには、あの感覚は味わえないよ。岸で見ているのと、沖で見るのとでは、感動の度合いが10 倍以上違う。

 

心臓が口から飛び出す様な感覚っていうのかな。たぶんアドレナリンが駆け巡るせいなんだろうけど。今までパイプで、いろんなタイプのチューブに出会った。

 

時には3フィート、時には12フィート。時には1秒で終わるチューブ、時には信じられないほど長いチューブ。どのタイプのチューブでも、チューブはチューブ。入った時の感動は、言葉には言い表すことができないほど凄いものだった。

 

死んでしまうかもしれないけど、サーファーだからパドルアウトしてしまうんだ

 

ーところで、今年のパイプマスターズのトライアルでひどいワイプアウトしてたよね。パイプのスペシャリストであっても、あんなことがあるんだと驚かされたけど。一体どうしたの?ー

 

デレク:周りの人が驚いたと同じ様に、僕自身、あのワイプアウトには驚いたよ。巻かれた瞬間は、あ~いつものワイプアウトだって思ったんだけど、波がいつも以上に体にのしかかってきて、海の底まで持ってかれちゃって、岩に頭がぶつかった。

 

幸い縫うだけで済んだけど、本当にパイプでの波乗りっていうのは危険なんだと改めて思い知らされたよ。いつか、こんなことを繰り返しているうちに、死んでしまうこともあるかもしれないと思ってる。でも、パドルアウトしてしまうんだよ。結局、サーファーだからね(笑)

 

 

ーそこまで続けてしまう心境ってなんなんだろう?ー

 

デレク:中毒(笑)。パイプに挑むサーフィンっていうのは、たちの悪いドラックと一緒だよ(笑)

 

 

ーデレクの子供たちっていくつになるの?ー

 

デレク:7歳と4歳。上の子が女の子で下が男。

 

ーもしその二人が、そんな危険なパイプでサーフィンしたいって言い出したら、どうする?ー

 

デレク:えっ、あ~~(答えに困った様子で)娘には、何があっても、それだけはダメだって拒否するよ(笑)。息子の方は、もし彼が心からやりたいって言い出したら、サポートするつもりではいる。でも、好きなことを自分で見つけて、それを一生懸命やってくれたら、いいと思ってるんだ。だから決してサーフィンでなくてもいいんだ。

日本のファンも多く、日本で行われた試合でも優勝経験がある。@photogordinho

 

サーファーとして、本当にラッキーな道を歩めたと思ってる。

 

@photogordinho

 

ーデレクはサーフィンを始めて、上手くなって、世界ツアーを回って、ワールドタイトルを獲得して、リタイヤした。。。今、どう感じてる?ー

 

デレク:サーファーとして、本当にラッキーな道を歩めたと思ってる。(東海岸)ワイマナロの田舎出身の僕が、世界のトップツアーを16年も廻ることが出来たんだから。貧乏暮らしだったのに、しまいには、サーフィンで稼いだお金で、ノースショアに家を建てることが出来たんだ。

 

結婚もして、2人の子供に恵まれた。ツアーに出ているうちは、一年のうち8ヶ月は旅をしてたから、計算してみると、16年のツアー生活のうち、4年しか家にいなかったってことになる。

 

周囲の理解を得られなかったら、決して出来ることじゃなかった。リタイヤした今は、自分が今度、周りの人の面倒をみる番だなと思ってる。

 

 

寝ても覚めても波乗りのことばかりを考えてる。夢の中でもよく波乗りしている

 

 

ーコンペテッションを引退したと言ってもいまだにトレーニングを積んでるよね。ププケアの坂を自転車で上がってるのを何度もみたけど?相当ハードなトレーニングだよねー

 

デレク:ツアーから引退したと言えども、ショーが自分の街にきた時には、ゲームオンだよ。まだまだ大会には出続ける。サーファーだからね、引退なんてあり得ないんだよ。今でも、そうさ、寝ても覚めても、波乗りのことばかりを考えてる。夢の中でもよく波乗りしているよ(笑)

 

波乗りのない人生なんて考えられないよ。だからトレーニングだ。ノースショアの波は激しいから、体が負けない様に、トレーニングは欠かせないんだ。それに歳をとって、体のゆるみが出るのは嫌なんだ。いつも自分の体が自由に動ける様にしておく。その方が気分がいい。

 

 

ーこれからオーストラリアに行くっていうことを聞いたけど、多少はQS廻るのかな?ー

 

デレック:廻るつもりはないよ。オーストラリアに行くのはマーク・リチャーズの子供の追悼コンテストがあるから。マークの子供は新生児のうちに死んでしまったんだ。

 

その追悼のコンテストでチャンピオンを集めたヒートが設けられて、ケリーとかトム・カレンとかが来るんだけど、それに出るために行くんだ。僕はもう今は家族と時間を過ごしたいし、ツアーを廻ることは全く考えていない。今の立ち位置に本当に満足しているんだ。

 

 

2018年1月に収録されたショートインタビューから

 

ー未だにパイプの沖でリッピングしてますよね、そのエネルギーはどこから来るの?ー

 

デレック:サーフィンへのパッション。サーフィンへの愛。それがエネルギーになってるだ。実際にサーフィンがあるから健康でいられるんだ。

 

ー中毒だね?ー

 

デレック:そうそう、麻薬。良い類のね(笑)

 

ー思い出に残る波を教えて?ー

 

デレック:たくさんありすぎて。。。それぞれの波の光景はしっかりと自分の脳裏に焼き付いているよ。

 

ー今でもパイプでサーフィンするそんなあなたの存在がたくさんの人を勇気づけていることと思います。本当にありがとう。ー

 

デレック:こんな私が他の人に良い影響を与えているなんて、とても嬉しいよ。こちらこそ、ありがたい、その様に思ってくれる人がいるなんて。

 

 

デレク・ホーは1993年にハワイアンとして初の世界チャンピオンに輝いただけでなく、名誉ある数々のタイトルを手にいれた。なかでも1986年と1993年にはパイプマスター、1984年、1986年、1988年、1990年にはトリプルクラウンのタイトルを獲得。

 

サーフィンの歴史に刻まれる素晴らしい戦歴を残し、そのビッグウェイブにチャージする姿は我々の心に刻まれている。

 

謹んで彼のご冥福をお祈りいたします。