柄沢明美さんが息子のコナーと共にサーフェストのニュースに登場。
オーストラリア在住で、1985年のJPSAショートボード女子グランドチャンピオンである柄沢明美さん。アケちゃんの愛称で親しまれている彼女は、オーストラリアの母として、ASPに参戦するためシドニーに来る日本人選手のケアをしてくれている頼もしい存在。そんな彼女がオーストラリアのニューキャッスルで行われている「サーフェスト」のニュースで取り上げられたので、ここで少し紹介したいと思う。
元日本のプロサーファー、アケミ・オリーリ(柄沢明美)は、マンリーで行われたサーフィン・コンペティションで7タイム・ワールド・チャンピオンのレイン・ビーチェリーを下した事が一度だけある。しかし、52才の彼女は、その時の 1つの勝利が、ミアウェザー・ビーチで開催されているバートン・トヨタ・プロに出場している、息子コナーの昨日のヒート勝利と比較したとき、それほど大した事ではないと言う。
「私は大昔にマンリーで行われたASPのコンテストでレインを倒しました。確か レインが14才だったと思います、しかし、誰も気にもしていないし、私以外は覚えていないわ。」と、明美さんが笑って言った。「しかし、今日の6スター・コンペティションで息子のコナーが彼のヒートを勝った。私にとっては、その事のほうが大事です。良いサーフィンがしたいとだけ思っていた彼が、あのヒートに勝てた事は本当に素晴しい事でした。」と、明美さんが言った。コナーはヒートに勝っただけでなく、ラウンドオブ96のハイエスト・ヒート・スコア17.93を記録した。
日本の東京出身で、シドニーのクロヌラをホームとする明美さんは、2週間前に優勝したNSWオープン・サーフィン・チャンピオンシップをはじめ、先週の日曜日のミアウェザーのプロ・ジュニアのセミファイナルなど、19才の息子が出るヒートは全て見て来ている。
明美さんは、1986年にバーレー・ヘッズで行われたスタビーズのサーフィン・コンペティションに出場するために初めてオーストラリアに来た。その旅の途中、コフスハーバーとグラフトンの間で起きた車の事故でアイルランド人のフィンバー・オリーリに出会った。「5人の日本の女の子があの車に乗っていて、車は弾き飛ばされたのに誰も無傷でラッキーでしたね。それで我々を助けるために友人がフィンバーに電話して、私たちは恋に落ちたんです。」と、彼女が言った。いまも日本国籍を維持し、いつかはオーストラリアの国籍にするつもりの明美さん。6年前に2人目の子供を出産してからは、あまりサーフィンはしていないと言う。「確かに46歳でおかあさんになることは想定外でしたね。」と、彼女が笑って言った。
昨年、韓国の済州島で行われたASPイベントで初優勝したグーフィー・フッターのコナーは、彼のサーフィンに対する愛情と才能は、彼のおかあさんとおとうさんのおかげだと言う。「サーフィンのファミリーに育った事は自分の助けになっています。僕たちの家族には、少しのファン・サーフィンもあればコンペティションもあり、たくさんのサーフィンがある」と、彼が言った。昨年からジュニアとして活動しているコナーは、6スターのラウンドオブ48では、ブラジリアン・デュオのイアン・ゴウベイアとヘイター・アルベス、ハワイアンのキアヌ・アシンと対戦。おかあさんは、ミアウェザー・ビーチの遊歩道から彼を応援している。(コナーは惜しくも敗退となっている。)
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