君は佐久間洋之介を知っているか? 洋之介メモリアルカップのウェイティング期間開始。

君は佐久間洋之介を知っているか? 洋之介メモリアルカップがウェイティング期間に入った。


今年の招待選手が顔を揃えたセレモニー

 

テキスト:李リョウ

写真:横山泰介、李リョウ

 

25歳という若さでこの世を去った伝説のサーファー佐久間洋之介。彼を記念して行われるサーフィンの試合、「洋之介メモリアルカップ葉山2016」が今年も8月1日からウェイティングに入った。

 


 

試合会場となる葉山の小磯というリーフブレイクはヨーノピークとも呼ばれかつて生前に佐久間洋之介が愛した_ビッグウェーブポイントでもあった。

 

会場となるビッグウェイブスポットの小磯

 

 

この波で洋之介はビッグウェーブの基礎を学び、世界の大波に挑戦していった。7月31日、その小磯を望む葉山公園でメモリアルカップの開催に先駆けてのセレモニーが行われ、招待されたビッグウェーバーが日本国中から集結した。

 


 

佐久間洋之介がダイビング中の事故でこの世を去り今年で10年が経過した。それでもなお彼を慕う友人や知人、そして生前の彼を知らぬ若いサーファーにも佐久間洋之介という伝説は消えることがなく語り継がれている。

 

彼のその魅力とこのメモリアルカップの目指しているものはなにか?彼と関わりのあった人々からその目的や思い出を語ってもらった。

 


 

洋之介のサーフィンについて

・佐久間浩 サーファー、洋之介の父

 


 

「小磯に波が上がると洋之介はよく一人でやっていたな。Aフレームの波のビハインドピークからバレルを狙ってメイクすると大きなラウンドハウスカットバックを決めていた。

 

小磯でそれができるのは洋之介しかいなかったね。この小磯が本当に大きくなるとワイメアより手ごわいって言っていたからね。この波で洋之介は成長したんだと思うよ」

 

 

佐久間洋之介 

 


マルチな才能を発揮

 

「海外に出かけるようになってサーフィンだけじゃなくてビデオも撮るようになったね。自分で水中撮影まで撮って制作した映画の上映会を葉山でやって300人くらい来てくれたかな。予想以上に集まったから二回上映したんだ。

 

洋之介は文章も書けたからサーフィンワールドの故礒部編集長が、いずれは洋之介に編集長の椅子を譲りたいと真剣に言っていたんだよ」

 

 

 

洋之介が夢見ていた「海の学校」

・佐久間泰介 サーファー、洋之介の弟

 

 

「兄はサーフィンだけじゃなくて、ダイビングをしたりサバニ(琉球地方にある伝統の木造船)で航海に出たりと海のことが大好きだったんです。と同時に海が自然環境の悪化によって、危機的な状況にあることをいつも憂いていました。

 

その解決策として、子供たちが海からいろいろなことを学び、海を大切にすることを知ってもらえるような学校を作りたいと生前僕に言っていたんです。その兄の意思を受け継ぎ「海の学校」という活動を始めました。葉山からスタートしたこの活動も湘南に広がりそして関西でも活動ができるまでに成長しています」


 

勝敗だけが目的ではない

 

「その海の学校の次のステップとして、このヨウノスケ・メモリアルがあると思っていただければ幸いです。勝敗をただ決めるのではなく、海からいろいろなことを学んできたスペシャリストの場としてこの試合があれば良いなと。そして同時に海外では当たり前になっているサーフィンのレスキューというシステムも確立したいと考えているんです」

 

男女を超えた友情

・西山千草 プロボディボーダー

 

 

「私が高校を卒業してバリに行ったときに洋之介と知り合ったのかな、洋之介は中学を卒業して海外に目を向け始めていたころでした。それから海外のいろいろなところでなんども出会って友達になっていきましたね。

 

一番思い出に残っているのはワイメアに挑戦したときです。20フィート以上あった波でしたが、前夜に洋之介が「行くしかないでしょう」と背中を押してくれてチャージする決心をしました。もし何かあったときにと部屋の荷物も整理してから早朝海に向かい、ビッグウェーブをサーフすることができました。洋之介のおかげだと今も感謝しています」

 

遠洋航海とワイメア

・田中宗豊 サーファー&シェーパー

 

「洋之介との思い出で残っているのは、サバニで高知の室戸から伊勢の鳥羽まで一緒に航海したことかな。彼との出会いはハワイだったと思うけれど、いつのまにか友達になっていたな。サーフセッションはいろいろありますが、ワイメアがまあまあのサイズのときに、同じ波に二人でテイクオフして、15フィートくらいはあったと思うんです。

 

ドロップしたらボトムに人がいて、それを避けるために洋之介は左右とターンしてコントロール不能になって思いっきりワイプアウトしたんです。そのあとパドルバックしてきた洋之介と大笑いしたんですが、ワイメアの大きい波のセッションでも彼となら和んで笑えた。そんな思い出がありますね」

 

海の子としての天賦の才能

・柄沢忠男 サーファー

 

「洋之介の思い出は数限りなくあるよ。でも一番心に残っているのは、台風が来て波が大きかったある日のことだった。僕が長者ヶ崎(葉山のサーフポイント)でサーフして上がってきたら、小さな子供が海で泳いでいるんだよ。

 

『溺れている。助けなきゃあ』って急いで海にパドルアウトしようと思ったら、その子供がボディサーフィンして岸に戻ってきたんだ。『あれ?』って思ったら、また海に向かって泳いでいくじゃないか、そしたら佐久間(父親)が遠くで見ていて『あれ洋之介だよ』って、びっくりしたよ。まだ5歳かそこらの子供だったんだぜ」

 

「佐久間の親父と僕は親友でね。佐久間小屋というビーチハウスがあって、そこで洋之介は育ったんだ。サーフィンをしたり漁をして魚をさばいて夕飯のおかずにしたり、そんな私たちの生活を見て育ったんだよ。

 

だから海の子って感じだったね。それに男として魅力があったからね、男も女もみんな洋之介のことを好きになっちゃうんだもん。今でも慕われるのはそこだね。悪く言うやつが一人もいないんだからな。あんな奴はいないね」

 

 


メモリアルの競技方法

 

「コンデションが整いそうな波の予想を元にして招待選手に召集がかけられます。出場枠は40名で8人の5ヒート制で競われます。一人1ヒートで戦うのみ、そのなかのベストウェーブ一本のみで決着します。」

 


 

大会のセレモニーでは神事の後に関係者のスピーチやフラダンスそして葉山太鼓の演奏が行われた。また、佐久間泰介が組織したレスキューチームによる模擬訓練も行われた。

 

そして最後は招待選手や一般の人々が海へとパドルアウトして互いに手をつなぎ大会の無事と成功、そして佐久間洋之介の霊を供養した。

 

3年目のメモリアルとなる2016年、そろそろ来るんじゃないかという期待をする声は高まっている。ウェイティングは8月1日から10月31日まで。

 

オフィシャルサイト:http://www.yonosuke-memorialcup.com/