吉田憲右の「colors magazine」が雑誌版創刊記念リリースパーティーを辻堂で開催
サーフィン専門誌で活躍。自身もNSAでも活動し、SurfSkatersチャンピオンとして実績もある「ヨゲ」こと吉田憲右(よしだけんすけ)氏が2010年からスタートさせたWeb媒体「Colors magazine」。
今年の夏、ついに紙媒体として登場!8月最後の日曜日、Greenroom Gallery 辻堂店にて「colors magazine」雑誌版創刊記念リリースパーティーが盛大に行われた。
多くのファンを持つ吉田氏のこのイベントには、湘南で活躍するプロサーファーだけでなく、四国からは田中宗豊プロや吉田氏とも親交が深く、旅仲間でもあるクリスチャン・フレッチャーも来場。また、多くのメーカー、ショップなどの業界関係者がお祝いに駆けつけた。
今では誰もが知る「colors magazine」だが、ここまでの道のりは順風満帆ではなかった。吉田氏がメディア業界で活躍するようになったのは、2000年に「TRANSWORLD SURFING」の外部スタッフと遡る。2001年からはオーシャンライフ社に入社。月刊「SURFING WORLD」の編集部、2006年からはカメラマンも兼務して腕を振るうようになった。在職10年にあと2ヶ月というところで、社が倒産。その当時をこう振り返る。
“サーフィンワールドがつぶれて、完全に失業状態でした。写真も撮っていたから、原稿料の未払いもけっこうあって。サーフィンの世界って、けっこうヤバいんだって思っていました。それに失業した時に2人目の娘が生まれたんです。だから、すぐに働き先を探しました。
ラーメン屋で働いたりしながら、職を探していたんですけど、ある先輩に葬儀屋を紹介してもらって。面接に行った時に、その面接官の人がもともと写真家になりたかった人で、しかもカービー・福永の友人だったんです。
自分の履歴書を見て「これだけの経歴があるんだったら、そういうことやってみたら」って言われて。「一回やって、それでもダメだったらもう一回来なよ。その時は絶対雇ってあげるから」とも言ってくれたんです。それがきっかけで始めたんです。”
Web媒体ならば一人でも始められるし、自分の力でも何とかなるかもしれないと考え始めて2010年に「colors magazine」をスタート。しかし、当時のWeb媒体の評価は低かった。
“Webというのは自由なんです。ページ数も発売日も自分で決める。しかも、際限なくできる。で、やるっていう時にすごく迷ったのは、だからこそどこまでやるのか。それに、まだ紙媒体の方が優位で、インターネットの媒体なんてと言われていた時代でしたから。でも、自分は選択肢なんてなかった。生活がありますから。それに自分の今までやってきたことを続けて行くという意味では、手段は選べない状態でした。”
それでも、自分がやるからには自分らしさを出していこうと考えた。それはサーフィンの素晴らしさをもっと一般の人にも知って欲しいということだった。
“専門誌で働いていた時は、ハードコア、ハードコアで、どんどんと的が狭くなっていました。そういう時代だったんでしょうけど、そこだけを追っていっても広がりはないじゃないですか。自分たちがやっている楽しいことをより人に伝えるためには、どうしたらいいのか。
ならば、まずは誰が見てもキレイな写真が良いじゃないかって。その写真を良く見たらサーフィンしているって方が分かりやすいのかなって。それは写真を撮り始めた時から、ずーっと思っていたことでした。”
吉田氏の写真の大きな特徴はそこにある。
“今までのサーフィンショットというのは、波と技なんです。技をキメるかキメないか。それがすべてではないですけど、それが重視されていた。でも、サーフィンって波に乗って、技をキメるだけではないんです。その時の陽の角度での空の色とか、景色がキレイだとか。
実際、サーフィンをしていても夕日を見て気持ちよかったな今日はって終われる時もあるし。ただ横に滑っているだけでも、気持ちいいと思える瞬間があるんです。だから、多くの人に感じてもらうのには、キレイな風景写真で、その景色の中にサーファーがいる。サーフィンやらない人にも、それならば伝わると思ったんです。”
そして、今夏に満を持して紙媒体の「colors magazine」を発刊した。紙媒体を出したいという気持ちは元々あったと言う。しかし、それはあくまでも年一回の総集編で、自身の想いは別にあると言う。
“本に関しては年に一回出していこうと思っています。それもあくまでも表現の一つの手段として考えているだけです。それが紙だったというだけ。今回は手弁当、自分一人で作ったんですけど、自分としてはこの「colors magazine」を多くの人達と作って行きたいという気持ちが強いので。
自分が一人動いて、いろんなところを撮る。それはそれでやりたいし、楽しいけれど限界もあるじゃないですか。それに各地には写真が上手い奴ら、コミュニティを持っている人達がたくさんいるのに埋もれている。一極集中ではなくて、地方分権化していきたいんです。宮崎だったら宮崎でそういう人がいたら連携取って、その土地のカラーを出していきたい。「カラーズ」っていう名前を何でつけたかというと、いろんな人達の色で作りたいからなんです。”
自分の色を出すより、みんなの色を合わせて重ねて深い色に変えていく。「colors magazine」が、みんなの発信の場としてなっていけば良いと考えている。
“自分がここまでやって来れたのは、みんなのおかげです。だから、今度はみんなにも活躍する場所を提供したい。今はまだ自分の色が強いですけど、ここからはタイトル通り「カラーズ」というものにして、たくさんのカメラマンやライダー達が光るような場所としていきたいというのが自分の想いです。”
可能性は無限大。サーフ、スケート、スノーに限らず、アート、ミュージックなど多くのカルチャーに関わり、それに携わるライダー、カメラマンなど多くのアーティストが活躍できる場所を提供しようとしている。まったく新しい媒体として生まれた「colors magazine」。これからの動きも要チェックだ!
雑誌は発売元のネコ・パブリッシングのオンラインで購入可能
http://shopping.hobidas.com/shop/g/g107380/
撮影、取材:山本貞彦