トリプルクラウン・ディレクターを辞任するランディ・ラリックのインタビュー

ランディ・ラリック・インタビュー

70年代からトリプルクラウンのディレクターを務めてきたランディ・ラリックが、今回の30回記念大会を最後に、ディレクターの座を後輩のマーティ・トーマスに譲り、引退することになった。シェイパーとして、トリプルクラウンのディレクターとして、貴重なクラシックボードのオークションのディレクターとして成功を納めたランディ。彼の尽力なくしてはプロサーフィンの成功はあり得なかっただろう。そんな彼に感謝の気持ちをこめて、トリプルクラウンを振り返ってもらい、プロサーフィンの明日について語ってもらった。

interview by Emiko Cohen / photo by GORDINHO

 

Q1 トリプルクラウンのディレクターを辞められるという話を聞いたんですが、本当ですか?

R:本当だよ。イベントが年々大きくなっていくに従って、一人ではマネージできなくなったから。38年ディレクターを勤めてきたが、今回のこのトリプルクラウンを最後にディレクター業から身を引く事にした。

Q2 いつ引退することを決意したんですか?

R:60歳になった頃だから3年前。70年代からディレクターをしてきたので『もういいだろう』という気持ちと、今後若い人たちに引き継いだ方が『トリプルクラウンの将来の為にも良い』と判断したから。その判断した3年前から、実は少しずつ次世代への申し送り作業を進めてきたんだ。彼らに力がついて来たのを確認したので、今回を最後に、私だけでなく、ラビット・ケカイ、ヘッドジャッチのジャック・シプリー、コンテストディレクターのバニー・ベーカー、制作長のスキル・ジョンソン、アナウンサーのヌノ・ジョネット等の『白髪軍』は引退する。

 

ランディーとバーニーベーカー:初回トリプルクラウンから肩を並べて歩いてきたパートナー『バーニー・ベーカー』も『白髪軍』の一人。ランディー同様、今回のトリプルクラウンで引退。

 

 

Q3 辞めることに関して寂しいと感じていますか?

R: ノー。もし寂しいと感じてたら辞めるなんて決意しなかったよ。『長老は去り若手がその後を引き継ぐ』というのは人間界で最も自然で健全な形だからね。もちろん辞めた後の数年の間は物足りないとは思うだろうが、すぐにその気持ちは消えていくだろう。『前進あるのみ』が私の基本的な生きる姿勢だから。

Q4過去のトリプルクラウンを振り返って一番印象に残っている一戦といえば?

R: 難しい質問だね。なにせ1975年からディレクターを続けているから思い出がありすぎる。一戦だけに絞るのは難しいが、どの『時代』かと言えば答えが出せる。印象に残っているのは90年代の初めから半ば。デレック・ホー、トム・キャロル、トム・カレン、ゲリー・エルカートン、サニー・ガルシアの時代。ちょうどシングルフィンからスラスターフィンに変わったのを切っ掛けに、サーフィンのレベルがグンと上がった。それぞれの選手たちが新道具を使って地元で練習しハワイで披露してきた。それぞれの選手がどんなライディングを出してくるのか想像できないエキサイティングな時代だった。

 

ロブとランディー:『芸術サーフィン』から『加速サーフィン』へとマニューバーの主流を完璧に変えたのは、このロブやケリーのモメンタムジェネレーション。同時にイベントのメインはサンセットからパイプラインに移項してしまった事に対し多少空しさを感じたランディー。

 

 

Q5 逆に、時代で括って最悪だと感じた時代というといつ頃ですか?

R: 90年代の半ば辺り。ちょうどケリー・スレーターが出てきた時代だな。ケリーを中心に「モーメンタム・ジェネレーション」と呼ばれる若手が新しい風をサーフィン界に吹きあらし始めたと同時に、イベントのメインがサンセット戦からパイプライン(バックドア)戦に移項してしまった。その少し前にはゲリーエルカートンがサンセットで力強いボトムターンで世界を魅了していたのに。メインがパイプに移ってからは『パワーサーフィンの貴重さが消えた』様に思う。同時期に政治的な絡みも出てきてしまったのもイベントがオーガニックなものからかけ離れたしまった要因とも言える。ASPがツアーのセレモニーをオーストラリアでやりたいが為にトリプルクラウン開催時期が早められることになってしまったせいで、このイベントの最も大切なポリシー『波のコンディッション第一の史上最高のイベント』は叶わなくなってしまった。歴史家たちがよく時代を変えた出来事に名前を付ける様に、ハワイからオーストラリアに都が移った様なその出来事を『Big Flat』と私たちの間では呼ばれている。(笑)

Q6 過去のトリプルクラウンの中で一番リッチな年は?

R:その年のイベントの賞金の大きさは、完全にASPが側任せだ。ASPの規約どおりに、毎年大会のレイティングに従い賞金額が決まる。例えば今回。最初の二戦はプライムイベントになっているから250.000ドル(約2千62万円)ずつの賞金。パイプラインはワールドツアーイベントなのでハーフミリオンドル(約4千1百24万円)。加え、今回はトリプクラウンが三十周年にを迎えているから特別ボーナスとして優勝者に$100,000(8百35万円)と、ダイアモンドが鏤められたニクソンの腕時計( $30,000 (約2百50万円)相当)、さらにハーレーダビットソン($10,000相当(約83万5千円))が与えられることになってる。今回のトリプルクラウンは総計1ミリオンドル(約8千2百50万円)が掛けられている。今までの最高額をヒットしたという事になる。

 

サンセットビーチの真ん前に住むランディーは朝一番で必ず波乗り、そして仕事に集中する。どちらもランディーという人物を形成する大切なソリューションだ。

 

 

Q7 では逆に経済的に大変だった年は?

R:90年代のサーフィン産業が急に落ち込んだ時期(ちょうど日本の丸井がサーフィン界から手を引いた時)。赤字のイベントにも直面したんだ。いつかまた景気が回復してまたスポンサーが付いてくれる事を信じ、対処した。スタッフの報酬なし。報酬なしでも将来のトリプルクラウンの為にイベント続行しようとみんな頑張ってくれたんだ。あの時のスタッフの頑張りがなかったら今はなかったと、思っている。

Q8 世の中の景気とトリプルクラウンは影響しあっていると思います?

R: もちろん。その証拠にリーマンショックで経済がガタ落ちした頃からレディースの大会をサポートしてくれるスポンサーがなくなってしまった。スポンサーが付かなければイベントとしては半人前。ラッキーな事に、メンズの方ではバンズが御陰で健全な状態を保てているが。

Q9 波の方は? 昔にトリプルクラウンの期間に比べると波不足の様に思えるんですが?

R:まったくその通りだ。もしかしたらグローバルワーミング(地球温暖化)の影響かもしれない。ハワイの波シーズンが少しずつズレてきているんだ。以前は11月に十分な波があったのに今は1月がピークだ。それをASPが考慮すべき。今後はクリスマス前に終わらせるのでなく1月の終わりにツアーを終わらせる様にするべきだと私は思う。

Q10 予算的にキツイ時があったりと、苦労が多いと思うんですが、どの様にその辺りを調整してきたんですか?

R:なにせ2ミリオンダラーズ(約一万六千五百万円)を任せられ、多くの人の生活が掛かっているんだから、もちろん気苦労はある。しかし、波さえあれば、そんな個人的な感情はさておき、大会は行なわれる。選手、スタッフ、そしてギャラリーが、大会が実際に行なわれている時だけでなく《ウエイティング期間も》フェアと感じてもらえる様、長年の経験を活かしてバジェットを分ける様にしてきたつもりだ。

 

トリプルクラウンの直前になると、ランディーの家の一室はTシャツやポスターが入った箱で一杯になる。赤字を出さない様にどの商品をどれ位作るかも、彼の手に掛かっている。

 

 

Q11 過去のトリプルクラウンを振り返り後悔している部分はありますか?

R: 個人的には全く後悔はない。ただ残念に思っている事が一つある。我々の世代は努力をして自分たちで『自分たちが活躍する舞台を作ってきた世代』だ。が、今は『作られた舞台にエレベーター式に登れる世代』。とくに今のハワイの若手たち。環境に恵まれているから軌道にさえ乗ればプロを名乗れるが、その事に粋を感じていない連中が多すぎる。何も努力もしないでいてプロというのは間違ってると思う。

Q12 トリプクラウンだけでなくオークションのイベントのディレクターもされていますが、イベントを成功させる最大の秘訣は?

R:『出る側を喜ばせるだけでなく見る側も同じ様に満足させる』ショーづくり。40年近くディレクター業を続ける間、その事を常に肝に命じながらイベント作成を続けてきた。自分自身で言うのもなんだが、まずまず成功したのではないかと満足している。ハワイのプロサーフィン界に十分貢献してきたことも誇らしいと感じているし。

Q13 ASPとZoSeaが契約を結びましたが、どう思われます?

R:ここ30年間ASPワールドツアーに拘るスポンサーは全てサーフィンブランドだった。サーフィンブランドだけだとやはり限りがある。まだサーフィンに拘ってない人たちへのアプローチがスポーツを広めて行く上で、大切な事だと思うんだ。そんな意味でも今回の『ZoSea MediaとASPサーフィンツアーの合併は良かった』と思ってる。サーフィンの将来の為にとても良い役割を果たしてくれるだろうね。

 

『出る側を喜ばせるだけでなく見る側も同じ様に満足させる』のランディーのポリシーは、そのままトリプルクラウンの成功の秘訣だ。

 

 

Q14 サーフィンの将来に期待することは?

R:サーフスポットの混雑が今一番の問題になっているので、それを解消する為に海底に人の手を加えて多くの人が波に乗れる様になったりウエイブプールの開発が進むことに期待している。また、道具の開発が進むに従い、今までとは違ったマニューバーがどんどん現れてくる様にも思う。コンテストもより人を惹き付ける演出をつけ、より観る人たちにスリルを与える様な波でのイベントが続々と現れることを期待している。

Q15 リタイヤ後の計画はすでに決まっているんですか?

R:タイトルは決まっていないが『ランディー物語』なる本を作成中だ。一年後には出版する予定。内容は今まで私が歩んできた道、ディレクターとして経験した事、世界各国をサーフィンして廻った話が語られたもの。本作成以外にやりたい事もある。一シェイパーとして、2013年5月にSurfing Heritage Foundation によりカリフォルニアで行なわれる『California Gold』サーフオークションの為に、倉庫に眠っていた痛んだクラシックなボードたちを生き返らせる作業を進めたい。トラベルにも時間を裂きたい。今まで140カ国(現在地球上には約200の国が存在)を訪れたうち70カ国でサーフィンした経験があるのだが、また戻りたい国があるんだ。妻や孫と一緒に。ちなみに13歳の孫は私からの影響を受けてか12歳の時に自分のボードをシェイプ。その板でロングボードを楽しんでくれている。喜ばしいことだ。

Q 16 ディレクターを辞められた後も大会を観にいらっしゃるつもりですか?

R: 毎朝6時に会場入りして波をチェックし、ゴーサインを出すか出さないかと気を揉むことはもうなくなる。ギャラリーの一員として現代の最先端サーフィンを心から楽しむ事が出来る。もちろん観に行くつもりだよ!

Q16 何か読者の人たちに伝えたいことがあれば是非。

R: サーフィンの大会が行なわれる様になってから約50年が経ちます。言ってみればスポーツの世界へ進出したスタート時点だったわけですが、まずまず良い出だしだったと思います。私も自分が大好きなサーフィンを、ここまで大きくできたという事を誇りに思うと同時に『皆さんの協力があったから出来たこと』だと信じております。生きている間、自分が『大切に思う事にエネルギーを傾けられてこそ、充実感が得られるもの』。その充実感は栄光やお金または格好良さとは全く関係ないところにあると、今まで経験した事から確信しています。海と拘り続けることが出来た私の人生は予想していたものより何十倍も素晴らしいものになっています。皆様も心から人生を楽しんでください!

 

近所のやせっぽっちのガキから世界のサーファーが憧れるサーファーへと成長した陰にランディーがいたという事実は本人が噛み締めているのだろう。毎年かかさずマスターズの応援に駆けつけるジェリー・ロペス。

 

大イベントをクリエイトするプレッシャーをあまり感じずにこれたのは、奥様ジャッキーが常に側にいたから。引退した後の計画の一つは『過去の旅行で素晴らしいと思った土地』を彼女に見せてあげることだと言う。