『THE SURFER’S JOURNAL』日本版は、米サーファーズ・ジャーナル社発行の隔月誌『THE SURFER’S JOURNAL』のフランス語に続く新しい外国語バージョン。本物の“SURF CULTURE”を日本のサーフィン愛好家たちに向けて発信。『THE SURFER’S JOURNAL』同様、美しい印刷で紹介される素晴らしい写真は読者を虜にする。
本誌 USA版は創刊 26年目を迎えるにあたり、アートディレク ター、フォトエディターなどスタッフの交代および、ロゴ等誌面を一新。それにともない日本版 7.1 号より発売日を偶数月の 10 日から 25 日に変更になった。
最新号では3人の女性をピックアップ。
オリジナル・コンテンツでは、岡崎友子を取り上げた。岡崎友子は‘80年代、プロのウインドサーファーとしてマウイ島をベースに活動をつづけ、そののちスノーボーダーとしてもアラスカや北海道などのパウダースノーに目をむけ、さらにカイトサーフィン、サップ、そして最近ではフォイルサーフィンにトライするなど、世界のエッジな領域で活躍する鎌倉生まれのスーパーウーマンだ。
MIMULUS「ミムラス」
岡崎友子の、小さな身体に詰まった大きな想い。
文:山根佐枝
小川の水辺に咲くミムラスという黄色い花がある。腰くらいの高さの茎に3cmほどの花をつけ、群生する。雨が降り、水かさが増すと根こそぎ流されてしまうこの花は、それでもあえてその場所を好んで育つ。
流され枯れてしまうかと思いきや、流れ着いた先でまた根を張り、花を咲かせる強さがある。「恐れを克服し、一歩を踏み出す勇気を思い出させてくれる」。ナチュラル・ヒーリングのレメディのひとつであるこの花のメッセージを伝えたとき、岡崎友子は目を細め、自らの内側に向かって静かに頷いたようだった。
つづいて紹介する特集は、男勝りのサーフィンで一世を風靡した女子プロサーファー、リサ・アンダーセン。20年前、「リサ・アンダーセンはきみより波乗りがうまい」というキャッチフレーズでUS『サーファー』誌の表紙を飾った彼女の内面にチャッズ・スミスがアプローチする。
A Graceful and Perfumed Rage「優雅で芳香な怒り」
10代の家出少女、パフォーマンスの先駆者、生涯サーフィン中毒、トレードマークの激しい気性で突進してきたリサ・アンダーセンのポジション。
文:チャズ・スミス
「電話帳でタクシーの番号を探して、ここからオーランドまで片道いくら?って訊いたのを覚えてる」。エビのセビーチェには手をつけないままリサ・アンダーセンは話していた。「ここから」というのはデイトナビーチ、詳しくはオーモンドビーチのことだ。
カーペットバガーとして移住した北軍最後の将校が住んでいたフロリダ終端の街として知る者はいても、サーフィンに関してはまったく無名の街だ。繊細なコーンチップとともに赤みがかったソースが美味しそうなセビーチェはずっとそこにある。彼女はアル中の父と、その父に怯えていた母の家を飛びだし、鑑別所で16歳という多感な時期を2年間過ごした当時を思い出していた。
La Maestra「ラ・マエストラ」
サーフィンを生きがいとするメキシコの女性教師。
文、写真:エリザベス・ペピン・シルバ&ポウル・フェラリス
アグイラの家族はかつてムラヘの高地に住んでいた。彼らは小さな牧場を営なみ、十数頭の牛だけで生計を立てていた。農作物をすべて自分たちで賄い、手製のチーズなどは近所のコミュニティに売ってはささやかな贅沢品を手に入れていた。オネシモ・アグイラが車や道路を初めて見たのはすでに成人になってからだった。
でも一度、山の向こう側の世界を知ってしまうと、オネシモはもっとその世界を知りたくなった。オネシモ・アグイラにとっての文明への窓口は数マイル離れた小さな漁村だった。小さな村とはいえそこは彼が住む山の牧場とはまるで別世界だった。漁師の仕事をその村で見つけたオネシモは、新妻のマリア・エルサと太平洋に面した湾に移った。
その海で彼らはアメリカ人のサーファーたちが長いポイントブレークを求めてサーフしにやってきていることを知った。毎年、サーファーたちは波を求めて、またバグエロス(メキシコのカウボーイ)は漁師の職を求めてこの人里離れた漁村にやってきた。
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