パイプマスターズにおいて、日本人初のパーフェクト10を記録した日本屈指のパイプライナーとして知られ、JPSA(日本プロサーフィン連盟)の副理事長を務めたプロサーファーの小川直久が23日、がんのため亡くなったことを所属事務所のLDHが発表した。51歳だった。(全文は下記)
手術も無事に終わり、抗がん剤治療を続けながら、元気にサーフィンする姿を見せていくれていた小川直久。多くのファンは彼が順調に回復していると信じていただけに、あまりにも早すぎる突然の別れに、日本のみならず世界中のサーフィン界が悲しみに包まれている。
1995年のJPSAグランドチャンピオンである小川直久は、ハワイのパイプラインのスペシャリストで、クロームメッキのヘルメットをかぶっていたことで知られ、”シルバーバレット (銀の弾丸)”というニックネームで呼ばれた。
そして、彼の友人であり、パイプラインの元コンペティターであるオアフ島ノースショアのリアム・マクナマラが、小川直久への追悼の投稿をシェアした。
「ナオは、80年代後半から90年代前半、そして2000年代にかけて、ヘルメットをかぶったジャパニーズ・チャージャーのクルーだった。脇田貴之、今村厚、小川直久の3人は、数十年にわたり、ヘルメットをかぶった3人のサムライの神風パイロットだった。彼らは互いをクレイジーなレベルにまで押し上げたんだ。」
この時代に彼らが見せたパイプのチャージは今も忘れることは出来ない。
「ナオは、今まで会ったサーファーの中で最も純粋でソフトな話し方をする尊敬すべき男でした。彼は海の中でも外でも微笑みかけ、挨拶をすることを忘れない。
彼はパイプラインマスターズに10回以上出場し、10ポイントライドを達成し、地球上で最もヘビーな波でその名を知らしめた。彼はJPSAの日本チャンピオンであり、決して忘れられないレガシーを築いたんだ。」
ハワイのプロサーファーで友人であるココ・ホーや世界チャンピオンのトム・キャロルも哀悼の意を表明、ギャビン・ベッシェンは「友人と家族に深いお悔やみを申し上げます。彼は、本当に戦士で究極のアロハアンバサダーです。」とコメントしている。
また小川直久とともにパイプラインという場所に人生をかけて取り組んできた脇田貴之は、「直久は30年以上一緒にパイプラインで生死ギリギリのシチュエーションをサバイブしてきた同志で、年齢も一つ違いで、日本や世界中のいろいろなポイントに一緒に旅をしてきた。。ナオがいたから頑張ってこれたし、沢山の思い出がある。本当に悲しいよ。。。」とSNSで追悼のコメントをした。
葬儀は故人とご家族の意向により親族で執り行うこととなり、改めてお別れの会を開催する予定となっている。
彼のご冥福をお祈りいたします。
小川直久を応援してくださっている皆様にご報告
小川直久を応援してくださっている皆様に謹んでご報告いたします。
弊社所属のプロサーファー小川直久が、5月23日(火)に癌により永眠いたしました。
数々のタイトルを獲得し、日本のサーフィン界に多大なる影響を与え続けた彼の功績に敬意を表すと共に、皆様におかれましては生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせいたします。
2020年に大腸癌が発覚した際には、本人の強い気持ちで治療を乗り越えて見事に寛解し、再びサーフィン界のためにと想いを募らせ、次回のパリオリンピックでも最年長選手として出場をと意気込んでおりました。
弊社としても、その想いを叶えるべくサポートを続けておりましたので、LDH一同大きな悲しみの中に故人を追悼しております。
なお、葬儀は故人とご家族の意向により親族で執り行うこととなりました。
改めてお別れの会を開催する予定となっております。
これまで応援してくださった皆様、お世話になりました関係者の皆様に感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
2023年5月24日
株式会社 LDH JAPAN