取材、文:エミコ・コーヘン
やったー、乗れた!!!
サーフィンを始めた頃は、波に押されただけで(いや、海につかれただけで)自分の中の悪魔が消えて行くような清々しさを感じたはずだ。なのに、いつの間にか入り込みすぎて、「なんで頑張ってもあの技ができないんだろう」「なんで私にはスポンサーが付かないんだろう」
だんだん自分の波乗りを他人に見せるのが恥ずかしい様な気になってきたり。。。あのピュアな感動から遠ざかってしまう、、、という様な流れを経験したのは、私だけではないと思う。
えっ、変な導入文? サーフィン大会のレポートだというのにだって?!
そう感じた人の為にまず弁解。
というか真実。
このダ・フイ・バックドア・シュートアウトは、ただのサーフィン大会ではなく「なぜ私たちがサーフィンをするのか」の真髄を改めて思い起こさせる為の大会(イベント)なのだ。
1月2日、2023年が明けてすぐ、オープニングセレモニーが行われた。
普通の大会なら、(こんな事を言ったら弊害が生まれるかもしれないけど)あくびが出てしまうような、大会ディレクターの長い話を聞かされ最後に「ではみなさん、頑張ってください!!」とかなんかの上っ面の励ましの言葉で終わる。しかし、バックドアシュートアウトは違った。特に今年のはいつも以上に違った。
「えっ、なんの儀式?」
いきなり顔にタトゥーを入れた厳つい男の地球の底まで響くようなハワイ語の祈りが始まり、ふんどしをした男の踊りが始まった。同時に、それまでのんびり揺れていた椰子の木までもピリリ、直立不動になったみたいだった。開会式が、いや、その儀式は、ピークを迎えると、Tリーフに包まれたお供物が海に捧げられた。
その瞬間、空と、雲と、海と、砂と、浜に蔓延るイリマの葉と、椰子の木と、貿易風と、昼間の空に浮かぶ星たちと、吸ってる空気と、人間たち。それらがなぜか、スノードームの様な透明な枠に閉じ込められ、見えない大きな何かにシャカシャカされ、混じり合ってしまった様な、そんな気分にさせられた。
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競技が始まったのは、開会式の数日後だった。
ロングボード部門とSUP部門が、5フィートの中型パイプ波で奮闘。ロングボード部門では、キーガン・エドワードが、SUP部門では、ゼーン・シュワイザーが優勝。両者共に1000ドルを獲得した。
オンラインライヴのMCでは、またもやサーフィンの歴史を大学で教える博士、アイゼア・ウォーカーが担当した。彼の説明によると、カメハメハ大王は、普通の板だけはでなく、カヌーなどでも波に乗っていたそう。
大会の選手たちも、板のデカさからだろうが、ショートボーダーたちとは違い、チューブ波に押しつぶされないようにと、とても苦労していた。そんな苦労するロングボーダーたちを観ていると、なるほど、道具が違えば、チューブを狙うのも難しくなるのか、という事実が見えてくる。
同じ波でも、板が変われば難易度が増すわけだ。「マカヴァル」一つの物事に対して、8つの見解を持つこと。ハワイ古代の教えの中で習得すべき生きる智慧。うーん、時々、道具を変えてみるのも、いいのかも。。波の本質を知るためにはね。
2つのデビジョンが終了した後、残るは、ショートボードデビジョン。
今年は、ダ・フイ・ワックス、チームジャパン、クイックシルバー、ヴォルコム、スナップ5、パイプハンマーズ、ニューアースプロジェクト、チュボスサーフスクール(ペルー)と、8チームがこの大会に挑んだ。
フォーマットは例年と同じ。良い波の日を2日間まるまる使い、チームごとに30分ずつセッション出来る。つまり選手たちは、2時間たっぷりチームメイトとパイプラインで波乗りできるのである。その中で繰り出されたそれぞれのパフォーマンス、ベスト(確か)2本のポイントが持ち点となり、チーム優勝と、個人優勝が決まる。
その裏にある意味は、「他の大会でありがちな一回勝負という変なプレッシャーなしにして、最大限の力を出してもらいたい」という開催側の願いが込められていた。特に瞬時に他を押しのけて力を出せる西洋人とは違い、人種的にどちらかというと時間をかけ、プレッシャーなしでないと力が出ないハワイアンの特徴を汲んでのフォーマットだった。
今年は特に、大きな看板も構えることなく、全くもって草野球試合的な雰囲気だった。友達と喋ってる合間に「あっ、順番だ、行こっ行こっ!」と、そのまま友達と(ゼッケンも付けずに)沖に出ていくという、まさにPONOを意識した戦いだった。(えっ?なにPONOって?、、、ちょっと待ってね、後に説明するからね)
順番待ちをしているショートボーダーたち。しかし、今年はみなさんもご存知の通り、冬型の低気圧が決まりすぎ。そちら日本には寒波という形で押し寄せ、こちらハワイには大きすぎる波がバンバン押し寄せていた。
という訳で、なかなかパイプ向けのサイズにまで落ちてくれる日がなく、その間、私と(ダフイジャパンの鎌田氏)やすは、オープニングセレモニーの意味の謎解きの為に、ハワイの歴史と文化を探る取材に出かけた。
テーマは、主催者が伝えたいKAPU ALOHA/PONOとは何か??
まずはハワイの歴史が、そのまま形になっているタロの畑を訪ねることにした。ワイアルアのタロ畑は、ワイアルア山脈から機械を一切使わず自然な流れで水が集まるところにある為、そこから見える光景は、まさに、何千年前と同じ。タロ畑の真ん中で眼を閉じてみると、上半身裸のハワイアンたちが黙々とそこで働いている姿が現れてくる様な気分になる。
幸い、その水田を管理する夫婦がとても理解力ある教育者であった為(よそ者の私たちにも丁寧に)生物の誕生から始まるハワイのモオレオ(歴史)の講義をしてくれた。そして、水田の仕事までも手伝わせてくれた。
数時間の作業の後は、湧水の池で体の洗浄。そして、カルアポークをたっぷりご馳走になった。不思議とその数時間の間に、よそ者と自分たちを勝手に囲っていた自分と相手の壁が外れ、自分が彼女たちと同じ「ただの地球人のひとり」であるという気分になった。
「地球誕生から生命の種が生まれ、命は繋がれてきました。だから、あなたが今、ここにこうしていることは奇跡的な素晴らしいことなの。だから、自分がここにこうして地球上にいることをたっぷり祝福して欲しい。そして今、我々ひとりひとりのアクションが未来の地球の健康に反映されるのよ。私が死んでも私が残したゴミは何千年も消えないんだから!」感極まって、涙を流しながら言ってくれた彼女の言葉は、私たちの脳裏にしっかりと刻まれた。
そして次に尋ねたのが、大会オンラインライヴのMCを務めるアイゼア・ウォーカー。大学でサーフィンの歴史を教える教授だ。
古代の自給自足の時代から現代のハワイに変わっていく経緯、政治的な問題、そして、ダフイという団体がなぜ生まれたのか、説く本(バテンスが表紙のウェイブ・オブ・レジスタンスという名の本)の著者である彼からは、なぜ「波が割れる領域を守ることがハワイアンたちに(私たちにも)大切なことなのか」を教えてもらった。
そこにもやはりKAPU ALOHA/PONOを知ることが今現代の鍵になることだとわかり、(大会は再開の合図はまだ出ていない間に)ホオポノポノの施行者でもあるハワイ大学教授、哲学博士マヌラニ・アルリ・メヤーを尋ねることにした。
「訪ねることにした」というと、なんだか自分の意思で全てが動く様な状況の様に聞こえてしまうだろう。けれど、(なんとも説明し難いのだが)なかなか捕まえることの出来ない大物たちが、なぜか私たちを迎える準備をしてくれ(しかも波が悪く大会が出来ない日に)気持ちよく迎えてくれたのは、何かそういうことなんじゃないかと思わされた。そういうこと、というのも、言葉には現せないことなので、そのまま聞き流して欲しい。。。
その教授のマヌにインタビューのアポを取って数時間後に、早速私たちはココナッツの葉で出来た東家の下に、マヌが人数分だけ用意して丸くした椅子に座り、向かいあっていた。「で、来た目的は?」と聞かれ、「PONOとはALOHAとは何かを教えて欲しいのです」と。
いきなり、彼女は笑い始めた。
そしてチャントを始めた。
後から聞くと、それは古来の話をシェアすることの許可を祖先から得る為のお祈りだったという。そして、「ごめんなさいね、私があなたの言葉、日本語を理解できないで。ごめんさいね、私、日本語が喋れないで」と。「いええ」アハハ、、、と言ったものの、私のアハハが、空気中に凍りついてしまった様な気分になった。
彼女は真剣に謝っているのである。厳しさの中に、底知れない優しさの海が広がる彼女のその態度に、タロ畑の夫婦に感じさせてもらった様な「一地球人の責任を果たす為に」ここに来て、彼女に投げかけているように思えてきた。
「アロハとPONOは、同じコインの裏表にあたるもの。どちらも大事。だけど、どちらかが欠けたら存在しないものなんです。」
この言葉から対談は、川の流れの様に海に向かって流れ出した感じとなり、1時間ほどたった時、(会話がもう少しで海に流れていく河口近くで)こんなやりとりがあった。
「波に乗った時のあの感覚、最高ですよね~」と、ものすごい大きな笑顔を見せたヤス。
「それ、それよ!あなたはもうPONOがどんなことなのか経験してる!!人間が正しく生きていくために必要なものを貴方はもうわかってる!!」マヌの顔が急に明るくなった、そしてこう続けた。
「満ち足りている感覚、風までが優しくキスをしてくれるという気づき、卓越感、公平、真っ直ぐ、本性、の全てが、その瞬間に凝縮されていたのよ、わかる? その感覚を日々、いや、一瞬でも失わないように努力することが必要なの。そして、連鎖。ひとりひとりがPONOでいる。PONOがPONOを呼ぶ。そして、社会全体が良くなる。こんなシンプルなことはない。わかる?」
「ハワイに来た時には、それがなんとなくわかるんですけどね。天候に恵まれてるし、ハワイの人たちは明るいし大らかだし、車を運転していて横道から入ろうとしてる時なんかみんな譲ってくれますもんね。
それに例えば、ハワイの友達にどこかで会ったりしたら、ものすごく喜んでくれてハグしてくれる。波も良いし、、、そんなハワイにいると、心が穏やかになるし、全てに感謝したくなる。それが、なんとなくそのPONOっていう感覚な様な気がするんですが、日本の東京に戻ると、我先、我先と、皆が常に焦ってる。
車を運転してて横道から入ろうとしてもクラクション鳴らされるし。ギスギスしてるんですよ、世の中全体が。本当は俺、海を通して多くの人に「あの気持ちよさ」言い換えたらPONOになるのかな、その感覚を教えてあげたいんですが、自分自身が、日本に長いこといると、いつの間にか尖ってくる様な感じになるんです。どうしたら良いんでしょうね。」
「それはあなたが引き込まれているから。ヒヒアと言うの。ハワイ語では。自分が他人を言葉で変えられるという誤解が自分のPONOを崩してしまっている状態よ。PONOは教えることができないんです。それぞれのPONOは違うのだから。
あなたの「あの波に対しての想い」は、隣の人にはわからない感覚かもしれません。それぞれの人の中でそれを自分で探し出さなければならないの。しかし、あなたが言ったように、日々、自分がPONOでいること自体、本当に難しいこと。
私自身も日々、PONOであるための努力を重ねています。それが人が人として生きる上での責任なんです。落ち込んでいる人たちには、よりたくさんの愛情を与えなさい。けれどその限界を知りなさい。それがカプ アロハです。PONOを伝えるもっとも近道は一つしかないの。自分がPONOであり続けること、なんです。」
全てが海に気持ちよく流れた様な瞬間だった。そして、駐車場に向かって歩いていく間、マヌは私の耳元で、「全ては、境界線の中での自己解放。それが鍵よ。彼はもう知ってるわ。あの笑顔を見た時に確信したわ」と。
彼女の言葉は私の頭の中で何日も渦を巻いていた。しかし、グルグルしながらもその渦は自分の管理下の海に馴染みだし形を失っていくのを感じ始めた頃、大会が再開されることになった。
サードリーフで時々崩れるほど巨大な波が押し寄せている
1月14日と1月15日。その日の波のサイズは15フィート。サードリーフで時々崩れるほど巨大な波が押し寄せている日だった。しかも、ノーススウェルが混じっている。両日とも、夕方の数時間はクラシックなパイプラインとなった時もあったが、ほとんどの時間が素直なパイプではない。
パイプラインが、チューブをサーファーたちに与えてくれる頻度はとても少なく、多くの場合、波はギロチンの刃の様になり、リップを一気に崩してしまう。久しぶりに出場したケリー(スレーター)でさえも、ラウンド1では、乗れる波を見つけられなかったほどだった。
大自然をなめるんじゃないわよ。
マザーネイチャーのお叱りの声が聞こえてくるようだ。
そして、怪我人が続出した。
初日にはビリー・ケンパーが顎を岩に打ちつけ、顔面血だらけで浜に戻り、救急車で病院送り。ベテランであるはずのマクア・ロスマンも足を負傷。
昨年ベスト12満点を出し手にした高額で新しいトヨタのタコマトラックを購入したカラ・グレースは初日絶好調だったのにも拘らず、2日目に乗った一本で大怪我を負った(波に揉まれた際にヘルメットが取れ、岩に頭をぶつけ、レスキューチームに助けられてかろうじて着いた浜では、意識朦朧。すぐにクイーンズホスピタルに送られた)。
そのカラの事故で、試合は一時停止となったが、またすぐに再開。再開したのは、奇しくも日本人チームの番だった。いきなり潮周りが良くなった様で、パイプラインはギロチン状態の波を出口を用意したトンネルの波にと姿を変え、何本も日本人選手に用意してくれた。カラが怪我した様子を、沖に(すでに)ゲッティングアウトしていた日本人チームは見ていない。そのせいか、日本人チーム全員、意気揚々と、与えられたチャンスを活かすことが出来た。
その後、ケリー・スレーターも、さすが天下一とも言えるパフォーマンスを見せ、ようやく大会へ明るさが戻った。が、最終ヒートに出た66歳のマイケル・ホーもかなりな突っ込みを見せていたので一言もらおうとマイクを向けたが「甥のカラが危篤なんだ、気分は全然よくないよ」と言われ、そのまま私は、マイクを引っ込めた。
試合終了後、すぐに閉会式が行われるはずだった。。。振り返れば、エイメオ・ザーマック、クレイ・マルゾ、ベンジ・ブランド、カイ・レニー、モニーツ兄弟、モアナ・ジョーンズ、アイバン・フローレンス、コア・スミスが、良いライディングを決めていた。
順番が気になるのはきっと私だけではなかったはず。しかし、カラの状況がどっちに転がるかわからない状況では、とても勝利を讃えあうことなどできない。結局、表彰式は延期になった。かわりに、大会終了後、ボルコムハウスの庭にみんなが集まり、輪になり、手を繋ぎ、空に向かってお祈り代わりに歌を歌った。
カラ・グレースが快復しますように。。
数日後。カラの意識が戻ったというニュースが届いた。話によると、意識が戻った途端に彼は、母親に何かを言いたげだったが、気管チューブが挿入されていて話せないという事を理解した彼は、紙とペンを要求した。そして、そこに書いた言葉は、、
「Did I win? (俺、勝った?)」
カラが意識を戻した!良かった!!!ホッとした関係者&選手たちは、表彰式の為にボルコムハウスの庭にふたたび集結した。そこには入賞していないことを知っていてもダフイの主催者に個人的に挨拶をするためにだけに来たケリーの姿もあった。みんな「大自然の下にこうして集まることが出来た」それだけに感謝している様に見えた。
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『参加選手の声』
ヒート終了直後だったけど、見事なチューブを決めたAKA’パイプの女王’ モアナ・ジョーンズ
あの一本、どんな気分だった?
「今年は男性に混じっての試合だったんで、波が来たら怖くてもきっと周囲に行け行けと言われるんじゃないかと心の準備はしていたの。あの一本が来た瞬間、怪我したチームメイトのビリーを迎えにきていた救急車のサイレンが鳴っていたでしょ。
でも、沖の私には、届いてなかった。聞こえて来たのは、同じくチームメイトの「ゴー、ゴー」というカラ(グレース)の声。
何も考えずに振り返り夢中でパドルを始めました。その後、目の前に、とてつもない大きい波の壁が広がり、なぜかその後は覚えてないの。気がついたらメイクしてました。他の人から女王とか言われるけど私はそうは思わない。あれ、涙が出そう。私、パイプの波、大好き、それだけなんです。」
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2日目、流石のバックドアチューブを決めていたケリー・スレーター
今回は何回目の出場だったの?なんで出たの?そして満足した?
「最初の年以来の2回目の出場だったんだけど、友達がチームを作るから出ないかという声がかかり、ちょうどパイプラインマスターズの練習にもなるからと出させてもらったんだ。
もっともっと、ビックなバックドアの波が入っていたら良かったなとは思う。俺のヒートは朝と夕方だったけど、11時から12時の間の潮回りの良い波でやりたかったな。ま、でも、素晴らしい大会だよ。ビューティフルデイだ。楽しくやらせてもらったよ」
サードリーフが割れる波で苦労している様にも見えたが、一本彼女らしいライディングを見せてくれたカリッサ・ムーア。
大会に出た感想は?
「こんな誰もいないパイプでやらせてもらえる大会に出させてもらえて、本当に光栄でした。色々勉強になりました。」
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優勝者のベンジ・ブランド。受賞後の一言。
優勝おめでとう!優勝できると思ってた?
「いや、全然、確かにいいのは決められて満足はしていたけど、他にも僅差だった選手もたくさんいたし。本当にラッキーだった。それだけです。ありがたいです。」
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はじめて今大会に出場した原田祥吾
どういう経緯で出ることになったの?
「最初は鎌田さんからお父さん(原田泰三さん)の方に連絡が来て、出るか?って聞かれて、出てみたいな~と思いました」
実際に日にちが近づいてきてどんな気持ちだった?
「やっぱり緊張というのと、怖いっていうのと、楽しみっていうのと、なんとも言葉で表せない感じです。」
それをうまくマネージしたわけだけど、特別何かおまじないとかやってたことはある?
「怪我しないように、とか、海に感謝の気持ちとか、、」
一番印象残ってるこの大会での瞬間は?
「試合始まる前のセレモニーというか、伝統文化を間近でみたときに、鳥肌が立ちました。あれを見て、実際に、大会に出てみて、なんか自然とか、全て繋がっている感じがしました。もちろん怖いっていうのはありましたが、自分の波をしっかり待って、来たら乗ればいいと思っていました。自分のライディングに対しては、納得いかない部分もあったんですが、日本人のすごい人たちと同じチームで一緒にできたことは、とても楽しかったです。」
佐藤魁の怪我で急遽出場することになった初出場の松永健新
出ることが決まった時の気持ちは?
「伝統的な行事なんで、すごく嬉しかったです」
一番、印象に残ってる場面は?
「開会式のハワイ語のチャントに合わせたダンスですね。なんか、自分たちは、自然の中で、生きていて、自然があるから自分たちがいる、という、自然の大切さが伝わってきました。試合の方は、パイプライン貸し切りだったので、感謝しかないです」
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10年のハワイ経験の後、願いが叶って初出場を決めた鈴木仁
出場が決まった時はどんな気持ちだった?
「出たい気持ちが元々あったので、やっと来たかって思いもあり、でもノースショアのパイプラインなんで、緊張と怖さは混じってました。」
何年くらい経験してたの?
「そうですね、ハワイ自体、もう10年くらい来させてもらってる感じです。サードリーフの経験もありましたが、パフォーマンス的には、満足するものもあったんですが、自分が狙っていた、パイプラインの綺麗な掘れ方のが、乗れなかったんで、それは少し、悔いが残りました。そういう波に乗れもしなかったってことが、少し悔しい思いもありますが、それでも初出場で、普段混んでるパイプラインを貸し切りで出来て、人生の一本に匹敵する様な波を決めることが出来た。それはそこで、良かったなと満足してます」
超やばいワイプアウトの後も怯まずに突っ込んでいた松永大輝
一番印象に残ってる場面は?
「最初のラウンドで、自分、こけたことと、やっぱり開会式の儀式の歌ったりダンスしたりとかの雰囲気とか、ですかね」
じゃ、こけた時の気持ちや状況っていうのを説明できる?
「最初は、テイクオフは結構簡単で、ボトム降りる時に、下見たらガタガタしてて、そこでもう安定しないっていうか、パタパタしちゃって、あーやばいなって思って、ボトムターンしようとしたんですけど、板が押さえきれずに、そのままコケちゃって、こけた瞬間にちらっとチューブが見えたんすけど、鬼デカかった。すげー悔しかった。で、揉まれてちょっとした瞬間に危ない揉まれ方で、岩にヒットするかなと思ったけど、大丈夫でした。肩はずれそうだったけど。」
その後も怯まずに突っ込んでたのは普通できないよ、なんでそんなことが出来るの?
「やっぱりそれは、「自分を信じること」じゃないですか。とか、波、パイプラインってすごい波なんで、波にリスペクト。日々感謝して。それは大会通して、改めてまた感謝って大事なんだなって気がついいたことです。」
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最終ラウンドでピカ一なバレルを何本か決め、4位入賞を果たした脇田泰地
去年よりも今年はすごくうまくやってたように見えたんだけど、何か特別なことをしたりとかあったの?
「まあ、去年の経験を生かせたっていうのは大きいですね、やっぱ、まあ、狙ってる波も定まってきたし、自分が乗りたい波をちゃんと「待って乗れた」ことが、今回よかった点だと思います」
最初、クローズアウトのデカイ波のチューブの中でも、最後まで出るんだって姿勢が見えてたけど、どういう思いだったの?
「やっぱりメイクしたかったんで、、、チューブも入るだけでも気持ちいいんですけど、メイクしたらもっと気持ちいいんで、どんだけディープでもチューブから出ることしか考えてなかったですね」
やはり泰地にとって、パイプラインは特別なところ?
「一番好きだし、一番尊敬している波です。決めたいところです。」
一番印象に残ってる場面は?
「最後のヒートが、一番潮回りからして良い時間帯だったんで、セットがバンバンき始めた時には「来たー!」って思ったっすね。みんな乗ってたし、特に今年のシュートアウトは良かったです」
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グッドバイヴを周囲に常に放ち、毎年なにかしら決める堀口真平
去年はバックドアの綺麗なの抜ける時に拝んでいたのが印象的だったけど、今年も神がかった瞬間はあった?
「一本これだっていうのが入ってきた時に、友達のカラニ・チャップマンに言われたこと「これだと思ったら行け」を思い出して、よしっ!て乗ったのが、レイトで、エアードロップみたくなっちゃって、ヤベーと思ってたけど、うまくリセット出来て、パイプのチューブが目の前に広がった時にスタンディング、ゴーンとかして、目の前はもう真っ白で、、うん、ほんと、パイプの女神が微笑んでくれました。
今回は、自然となんかリンクするようなことをすごく意識してて、人とかってあまり考えなくて、波、自分、そのタイミング。。。波の懐にふっと寄り添うような感覚で波乗りしてた感じです。」
外国の人たちの中でもシンペイが送るバイブはいつも気持ちいいよね、ってことを言われてたりするんだけど、そのことに関してはどう思った?
「最初にセレモニーの時に、山があって、海があって、それが繋がってて、自分がその自然の中のワンパートだぞっていう感じがあって、そして、自分ひとりひとりのバイブが、周り全てのバイブを高めたりするわけだって話をされていたんですけど、それがまさしくそれで、「自分が高まる、いいことをする、いい気持ちでいる、みんなが高まる」高め合い?自分はそれを意識してて、最近特に心がけています。」
いい大会だよね。
「本当ですよね。こんな自然が大切だって言ってくれている大会なんてないですよね。それを大きい波でサーフィンすることで、身をもって、パイプラインで、神がかった場所で、体感させてくれるから、そういう気持ちにピュアに、ボーン、となれるんですよね。そういう場ってなかなかないっすね。厳ついハワイアンの心意気とか、文化の継承とか、自然を大切にすることとか、すごくレベルの高い、セッション、イベントですよね」
キャプテンとして何かしたこととかはあるんですか?
「特に。。みんなが楽しんでやってくれればと思っていました。」
最後に大会ディレクターのマヒナ・チリンワースさん。
日本の選手たちの多くが、あの開会式に出たことで自然とのリンクと感謝を感じて、あれだけ突っ込めたと言ってました。言葉が通じないのに、意味が通じてることがとても不思議だったんですが。。。
「そうなんです。言葉とか国境とかの壁は、海に触れれば溶けていく。遡れば私たちみんな海からの生物で枝分かれしていっただけなので、元々ひとつなんですよね。それをネイティブハワイアンは知っているのです。育てられる時に、海と自然とリンクする様にと。自分は生きているのではなく、生かされているということ。
それを私たちは常に思いながら生活しているのです。でもそれは、一度サーフィンをした人なら本当はもう気がついているはずなんです。気持ち良いから波乗りが好きになった。あの気持ちの良さは、魂の浄化です。
自分は生きているのではなく、生かされているということ。
あとから付いたしがらみや心に溜まった誇を波に乗ることで取り除き、元々あった光が洗われた状態なんです。考えてみてください。みんなが浄化されれば世の中は良くなる。
でもついスポンサーをつけるとか、うまくなりたいとか、表面的で物質的なことに偏りがちで、あの気持ちの良さを忘れてしまう。だから、改めてみんなが自分自身(ナアウ)に、繋がって欲しかった。そういう意図で、山と川をつなげる儀式的な開会式を行いました。途切れたものを川で繋げるように、マウナ(山)を守るネイティブハワイアンのプラクティショナー(文化人)に参列してもらいました。とても良い大会になりました。ありがとう。」
Haʻina Mai Ka Puana
ということで
終わりに。。。
私的には、はじめただの仕事(書き手、ダフイジャパン通訳)だったと構えていたのに、多くの奇跡と貴重な言葉が頭の中でスクランブルエッグの様に混ぜられ、結果、この大会取材をすることで、自分の中に眠っていた大切なことが掘り起こされることになった。
波、天候、健康、友達、周囲の人たち、海の生物、社会情勢、人口の物、すべてが動員して、起こしたあの奇跡。あの感動。。。
「やったー、乗れた!!!」
決して手放してはいけないもの。
周囲のためにも、社会の為にも、次世代のためにも。
いや、何より、自分のために。
カラの医療費をカバーするために寄付が出来るサイト
https://www.gofundme.com/f/kokuaforkalagrace
優勝:ベンジ・ブランド( SNAPT5)27.3
2位:アイバン・フローレンス (パイプライン・ハマーズ)26.5
3位:カラ・グレース(ダ・フイ・ワックス)25.1
4位:脇田泰地 (JAPAN)24.9
5位:セス・モニーツ( SNAPT5)24.8
SUP優勝:ゼイン・シュバイツァー
ロングボード 優勝:キーガン・エドワーズ