【訃報】伝説的シェイパー、巨匠ディック・ブルーワー氏が他界。 RIP: Dick Brewer, 1936-2022

RIP: Dick Brewer, 1936-2022

 

 

5月28日、リチャード・”ディック”・ブルーワー氏は、妻のシェリー、家族、友人に囲まれながら、自宅で安らかに息を引き取った。長い闘病生活の末に亡くなられた。85歳であった。

 

ソーシャルメディアでは、彼が影響を与えた偉大なサーファーたちからの賛辞があちこちで見受けられます。ミスター・サンセット・ジェフ・ハックマンがInstagramに投稿したこの賛辞は、それを象徴するものだ。

 

 

「ディック・ブルーワー。ノースショアのビッグウェーブに乗るきっかけを与えてくれたのは、他でもない君だ。君は優しくて、寛大で、本当に先見の明があった。君のボードは、当時としては最高のもので、他の追随を許さないものでした。僕は君と知り合えたこと、そして友人であったことを幸運に思っています。君に会えなくなるのは寂しいよ」。

 

 

サーフィンの進化において極めて重要な時期に、このスポーツの発展を後押ししたのは、最先端のボードビルダーたちだった。そして、ディック・ブルーワーほど影響力のある人はいなかっただろう。

 

 

 

 

1936年ミネソタ生まれ、カリフォルニア育ち。53年にサーフィンをはじめ、17歳で初シェイプ。60年にハワイに移住し、サーフボード・ビルドを本格的にはじめ、61年に自分のレーベル「サーフボード・ハワイ」を設立。

 

パット・カレンやボブ・シェパードらのデザインの薫陶を受けつつも、当時名うてのビッグウェイバーだったバジー・トレントと独自にエレファント・ガンのデザイン開発に邁進する。

 

61年にマカハのコンテストでバッファロー・ケアウラナが、63年に同じくマカハでジョーイ・キャベルが、ともにブルーワーのガンに乗って優勝すると、“ブルーワー=ガン”の伝説が生まれる。

 

60年代半ばには、故エディ・アイカウのトレードマークだった“レッド・ホビー”を削る。またビングからは“パイプライナー”や“ロータス”といった名器をリリース。その後60年代後半はミニガンの開発に力を注ぎ、ショートボード・レボリューションの中心人物として世界にその名を轟かす。

 

80年代にはデレック・ドナーをパートナーに研究を進め、スラスターガンにおけるスタンダード・デザインを確立。90年代からはレアード・ハミルトンとトーインでのビッグウェイブ・サーフィン用のボードのデザイン開発に没頭。カウアイ島ノースショアの自宅のシェイプルームでサーフボードを進化させ続けた。

 

 

2012年に収録されたディック・ブルーワー来日記念インタビュー