不屈のサーファーガール、サリー。不運を乗り越えて掴んだ幸福。彼女の身に2度も降りかかったアクシデントとは

Don’t think about it, Just do it!

 

text:Emiko Cohen    photo:GORDINHO

 

リー・コーヘンはハワイのノースショア在住のキュートなハワイアン・ガール。今年2度の信じられなうような怪我を負って不屈の精神で復活を遂げ、WSLロングボードツアーに参加。そして、なんと最終ランキング世界9位でフィニッシュした。そんな彼女の母である、サーフメディアでもお馴染みのエミコさんが、サリー復活のビハインド・ストーリーを綴ってくれた。

 

 

あの日の波は、日本のサイズで言えば胸くらいだった。ただノースショアのガスチャンバーだ。だからそんな小振サイズでもパワーがある。日曜日だから多くのサーファーが教会に行っているんだろうか、私と、そして2組の父子。空いている贅沢なセッション。

 

波は、スーパーロータイドにノースウエストのスウェルのせいだろう、バックウォシュがきつく、どこで割れるのか、リーフブレイクとはいえ予測つけるのが難しい。いつ回ってくるかわからない波にアンテナ張って待っている私。が、突然のその波は、私にではなく10メートル先の男の子の前に現れた。

 

 

大きく成長しようとしている娘の姿を確認できるような事が起きた。

 

 

背中に迫る大きな波。緊張が隠せない10歳前後のその少年がパドルを始める。それと同時に、岸側からパドルアウトしてくる父親から大きな声が飛んできた。”Don’t think about it, Just do it!!!” 前だけを据え、少年は勇ましくテイクオフをした。

 

そのセッションの帰り、車ので私は自分の子育てを振り返っていた。怪我やリスクのことを考えるあまりアスリートである娘にその言葉は欠けることが出来なかったなと、どんな子育てにも必ず後悔はあると思う。が、もう少し、もう少し押せばよかったかもしれない。。。。そんなことを思っていた数日後、キャパの狭いこんな親を乗り越え、大きく成長しようとしている娘の姿を確認できるような事が起きた。

 

2021WSLロングボードツアー第2戦が行われたマリブでソウルアーチ・ハンテンを決めたサリー

 

 

2021年9月28日。コロナ禍で一時停止していたWSL世界ロングボードツアーがようやく再開した。場所は、カリフォルニアのコーストラインから西へ約180キロの何もない農地の真ん中にあるウエイブプールだ。

 

言うまでもないと思うが、2007年に11Xワールドタイトルを獲得したケリー・スレーターと専門家の努力で作られたもので、長さ700メートルあるプールに列車の様な機械に押された(海水ではなく)真水が人工の波となり、頭ほどの高さのスロープから見事なチューブでフィニッシュする。

 

 

世界チャンピオンのテイラー・ジェンセンとサリー

 

 

今回の大会は、世界トップランク(18人)が、9フィート以上もある重たいロングボードを使い、そんな小細工の効かないパワフルで掘れた波をどの様に処理していくのかに、興味が注がれた。

 

問題は、半数以上の選手はこの波を経験したことのないってことだった。予定では9月27日の夜にワンラウンド練習できるはずだった。が、機械が壊れた。「試合は出来ないかもしれない」そんな噂が流れる中で朝7時の集合時間に向かう選手たち。無事に直って、大会ができることを知ることをどれだけ喜んだことか。

 

大会予定はすぐに組み直され、レギュラーとグーフィー各一本ずつ、合計2本、各選手が練習できるということになった。余談になるが、もちろん前もって練習出来てる選手もいる。ある類の選手。簡単にカテゴリーで言うなら、「リッチな選手」だ。あまり知られてない話だが、このケリーのウエイブプールを一日貸し切るのに5600ドルの費用がかかる。一本の波として換算すると約$500。貯金貯めて行ってみようかって範囲ではない。

 

 

サリーとなつみ

 

「負けたけど頑張った」田岡なつみとサリー。

 

 

実際の戦いでは、(I wonder why…)ソレイ・エリコ(CAL)がコンスタントに8点台を出し続け、準優勝。その彼女を倒して優勝した2度の世界チャンピオンを獲得しているホノルア・ブルームフィールド(ハワイ)は、見事決勝でスイッチスタンスのチューブを決め10点満点を獲得し優勝。メンズデビジョンはエドワルド・デルペロ(フランス)が、ハリソン・ローチ(オーストラリア)を抑えて優勝した。

 

 

サーフランチでソウルアーチでハングテンを決めるサリー

 

 

「負けたけど頑張った」のは、田岡なつみとサリー。なつみは、巧みなフットワークに点数が付きセミに進出。しかしチューブは決められずじまいでファイナル進出ならずに終わり5位タイで終了。

 

 

で、うちのサリー。予選は調子良くて選手全体の中で3位の位置でセミファイナルに進出した。が、セミでは、得意のフロントサイドでチューブを決め7点代を出したものの、バックサイドでの点数が伸びず、0.37差で決勝進出を逃した。とはいえ、事情を知ってる人たちは、まるでサリーがすでに優勝したかのように、喜んでくれた。

 

 

 

 

サリーの身に降りかかった二つのアクシデント。

 

 

そのある事情とは。。。文字通り、事情が二乗という漢字にも出来る様に今年に入ってサリーの身には二つのアクシデントが降りかかっていた。最初のアクシデントは、今年の3月に起きた。

 

 

長い間、人との交流を避けていたサリーだが、感染者の数も減ってきた時点で規制も緩まり外での集いが許されたときに、友人の家にプールの集いに招かれた。そのパーティーで不運なことにサリーが立っていた床(年数を重ねたバルコニーの床)が抜け、コンクリートのプールサイドの床に落下。左足の指を全部骨折してしまった。

 

 

 

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が、手術は幸い成功。ただフィジカルな傷と同様、心の傷がウジウジしているのが親の私も受け取ることが出来た。松葉杖の生活にようやく骨がつき始めたころ、彼女は私にぽつりと言った。

 

 

「痛いんだよずっと。いろんな人からインスタでメッセージもらったけど、痛みが消えるのは、一年位かかるみたい。もうサーフィン出来ないかもしれない」

 

しかし、しばらくすると自ら立ち上がった。

 

「どうせしばらく波乗りできないし、何か他に集中するものを見つけることが精神的にも良いから大学に行くよ。病院の人の働きを見てて私も医療に従事したいと思ったんだ」。

 

 

ツアーのためにとっておいた貯金を崩してハワイ大学附属の短大のオンラインを受け始めた。想像つくかもしれないが、やはりコンペティティブな彼女は、受けたクラスの全て、Aという好成績を取った。

 

 

塞ぎがちな彼女を明るくさせるのは海しかない。

 

 

医者から許可を得てようやく海に戻れた最初のセッションは、5月19日のこと。ピドリーズが肩位サイズがある日だった。腫れた足に体重をかけることのできない状態だったが、塞ぎがちな彼女を明るくさせるのは海しかない。

 

そう思った私とティナは、騙すようにサリーを海に誘い出した。やってなかったとはいえ、パドルは断然彼女の方が私より早い。しかも波の癖を把握しているだけ必ず良い波が来るところにサリーは来る。アプローチしてくる波に乗った。が、膝立ちしかしない。

 

 

 

「どうだった?」
「つまんなかった。一回ぶつけちゃったら、すごく痛かったし」

 

 

 

コンペティションに戻るか戻らぬか「結論は彼女自身が出すべきだ」。そう思った私は、出来るだけ「普通に、普通の日々を過ごす様に」と、時としてサリーの落胆に気がつかないふりをする努力をした。

 

 

 

サリーの姉ティナと彼氏のJOBことジェイミー・オブライエンは、サリーにとって一番のサポーター

 

 

世界のベスト10。そんな簡単に捨てることが出来る?

 

 

サリーが、フィジカルセラピーをこなしていながらも、ようやく波乗りらしい波乗りができるようになったのは、7月に入ってからだった。波乗りができるようになったと同時に、次の学期の受付が開始になった。「どうしよう? たくさん学科取ろうかな? でもツアーも始まるし」

 

 

悩んでいたサリーに、姉ティナのボーイフレンドであるジェイミーが言った。

 

 

「みんなアスリートは怪我をするんだよ。俺だってそうだ。ジョンジョンだってそうじゃないか。サリーは、世界のベスト10に入ってるんだよ! 気がついてないかもしれないけど、トップに君臨できるのは並大抵なことじゃない。タイミングとか年齢とか、いろんなことが重なって可能になる。そんな簡単に捨てることが出来る? 俺はサリーの可能性を信じてるし、きっと多くの人が同じように思ってると思うよ。大学にはいつでも戻ることができるし。。。」

 

 

その言葉がきっかけとなり、サリーは一学期休校することにした。フルエネルギーで波乗りに取り組むという結論を出したのだ。その後、試合までの一ヶ月半は、トレーニングとサーフィンの日々を数週間過ごした。

 

 

サリーが怪我した。いま病院に運ばれた。

 

 

そして8月の最初の週、サーフランチのイベントに一緒に参加しないかと、ジェイミーからサリーにオファーが入り、初戦がサーフランチであるがため見逃す術はない。もちろんサリーの答えはYES。ジェイミーとジェイミーのクルーと共にランチに向かった。

 

 

初のセッションの最中のサリーから私にフェイスタイムのコールが来た。「生まれた初めてのチューブに入ることが出来たよ! みんなにあんな深く決めてるロングボーダー、見たことないって言われたよ!!」波にうまく乗れたと言うところより「やっと元気を取り戻した」サリーを見て、嬉しくて話してるところのスクリーンショットを取り、ファイルに保存した。(サリーには言ってないが)

 

 

で、その数時間後。ほんの数時間後のこと。私はメインランドに友達の結婚式に参加するために旅立つティナを車に乗せ、エアポートに向かっていた。ジェイミーからのティナに電話がかかってきた。「サリーが怪我した。いま病院に運ばれた。」

 

 

「ママ、私、もう波乗り出来ないんじゃないかと思う。馬鹿な失敗ばかりして、私ってなんなんだろう。」

 

 

手術を終えたばかりのサリーからようやく連絡が入った。

 

 

「いまは波乗りのことを考える場面じゃないよ。コロナが激しい中で、サリーのために頑張ってる医療関係者さんや、ジェイミーや、サポートをしてくれる人に感謝の気持ちを持つことだよ」私のこんな繕いの言葉が心に届くわけがない。

 

「うん、でも、コロナでみんな忙しいみたいで、血が出てるのに、誰も来てくれないし。」

「大丈夫。みんな周りはプロなんだから」

 

 

何も役に立たない言葉しか出せない親、私。

電話を先に切ったのはサリーだった。

 

 

24針の傷。歯4本を破損。顎の骨にヒビ。

 

 

 

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しかし。。。どんな状況であっても「しかし」を付けられるものだと思う。カリフォルニアのドクター、特にビバリーヒルズの歯医者の指示は適切かつセラピューティックだったのと、ティナに振り回され、ブログのカメラマンとして忙しくしていたため、処置が完璧に進んだだけでなく、私が一番心配していたメンタルバランスも、うまく調整できていた。

 

 

病院から電話をかけてきたサリーとはまるで別人

 

 

カリフォルニアである程度の治療を終えなければならかったため、ハワイに戻ってきたのは怪我から2週間も経った頃だった。久しぶりに会う娘は、なんだか違う。病院から電話をかけてきたサリーとはまるで別人の様。

 

 

傷で多少引きつる顔も全く気にする様子ない。心配してくれた人たちみんなにクッキーやカップケーキを作り手渡しながら淡々とそれまでの出来事を伝えている。なんだか「心の皮膚が厚くなった」様に見える。

 

 

数週間後に迫るコンテストのために着々と準備も進めた。自分の顎にぶつかり壊れてしまったプール用の板をオーダーしなければならず、怪我の前に数本のった時の感覚をシェイパーにフィードバック。よりスピードを付けやすい軽めの板を用意した。

 

 

ヘルメットを装着してヒートに挑んだサリー。サーフランチ用に用意したボード

 

 

さらに、怪我したチューブに心のブレーキをかけることなく突っ込める様にと、ヘルメットを被ることに決めた。ノースショア近辺のサーフショップ全部巡ってもサリーのサイズが見つからず、結局、うちに置いてあった伊豆の足立海世君のヘルメットを許可を得て使わせてもらうことにした。

 

 

こんな長い経過を得ての本番だった。。

 

 

予選を3位で通過。セミファイナルでは点数が出なかった。試合後のサリーは「点数がもっと出るかと思ってた。決勝に上がれなかったのが本当に悔しいけど、怖かったバレルをメイクできたことは、自分の糧になったと思う」とメディアの前では言っていたが。。。やはり親は親。。余計な心配が私のどこかにある。

 

が、5日後。

 

サリーとなつみ

 

「今さ、あたし、なつみと同じランキングなんだよね。ベスト10から溢れちゃうと、WCTから落っこっちゃうからさ、さっき会ったとき言ったんだよね、なつみに。「今は友達だけど、マリブでは口聞かないかもよ」って言ったら、「そうじゃないでしょう~」って言って、二人で大笑いしてたんだ。」

 

「あははは、、、なつみっていい感じの人だよね。でさ、どうだったの?実際、チューブにあんなにガッツリ入ったのは、初めてじゃん。感動した?」

 

「うんうん、レギュラーの方が浅いんだよね。中にいるとゴーーーーーーーーって音がすごいの。録音できたらしたいくらい。ワイキキの子とかは、もうやりたくないって言ってたけど、私はチャンスあったらまた絶対やりたい。

 

ジェイミーにも言ったんだ。メキシコのチューブを求める旅。ほら、インサイドのでかい波に突っ込むやつ。あれに今度連れてってよって言ったら嬉しそうに「オッケー」って言ってた」

 

 

。。。これからも「祈る」場面が出てくるんだろうと確信してる(苦笑)

 

 

うん、やっぱりサリーは、負けたけれども「勝った」と思う。それは、技術的に優れていたということでもなければ、怪我の困難を乗り越えて、ということでもなくて、、、今まで人との関係を大切に編んでこれたサリーだからこそ、どんな場面でも真剣に助けてくれる人が現れる。

 

その「人としてのあるべき健康な関係を築き上げることができた」ということは勝者ということに他ならないことだと思う。その証拠に、親の私が教えられなかったことまで、しっかり習得してるんだから。そう、あの言葉の意味を。

 

Don’t think about it, Just do it!