東日本大震災から10年が経った。先月2月13日には、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震があり、最大震度6強を観測。それは10年前の余震と考え、あの時を思い出させるものとなった。
震災前は世界大会も毎年行われていた福島県の南相馬市北泉海岸。復興は道半ばではあるが、着実に前に進み、2019年には、JPSAのロングボード大会も開催されるなど、福島の海にはサーファーが戻ってきている。
月刊サーフィンワールド編集部を経て、当サイトにも寄稿してくれているフリーランス・ライターである米地有理子氏。宮城県生まれである彼女は、SW時代から東北エリアの記事を担当することが多く、震災後は、毎年福島に訪れている。そんな彼女が今回サーフライダー・ファウンデーション・ジャパンに、福島のサーファー達の10年をまとめた記事を掲載しているので、是非チェックしてもらいたい。
東日本大震災から10年の福島からのメッセージ。
文・写真/米地有理子
東日本大震災から10年が経とうとしている。10年ひと昔という言葉があるが、この10年は昔ではなく、今も歩み続ける復興への歩みの一つのカウント地点だ。
被災地の中でも特に第一原発の爆発事故という大惨事が起きた福島県は大津波の被害とともに放射能の被害を被り、復興の歩みはなかなか進まず、故郷に足を踏み入れることができない状況は今も一部地域に残るのが現状だ。
やむを得ず福島を離れなくてはいけなくなってしまった人、他県などに避難しながらも福島へ帰る日を待ち続けて来た人、立ち入り禁止が解除されてすぐに再建に立ち上がった人、さまざまな福島の人の不屈のストーリーがある。
コロナ禍の中で世界中の人たちがこの危機を乗り越えようとしている今、東日本大震災から10年という地点に立つ、豊間、四倉、岩沢、北泉の各ポイントの地元サーファーの皆さんの生の声を届けたい。
震災後訪れた、瓦礫だらけになった場所に植えられた向日葵の花を思い出す。10年が経とうとしている今、太陽に向かって咲くあの向日葵は、福島の人のようだったなと感じている。
全文はサーフライダー・ファウンデーション・ジャパンの下記のリンクからご覧ください。