ビラボン、リアルサーフブランドを産んだ男たち。創設者ゴードン・マーチャントとオッキー

ビラボン、リアルサーフブランドを産んだ男たち。Gordon & OCCY


ビラボン創設者、ゴードン・マーチャント氏と同社のアイコンでもあるオッキーことマーク・オクルーポが来日しトークイベントを行った。

 

 

ビラボン・インターナショナルについて

 

ビラボンは1973年にゴードン・マーチャントによって設立された。彼は自宅にてボードショーツをハンドメイドでデザインしローカルサーフショップに卸した。トリプルステッチを施して耐久性を高めたそのショーツはサーファーの間で評判を呼び人気を得る。近年では世界のサーフブランドの中でも確固たる地位を築き、多くのラインナップは、スポーツをおこなう人が求める機能に応える製品作りを目的とし、オーストラリア発祥のインターナショナル・アクションカンパニーとして大きな注目と人気を集めている。


 

来日したゴードン(左)&オッキー(右)

 

 

サーフィン業界の中心でもある湘南ということで会場となった「Surfers」は、サーファーや業界関係者が多く詰め掛け熱い熱気に包まれた。軽妙な語り口で知られる岡田修平氏がMCを務めたこともあり、和やかなトークショーとなった。その貴重なゴードン&オッキーのスピーチを会場に来られなかった方のために特別に公開するのでお楽しみください。

 


 

・ゴードン・マーチャント氏への一問一答。

 

ビラボンの成功の要因

 

「やはり高品質の製品を作ることです」とゴードン氏は明確に答えた。「さらにサーファーがサーファーのために製品を作る。当然のことですが、これは大変重要です。サーファーが何を必要としているか。それはサーファーにしか分からないのですから」

 

 

サーファーをスポンサードすることについて

 

チームライダーはブランドイメージとして重要です。とくにオッキーのようなアメリカでも有名になったサーファーの影響力は大きなものがあります。彼の活躍が当社のアメリカでの成功のきっかけとなりました。日本での成功もまずはアメリカでの成功から続いたものだと考えています。


 

ゴードン・マーチャント

 

 

コンテストのスポンサードについて

 

会社の宣伝だけでなくサーフィン界の発展のためにも試合をスポンサードするのは重要だと考えています。以前ワイメアの試合でスポンサーを務めましたが、そのときは波が30フィート以上になって選手でさえもパドルアウトをためらったほどでした。あのような大きな波を見たのは初めてでしたし、そのスポンサーになれたことを誇りに感じています。


 

 

 

・オッキーことマーク・オクルーポと岡田氏との対談

 

どのようなポジションでビラボンの仕事をされているのですか?

 

プロサーファーは引退しています。いまはいろいろな国を訪れてプロモーションの活動を行っています。先週はイスラエルへプロモーションにもいきました。

 

ジュニアチームの育成にも力を入れていると聞きましたが?

「オッキーズ・グロム・コンプ」というのをデュランバーで開催しています。日本のキッズサーファーも数人参加して、すごく上手かったですね。このコンテストは毎年行っていて、毎回日本のキッズ達は感動するほど素晴しいサーフィンを見せています。

 

CTを引退したタジ・バロウもスモール・フライズというコンテストを主催していますね。

そうです。彼の地元であるウエスタン・オーストラリアのヤリングアップで「タジズ・スモール・フライズ」というイベントを行っていて、ゴールドコーストでは僕がオッキーズ・グロムを行っています。パーコも「パコーズ・グロム・ストンプ」をサンシャイン・コーストで開催してるので、この3つがサーキットのような感じなんです。

 

ジャック・ロビンソンをどう評価していますか?

小さな波での試合はあまり得意ではないけれどチョプーやパイプのような大きな波ではすばらしいですね。若いサーファーは彼のビッグウェーブでの実力に達する必要があると思っています。

 

岡田氏とオッキー

 

 

1999年にあなたはコンテストにカムバックして世界チャンピオンに輝きましたね。あの年はチョプーとタバルアとパイプで勝っています。あなたは世界最高峰のレフトを制したサーファーですが、でもベストパフォーマンスはベルズを制したときのバックハンドだと思いますがいかがですか?

 

そうですね。僕はシドニーのクノーラで育ってバックハンドはあまり得意ではなかったんです。大きなターンはできたけど波をメイクするのは苦手だった。

 

そんなときゴードンと出会いゴールドコーストで練習してベルズに勝つことができたんですよ。彼はビジネスをスタートした頃で僕はバーレーやスナッパーでたくさん練習を積むことができたんです。その結果Jベイやベルズで勝つことができて世界タイトルへと繋がったんです。

 

岡田氏のツッコミにもしっかりと応えたオッキー

 

 

あなたはサーフスターとしていろいろな面を持っていると思います。それはまるでロックスターのようにダークサイドも持っていて、そこがまた魅力でもあると私は感じています。そのような私の見方についてどう思われますか?

 

それは事実です。人生にはアップダウンがあるものです。僕もそうでしたしそれをオープンにしています。だから同じような体験をした人と境遇を話し合い助け合うこともあるんです。

 

悩みのあるときはそれを誰かに話して聞いてもらうのが良いんですよ。そうでないとどんどん悪いことしか考えないようになってしまうんですね。だからそういう人がいれば僕は話を聞いてあげて助けになりたいと思っています。

 

日本のサーフィンレジェンドのひとり、佐賀さんもゴードンに質問

 

・参加者からゴードン氏への質問

 

僕は72才だからゴードン氏とは一つ違いなのかな?いまでもサーフィンを続けていらっしゃるんですね。

 

年齢というのは、ただの数字ですから、そんなものは忘れたほうがいいですよ。私はサーフィンだけでなくストレッチやヨガもやっています。おかげで若いころより柔軟になりました。とにかくサーフィンは若さを保つには最高のスポーツだと確信しています。


 

父、添田博道から日本屈指のサーフボードファクリーを受け継ぐ添田智博さん

 

 

僕はサーフブランドの二代目社長なんですけれど、僕は自信を無くしてしまうことがあります。ビラボンのようにクリエイティブな企業にするにはどうしたら良いでしょうか?

 

サーファーのためにサーファーが望む製品を作ることが重要です。あなたがサーファーならばサーファーにとってなにが重要な製品かはわかるでしょう。

 

またオッキーが言っていたように人生には浮き沈みがあるものなのです。上手くいかないときは忍耐強く好転するのをまつ必要もあります。仕事をすればするほど幸運が訪れるという諺もあります。

 

とにかく成功するためには時間がかかることもあるから集中力を欠かさないで忍耐強く取り掛かることが大切ですね。

 

 


今回は彼らの来日を祝うかのように、日本には台風によるスウェルが届けられ、彼らは日本の夏を満喫する事が出来たようだ。1台のミシンから「オーストラリアン・ドリーム」をつかんだマーチャント。そして、どん底から這い上がり頂点を極めたオッキーという二人の貴重な話を聞くチャンスを与えられ事に感謝したい。

 

 

ゴードン・マーチャント

 

ビラボン・インターナショナルの創立者。1973年。オーストラリアのゴールドコーストの自宅でハンドメイドのボードショーツを作り地元のサーフショップに売り始めたのがビラボンブランドの始まり。1980年代にはオーストラリア全土で同ブランドの製品が発売されるようになり、80年代後半には日本を含む世界中に販路を広げた。「サーファーにしか分からないフィーリング」は同社の有名なキャッチフレーズ

 

 

マーク・オクルーポ(オッキー)

 

シドニー生まれ。オッキーの愛称で親しまれている、オーストラリアを代表するパワーサーフィンの第一人者として知られる。1985年のパイプマスターズチャンピオン。1992年に世界ツアーを引退するが1997年に復帰し1999年に初の世界チャンピオンとなった。長年ビラボンのアイコン的サーファーとして活躍してきた。

 

 

問い合わせ:ジーエスエムジャパン 0120-112-773

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text & photo: Ri Ryo