南相馬市北泉海岸で2回目の東日本大震災水没遭難者慰霊祭
多くのサーフィン大会を開催してきた福島県南相馬市北泉海岸で三回忌となる2回目の東日本大震災水没遭難者慰霊祭が3月10日に行われた。これには行政関者、各サーフィン団体代表が参列し、追悼の意と今後への誓いが述べられた。
文・写真/米地有理子
東日本大震災から2年が経った。被災地の復興はまだまだこれからであるが、苦難を乗り越え、被災地の方々は復興へと踏み出している。被災地の中でも福島県は東京電力福島第一原子力発電所の事故による被害が大きく、警戒区域(注1)、計画的避難区域(注2)、帰還困難区域(注3)、居住制限区域(注4)、避難指示解除準備区域(注5)などの区域で制限されている場所がある。
市としてサーフィン、海による交流人口の拡大を図るというサーフツーリズムを掲げ、多くのサーフィン大会が行われてきた南相馬市もその一つで、市内には帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に指定されている場所がある。大会が行われて来た北泉海岸は、それらの区域には指定されていないが、福島県サーフィン連盟では今後数年をかけて北泉海岸地域の復旧工事が進み、ビーチ開放の見通しがつくまではサーフィンの自粛をお願いしている。
3月10日、その北泉海岸で三回忌となる2回目の東日本大震災水没遭難者慰霊祭が行われた。慰霊祭の前に地元の方々や式典に集まった人たちで北泉海岸の清掃作業をし、式典は海を見下ろす丘の上(わんぱく広場)に設けられた祭壇の前で挙行された。震災発生時刻の14時46分に皆で黙祷をし、それから順番に祭壇で焼香をし、犠牲者へ祈りを捧げた。
式典には南相馬市長代理で南相馬市の経済部長、北泉行政区長、サーフツーリズムを提唱した福島大学の奥本英樹教授、サーフィン団体からは一般社団法人日本サーフィン連盟(NSA)酒井理事長、一般社団法人日本プロサーフィン連盟(JPSA)牛越理事長、世界プロサーフィン連盟日本支局近江ジェネラルマネージャー、福島県サーフィン連盟室原理事長が参列し、挨拶をした。
南相馬市長代理の経済部長から、サーフツーリズムを掲げてきた南相馬市の海資源による交流人口の拡大への尽力に対して地元サーフィン関係者、各サーフィン団体、選手に対する御礼の言葉とともに、「沿岸部の再生は南相馬市復興において必要不可欠であり、もう一度あの美しい海岸線を取り戻し、かつてのような賑わいのある南相馬市を復活させたいと考えている」とシーサイドパークを平成30年までに公園化する計画が話された。
奥山教授からは今後北泉海岸で計画されている防潮堤やかさ上げ工事の内容や課題について説明があった。北泉行政区長の挨拶では、サーフィン連盟が行ってきた地元ではできない海岸の清掃、そして昨年に引き続き行われた慰霊祭に対し御礼が述べられ、南相馬市経済部長に「サーファーの方たちが北泉に来られたときに泊まる場所がないということで、少しでも負担にならないように、皆様がいつ来られてもここでゆっくりできる宿泊施設を作って頂きたい」と懇願し、「海を愛するサーファーの皆様がこれからも家族連れで北泉に来て楽しく過ごせるように、そしてまたこの北泉に移住できるようにできればお願いしたい、少しでも北泉の地を活性化して頂ければと思います」と支援をお願いした。各サーフィン団体代表の挨拶(下記)があり、皆でまたこの北泉海岸にサーファーが集えるよう、素晴らしい大会が行えるように協力、支援を誓い、式典は終了した。
サーフィン、海による交流で市の活性化を図るというサーフツーリズムを掲げて、数々の大会を北泉海岸で行ってきた南相馬市。多くのサーファーが訪れてきた場所だろう。3回忌が終わり、北泉海岸はまた多くの人が集える海岸への復興をめざし、新たな一歩を進み出している。
※北泉海岸地域では今後数年間をかけて復旧工事等が進む予定です。ビーチ開放の見通しが立つまでは引き続き当地でのサーフィン自粛にご協力ください。
一般社団法人 日本サーフィン連盟(NSA) 理事長 酒井厚志氏
まずは東日本大震災において、犠牲になられた方々へ哀悼の意を表します。被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。平成23年3月11日に発生した大地震と大津波は、多くの尊い命とその日常を奪いました。さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故による想像を絶する被害が、美しいふるさとのみならず県民の皆様の生活を一変させてしまいました。あの日から現在に至るまでの取り組みは、まさに大地震、大津波、それに伴う原子力災害、さらには風評被害の四重苦との闘いであったと思います。しかしながら、こうした厳しい状況においても、県民の皆様の力と各地からの支援により、少しずつ復興への歩みを進めていることに希望を感じます。
二年前の未曽有の惨事から、私たちは根本的な問いを突き付けられました。これまで当然と考えていたシステムや価値観は何だったのか、最終的に拠りどころに出来るものは何なのか、いわば、生き方そのものを問われています。私たち日本サーフィン連盟では数多くの主催大会をこの北泉海岸で開催させて頂きました。2008年と2004年には全日本選手権を開催し、全国各地から約1000人を超える参加者が集まりました。全国各地のサーファーが、心からこの波を愛し、この土地を愛しています。この海岸で、サーファーたちの明るい声の中、楽しい大会が開催されることができるよう、一日も早い復旧と復興を心から願っております。
一般社団法人 日本プロサーフィン連盟(JPSA) 理事長 牛越峰統氏
本日、第2回慰霊祭がこの南相馬市の海で挙行されるにあたり、慎んで哀悼の言葉を申し上げます。幾多の尊い命が犠牲になりました。あの未曾有の出来事から2年の月日が経ちました。東日本を襲った大地の揺れは激しいもでした。今も蘇ってきます。甚大な被害は人々のいつもの生活を一瞬でのみ込み、すべてを寸断し、想像を絶する光景が後に残されました。あのときの深い悲しみは薄れることなく私たちの心に刻まれています。
しかし、過去は変えることができませんが、未来は変えられます。この甚大な被害から再び立ち上がる力、力強い絆、そして手を差しのべる勇気を、日本の中で、世界中で得ることができました。決して忘れられない記憶があるからこそ明るい未来が向かってくるのではないでしょうか。この海を生活の場とし、海とともに生きる私たちサーファーのとってこの海から与えられた力は無限であることは私たちは知っています。今日は皆様と一緒にこの立場に立ち、改めて安全な海、安らぎの海、生きる糧となる海はすべての人々に必要なものと私は再確認させて頂きました。
私たちが波と戯れていたあの素晴らしい福島の海が一日も早く戻られることを心からお祈りします。最後になりましたが、慰霊祭開催にあたりまして関係者各位、地元の方々のご尽力に敬意を表すとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、ご遺族の皆様に深い哀悼の意を表しまして、追悼の言葉とさせて頂きます。
世界プロサーフィン連盟 日本支局 ジェネラルマネージャー 近江俊哉氏
私は縁あって大ちゃんという方と知り合って、この北泉海岸で6年間サーフィンの大会をやらせて頂きました。そのおかげで皆さんと知り合って、楽しい時間を過ごして来ることができたのですが、2年前の震災でこの場所でサーフィンの大会ができなくなってしまいました。けれどもここに集まっている皆さんの顔を見まして、再びいつかこの海岸で素晴らしい大会ができるようにと今日も改めて思いました。
そして今スピーチ頂いた日本サーフィン連盟の酒井さん、日本プロサーフィン連盟の牛越さんたちと共に今後いつか、南相馬市の経済部長さんからご説明があったように平成30年にこの海岸が新しい海岸となって復活するときがあれば、皆で力を合わせてここで素晴らしい大会を開くことができるように望んでいます。そしてまた皆さんとその時間を過ごせる、ここに来ている子供たちがこの北泉海岸で楽しいスポーツを中心に育っていけるような海岸が戻ってくることを期待します。
皆さん、一緒にこの海岸で楽しんでいけるように頑張りましょう!頑張って下さい!よろしくお願いします!
福島県サーフィン連盟(FSA)理事長 室原真二氏
本日は、ここ北泉海岸において、地元をはじめ県内外より、ご多忙の中たくさんの方々に御参列いただき、誠にありがとうございます。そして昨年も変わらず多くの支援金ならびに支援物資の数々を送ってくださいました関係各位の皆様方へも、福島県サーフィン連盟を代表して感謝の意を申し上げさせていただきます。この福島の復興、復活へのご支援、お心遣い、先ほどの心温まるお言葉の数々本当にありがとうございました。あの未曽有の大震災、津波の恐怖、そしてたくさんの尊い命が失われてしまいました。その命の尊さは今でも、私達の心に深く刻まれています。
ここに謹んで、本日、私たちが出来ることは、被害に遭われ亡くなられました皆様を心から供養することと、被害に遭われました地域がいち早く復興することを深く深く思い続けていくことです。いつも我々サーファーが日頃からお世話になったこの地域の皆様は、我々にとっても家族のような存在であったと思っております。今日、三回忌の慰霊祭を迎え、新しい未来への第一歩にしたいと願っています。地元地区の皆さん、区長さん、できることがあるなら、やらなくてはならないことがあるなら何でも言って下さい!我々が出来る限り、全力でお手伝いしてしく気持ちであります!簡単ではありますが福島県サーフィン連盟を代表して追悼の辞といたします。
注1)警戒区域
東京電力福島第一原子力発電所から半径20km圏内で人の立ち入りが厳しく制限されている地域。注2)計画的避難区域
福島第一原子力発電所から半径20km以遠の周辺地域において、事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域を「計画的避難区域」に設定。当該自治体、県及び国の密接な連携の下に概ね1ヶ月を目途に別の場所に計画的に避難が実行された地域。
(首相官邸ホームページより要約)注3)帰還困難区域
5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域
① 区域境界において、バリケードなど物理的防護措置を実施し、住民に対して避難の徹底を求める。
② 可能な限り住民の意向に配慮した形で住民の一時立入りを実施する。その際、スクリーニングを確実に実施し個人線量管理や防護装備の着用を徹底する。注4)居住制限区域
年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあり、住民の被ばく線量を低減する観点から引き続き避難の継続を求める地域
① 基本的に現在の計画的避難区域と同様の運用を行う。
② 住民の一時帰宅(ただし、宿泊は禁止)、通過交通、公益目的の立入り(インフラ復旧、防災目的など)などを認める。注5)避難指示解除準備区域
年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域
① 主要道路における通過交通、住民の一時帰宅(ただし、宿泊は禁止)、公益目的の立入りなどを柔軟に認める。
② ア)製造業等の事業再開(病院、福祉施設、店舗等居住者を対象とした事業については再開の準備に限る)、イ)営農の再開(※)、ウ)これらに付随する保守修繕、運送業務などを柔軟に認める。
③ 一時的な立入りの際には、スクリーニングや線量管理など放射線リスクに由来する防護措置を原則不要とする。
※稲の作付け制限及び除染の状況を踏まえて対応(注3、4、5は経済産業省ホームページより抜粋)