田嶋鉄兵。5年間の空白。そして、コンペシーンへの復活。SURFMEDIAスペシャル・インタビュー

田嶋鉄兵が日本のコンペシーンに戻ってきた! サーフメディアでは2012年、2013年とインタビューを2回行い、田嶋が考えるプロサーフィンについて話を掘り下げてきた。自身もサーフビジネスも始め、順風満帆の未来が開けたはずの田嶋だったが、その後、コンペシーンから田嶋の名前が消えた。

 

しかし、今年の千葉一宮で行われたWSL QS6000「一宮千葉オープン」の ジャパントライアルで優勝。また、湘南で行われたQS1500「ムラサキ湘南オープン」でもその存在感を示し、再びコンペの世界に戻った田嶋鉄兵。この5年間に何があったのか、話を聞いた。

 

インタビュー:山本貞彦

 

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ハワイをベースにサーフィンライフを過ごすテッペイ。photo:teppei-tajima.com

 

 

ー前回、28歳の時のインタビューで、「これからも世界を回るために、自分でサーフボードのビ ジネスを始めます」と話しました。シェイパーをプロデュースして日本に紹介するという形だったと記憶していますが、実際、ビジネスはどうだったんですか?

 

全然、うまくいかなかったですね。その当時は、勢いでやっちゃったというか。ただ、サーフィンを続けたいという気持ちだけでしたから。やってみたら、そこまで利益が出なかった。それで世界を回るのも衰退したというか、機会が減っちゃったというのが事実です。

 

その頃からツアーも回らなくなりました。結局、2013年から始めて、一年で撤退という結果になりました。ビジネスの難しさとか、全然わかっていなかったですね。今思うと何も考えていなかったなとすごく反省しています。

 

 

田嶋鉄兵
田嶋鉄兵

 

ーその後(2014年)の生活はどうしたのですか?

 

また、ジャステイスサーフボードに戻りました。あと自分の奥さんのビジネスを少し手伝ったり していました。正直、大変でしたね。ただ、今となっては、自分で一年間とはいえ、ビジネスを やって良かったと思っています。それをやったことによって、よりスポンサーの立場になって考え ることができるようになりましたから。だから、ジャスティスに戻った時もすごい有難かったし、 ボルコムをはじめ、スポンサーにはすごい感謝でした。

 

なので、金銭的な部分では世界を回るというのは諦めていましたね。後輩の洋人(大原)とか 舜(村上)とか出てきて、すごく活躍していたし。今、考えるとかなり浅はかだったなと。でも、 ハワイに住んでることが楽しかったし、まあ、楽しくやれればいいかなっていう気持ちも心の中の どっかにあって。自分的には、このまま現状維持できればいいやって。投げやりじゃないですけ ど。サーフィンを楽しくやれればいいかなって感じになっていました。

 

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photo:teppei-tajima.com

 

一番悩んでいた時期というか、人生の中ではスランプだった時期かなって思います。

 

ー収入は日本からのスポンサーがメインですよね? プロとして試合に出るとかの条件はなかった のですか?

 

そうですね。ジャスティスは一回、出戻りだったので、前回よりは下がりましたけど。戻れたことに感謝でした。ボルコムとかは継続してスポンサードしてくれていたので、自分もそこに収入源を求めていた部分もありました。ただ、その頃から試合数もかなり減ってくるので。だから、かなりスポンサーとかには迷惑をかけました。自分の中でもツアーを回れないモヤモヤもあるにはあったんですが、実際にサーフィ ンする時間も少なくて。

 

実際、ノースになぜ来ないのと言われて。こっちもこっちで奥さんのビジネスを手伝っているから行けないっと言って。正直、生活できるだけのお金を確保していかなくてはいけなかったし。

 

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仕事と家族の時間を取りながら、自分もサーフィンする時間が増えてきたんです。

 

 

そういう意味ではライダーとしての役割を果たしてないことは、自分もわかっていました。その 時はスポンサーとの関係は、上手くいってなかったですね。ちょうどその頃、夫婦間もそんなに 良くなかった。喧嘩もよくしていました。

 

一番悩んでいた時期というか、人生の中ではスランプだった時期かなって思います。この時にお金を稼ぐ方法とかいうのも考え始めて、人生の中で一番辛いって言ったら言い方がおかしいですけど。ハワイにも住んでいるし、お前、辛いわけねーだろって思われますけど、プロサーファーとして機能していないというのが、すごい苦しかったですね。

 

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ー自分自身のジレンマがすごいあった一年?

 

うーん。実はそこも甘えで。それは、やってくれて当たり前でしょという部分も、ちょっとあったんですよね。業界の苦しい状況は自分なりに把握しているつもりでしたけど、わかっていなかっ た。その辺はもうスポンサーにおんぶに抱っこで甘えながら、お金をもらえて当たり前って思っ ていたんですよね。今、考えるとあまりにも稚拙な自分がいました。そういう面でスポンサーともあまり関係も上手くいかなかった時期でもあります。

 

ーそれをどう自分でどう変えていったのですか?

 

ちょうど転機が2015年ですね。「TTSE(テッペイ・タジマ・サーフエクペリエンス)」というサーフツアー兼コーチングを初めて。そのあたりから口コミでお客さんも入るようになって。子供も学 校へ行くようになったし、奥さんもビジネスにフォーカスできるようになったから。お互いのラ イフスタイルも出来上がりつつあったし、仕事と家族の時間を取りながら、自分もサーフィンする時間が増えてきたんです。

 

振り返れば、この2012年から13、14、15年まで。サーフィンが全然できていなかったんですよね。それが自分の仕事でツアーに行くことによって、サーフィンも出来るし。人脈も作れるということに気付いて。実際に自分のツアーの人脈で、今の仕事になっていることもたくさんありましたし。そうですね。そのあたりからビジネスが上手く行くようになってきましたね。気持ちの余裕もこの頃から出来てきたと思います。

 

また、その時にアメリカでパーソナルトレーナーの資格を取ろうと思って勉強していました。試験には2回落ちていて、まだ合格してないんですけど。ただ、勉強はしっかりできたので、自分のノウハウをまとめて、サーフインを取り入れたエクササイズを計画して、去年の5月に一般向けの「サーファサイズ」というのをオープンしました。今はパドリングと波待ちとボードの上でバランス取りながら運動をする、体幹とバランスを鍛えるをコンセプトにして指導しています。

 

 

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ー仕事が順調になった。そこで、コンペ復帰しようと思ったのですか?

 

そうですね。やはり、お客さんが「いつ試合に出るんですか?」って聞いてくるんですよね。お客さんも期待していることに気づいて。じゃあ、もう一度チャレンジしようかなって。まあ、その年は年一回で出たんですけど、一宮オープンのジャパントライアルですね。当たり前ですけど一コケして。

 

それで、もう一度、フィジカルを鍛え直さなくてはいけないと思ったのが、パーソナルトレーニングに興味を持ち始めたきっかけです。その勉強したことが、結果「サーファサイズ」につながりました。

 

その頃から仕事、家族関係の全部が上向きになったような感じで。自分が出る試合の数も徐々に増えてきて。今年のタイミングでムラサキさんとか、テイクオフさんとかと契約できて、サポートしていただいた大会で日本に来る回数も増えていきました。

 

ジャパントライアル優勝は田嶋鉄兵
ジャパントライアル優勝は田嶋鉄兵

 

ー今年のジャパントライアルは優勝しました。大会から離れていて試合勘とか無いに等しかったと思うんですが、そこはどうしたのですか?

 

正直、それまで試合をメインにするのは辞めようって感じだったんですけど。ただ、何かこう自分が考えているマインドを少し変えたら、勝てるような気がするとヒラメキがあって。去年の 10月のJPSAで洋人(大原)と慶司郎(西)がファイナルやった試合の後、ハワイに戻って、自分の中でメンタルを鍛え直すようなことを模索していたんです。

 

今回の結果は樹(田中)のコーチもあリますけど、自分のメンタルというのも、かなりドンピシャにハマった感じでしたし、何よりも自分のサーフィンを信じてやれました。

 

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試合に勝つ。自分のパフォーマンスをするためには、普通は平常心が必要だし、平常心を保つためには集中力が必要ですけど。自分の場合はそういう概念をぶち壊してやろうっていう、ちょっとひねくれが最初からあって。

 

いつも自分は試合に出るたびに面食らうんですよね。それも試合に出る前から、例えば、試合会場に行って、「いやー、大原洋人やばかったよ」とかいう話を聞いちゃうと、いきなり動揺しちゃうんです。そういうのをどうやったら無くせるんだろうって。いつも思っていて。これは自分のプライドが高いから、面食らうんだなって初めて理解したんです。

 

だから、変な言い方ですけど、「見栄を張らない」。何ていうんですかね、まあ、自己嫌悪まではいかないですけど。自分の平常心はそのまま、自分の実績なんて微々たるもんだって思えば、 気持ちが楽になるんじゃないかなって考えたんです。

 

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自分のようなメンタルが弱い人間は、負けて当たり前と開き直ることで強くなれました。

 

ー自分のプライドや気負いの原因を知ることで、試合に勝つ方法を再認識した?

 

そうですね。今までの実績など意識しているから緊張するわけですし。自分はチャンピオンだったから、勝たなきゃいけないって。そんなことは関係無いんですよ。今の自分の立場で勝てるわけないし。だから、最初から見栄を張らなきゃ、すごい気持ちが楽になるわけです。

 

今までは、「勝負する奴がそんなこと言ってどうするんだ」みたいな概念はあったんです。でも、 それを捨てたことによって、めちゃくちゃ楽になれたんですよ。それがQS6000のパフォーマンス につながったんです。

 

もちろんボードが良いというのもあったし、樹のコーチングもあったし、そういう部分が重なっ たんですけど。そこには自分の平常心、メンタルがかなり大きかったって思っています。自分みたいにメンタルが弱い人間は、負けて当たり前という状態でやることで、謙虚になれると。それが逆にある意味、強みでもあると思うようになれました。

 

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自分にとって、あくまでも試合というのはサーフィンを上手くなるためツールなんです。

 

ーそこまでコンペにこだわる理由は何ですか?

 

これは自分の考えですけど。もう、試合をやめたらサーフィンが進化しないんですよ。結局、勝ちたいと思う気持ちがなくなったら、その時点でサーフィンを上手くなろうという気持ちが、自分は無くなっちゃう。自分にとって、あくまでも試合というのはサーフィンを上手くなるためツールなんです。

 

自分にとっては、試合や彼らにチャレンジしていくっていうは、自分の実力を試す場所という ことです。そこには緊張とかいろんなものがありますけど、自分の100%出したらどのくらいいけるのかというのを試せるチャンスなんです。

 

年齢も年齢だとわかっています。ハワイに住んでいますけど、パイプライン滑れないですもん、 はっきり言って。パイプライン怖いし、ただ、やらなきゃいけないし。でも、今、やらないと乗れないとわかっています。

 

パイプのエキスパートじゃないんだから、入って一本も乗れなかった。でも、そこの場所にいるというのが大切だし、自分の実力を知っていること。これが大事なことだって。

 

だから、自分の現状を知ること。試合にしても、ビッグウェイブにしても、フリーサーフィンに しても。今の自分にやらなきゃいけないことかなって思います。だからこそ、それをやるための一 つのツールとして、試合があるわけで。今もコンペティションにこだわるのは、それが理由です。

 

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ーやはりサーフィンを上手くなりたい、そこを極めたいということなのでしょうか?

 

そうです。極めたいという言い方よりも、プロでいたいというか、そのプライドを持っていなきゃいけないというか。プロサーファーである以上、自分の中での概念、コンセプトです。プロサー ファー、プロアスリートとしてのコンセプトは、やはり、試合に出て結果を出すことだと考えています。

 

ビッグウェイブシーンでも、試合にしても、すごい奴がいっぱいます。だから、初心に戻って、 自分もそうなりたいという気持ちです。それが結果的にはプロであること、アスリートであることなのかなって。自分はもう一回目標を持ちたいんですね。

 

ーコンペで世界を再び目指しますか?

 

試合で勝って、CTに入るということは思っていないです。年に一回とか試合に出ていませんで したから、QSランキングも低いし、出られる試合も限られていますから。

 

でも、世界に挑戦している洋人(大原)とか、舜(村上)とかとどれくらい戦えるのか、自分 の実力を知りたいというか、挑戦してみたいというのがあって。それと、お客さんも出ると喜ぶ し、それを兼ねてというところですね。

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日本はアメリカなどに比べれば、すぐプロになる選手が多いように思います。

 

ーでは話題を変えて。人に教えることを仕事にしているわけですけど、日本の選手育成についてはどう思いますか?

 

選手の層というか、もう確実に自分たちの世代よりも、もう遥か上のレベルに行っていますね。 それに東京でオリンピックの開催が決まって、関係する企業の動きだったり、みんなが協力し始めているっていうのは、ハワイから見ていて感じます。

 

ただ、業界自体が模索している状態だなって見える部分もあります。明らかに言えるのは、現場 で育成に当たる人間が少ないのかなって。ジュニアの育成ということに限って言えば、もっと試合をした方が良いと思います。また、お金はかかりますけど、もっと海外に出て良い波を滑るとい うのも大事かなって。

 

アメリカを見ていて思うのは、とにかく試合の数が多いです。団体がしっかりしていて、原動力 があって、大会数が多くて。そうなると、やはり、それなりの層の選手がたくさんいます。

 

それと、アメリカってアマチュアを長くやらせるじゃないですか。完全に育て上げてから、プ ロとしてフォローしますから。日本はアメリカなどに比べれば、人材が少ないですよね。だから、 すぐプロになる選手が多いように思います。プロになることは悪いわけじゃないですけど、そう なると勝ちたい、勝たなきゃいけないとなってしまって、せっかくの才能が伸びない可能性があ ると思うんです。つまり、サーフィンが固まっちゃうんじゃないかって。

 

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まず最初は試合よりもサーフィンを楽しむことから始めるべきだと思います。

 

はっきり言って個性のあるサーファーとか、日本ではスタイルを持った競技者って少ないと思う んですよ。自分も大会のMCで喋るんですけど、競技サーフィンとスタイルのギャップをすごく感 じます。

 

スタイルだけで行くと競技サーフィンとしては、成り立たない。競技サーフィンとしてやるとス タイルは成り立たない。それで、どっちも兼ね備えると中途半端になってしまうのが今の日本だと 思うんです。でも、本当はスタイルがあってのサーフィンだと思うんですよね。だから、それを知らなきゃ何も始まらない。だったら、海外に出て本物を見る必要があると思うんです。

 

インタビューでも、通り一遍の受け答えが多いのも気になります。ユーモアがないですね。良い 言い方すれば、集中していると言えますけど。余裕がないのかなって。型にハマったまま、どうしようもないのかもしれません。だから、プロになるどうこうより、まず最初は試合よりもサーフィンを楽しむことから始めるべきだと思います。

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photo:teppei-tajima.com

まずは学校 に行って、人としての基礎を学んでいろんな考えを知るべきです。

 

ー日本は狭い環境だから、ある程度のスキルでプロになってしまう。それで才能は押しつぶされて、 個性が無くなってしまうということですか?

 

サーフィンを上手くなるというのは大前提ですけど。サーフィンばかりというのは。まずは学校 に行って、人としての基礎を学んでいろんな考えを知るべきです。それで、チャンスがあれば海外 に出たりして、その土地土地の文化に触れたりとか。

 

現地の選手とコミュニケーション取ったりとか、日本人と一緒にいるだけじゃなくて、そこで いろんな人と触れ合って、自分からその環境に入っていくこと。そうするといろんなものが見えて くると思います。メンタルもその時点で強くなるじゃないですか。自分一人でいろんなところを切 り開いていくことも大事です。

 

カノアが何であれだけいったかって。もちろん、才能もあってのことですけど。やはり、アメ リカにいたからだと思います。アメリカにいたから、カノアはあそこまで行けた。やはりサーフィ ンする環境ってとても大事です。自由な選択って、そのあとのプロ生活に大きく関わってくると思 います。

 

究極なところを言えば、文化の違いですかね。親の育て方の違い、日本の親はこれだと思った ら、これにフォーカスするじゃないですか。アメリカってぜんぜん違います。いろんな可能性があ るから。はい、これやりなさい。これ合わないね。じゃー、やめて、次はこれしましょうって。 いろんなものを見せながら体験させて、子供達にたくさんの選択肢を与えて、選ばせている。もっとみんな視野を広く持って欲しいですね。絶対、日本でもできると思います。

 

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人間力を高めること。それがプロとしての魅力になると信じています。

 

ープロとしてサーフィンをやっていくためにはどうしたら良いと考えていますか?

 

自分は今、海外に住むチャンスがあったことで気づいたんですけど、海外では特に自分がオー ガナイズ、クリエイトしていかなければダメなんですね。それと試合に出るには犠牲もあることを 自覚すること。まずは時間を犠牲にするじゃないですか。もちろん、お金もそうですけど、家族も置いていかなきゃいけないし。プロとしてやっていくには、覚悟が必要です。

 

あとはいろんな人との出会いが、自分を成長させてもらえる。自分も刺激を受けるし。だから、 日本では学校に行って、世界に出たら、たくさんの人のいろんな環境、境遇の話を聞いて、体験 することです。たくさんの体験があれば、それが経験となって選択肢も広がるし。その中からチョ イスすることが、大切かなって思います。

 

誰にでも可能性はあります。ただ、望まないと手に入らないですから。サーフィンの実力もそう ですけど、人間力を高めること。それがプロとしての魅力になると信じています。

 

ー最後にこれからの目標を教えてください。

 

そうですね。もちろんプロとしてやっていく、サーフィンを極めていきたいというのがあります。 ただ、今は現状維持というか、プロサーファーとしては、もっと試合に出て田嶋鉄兵まだやれるね。という期間をできるだけ伸ばしていきたい。この人、33歳だけど、それが40歳になっても、「まだ、勝てるんだよ。この人って」言われるような存在でありたいです。「じじい、勝ってんじゃん」 みたいな感覚でいられるサーファーでいたいです(笑)。

 

あと、まだ確立できていないですけど、ビジネスとサーフィンを両立したプロサーファーになりたいですね。みんなの手本になれるようなプロでいたいです。

 

 

 

田嶋鉄兵、34歳。

ハワイでは3人の父親。 子供達の食事も作り、学校への送迎、そして、自分の仕事をこなす。 夫婦で協力しながら家庭を守ってきた。

それと共に、自分がプロサーファーとしてどうあるべきか。 その答えを見つけるための試行錯誤。 そして、辿り着いた結論。

それは、改めてまわりの人へのリスペクトだった。 スポンサーだけでなく、関わった人全てに対して。 そして、忘れない。
妻への感謝。
そこからプロとしてのリスタート。
新しい目標。
理想は理想として。

いろんな人がいて、いろんな夢があって、いろんな生活がある。 比べる必要は何もない。
今の自分を受け入れる。
今の自分ができることをやるだけ。

今回、正直に自分の全てを話してくれた。 全てを受け入れた人間は強くなれる。 これからの活躍を祈っている。 頑張れ!鉄兵!

 

 

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