『THE SURFER’S JOURNAL』日本版は、米サーファーズ・ジャーナル社発行の隔月誌『THE SURFER’S JOURNAL』のフランス語に続く外国語バージョン。本物の“SURF CULTURE”を日本のサーフィン愛好家たちに向けて発信。『THE SURFER’S JOURNAL』同様、美しい印刷で紹介される素晴らしい写真は読者を虜にする。
そんなサーファーズ・ジャーナル日本版7.3号となる最新号が8月25日(金)発売になる。
まず最初のフィーチャーストーリーは、日本版のオリジナルコンテンツ、写真家・小林昭のウエストコースト・フォトグラフィーだ。1969年、ウエストコースト・ジャズとビートニクに憧れたアメリカかぶれのひとりの青年が、Black Nikon Fを片手にアメリカのカウンターカルチャーの坩堝、ウエストコーストへと放浪の旅に出た。
West Coast Groovy
「小林昭のウエストコースト・フォトグラフィー」
文:森下茂男
写真:小林昭
1969年アメリカ西海岸ロサンゼルスのマリブ一角に拠点を構えた写真家・小林昭は、当時、アメリカで起こりつつあったニューウェーブのうねりをカメラで捉えた。そのうねりとは、アメリカの若者たちがつくりだした新たな文化だった。それは、音楽、文学、そしてアートからサーフィンにいたるまで、アメリカ西海岸の変わりゆく時代を小林はモノクロームのフィルムに記録した。
そしてもうひとつ、1960年代のモノクロームのメモリー、タリー・ホー・ブレアーズ卿を通じてサーフィンと出会い、ノースショア・コミュニティの中核に加わったバル・バレンタインによる貴重な写真による回顧録だ。
A Friend Of Friend
「バルって誰?」
文:ボブ・ビードル
写真提供:バル・バレンタイン・コレクション・トラスト
って誰?そんな反応が返ってきても不思議ではない。50年ほど前、オアフ島ノースショアに住み着いたローカルでなければ、その名前にはピンとこないだろう。加えてレスリングの解説とフォトグラファーを生業としていたバルが、1950年代後半にハワイへ移り住んだこと。
親しいレスラー仲間のタリー・ホー・ブレアーズ卿を通じてサーフィンと出会ってからサンセットビーチに居を構えたこと。サンセットのインサイドで割れる浅いリーフブレークに彼の名前が付けられたことなども、あまり知られていない。
つづいての特集もまた1960〜70年代、サイケデリックなイラストレーションでサーフカルチャーを牽引したグレン・チェイスのアートワークの紹介だ。
Dream On
「ドリーム・オン」
グレン・チェイスのコスミック・シャングリラ
文:リチャード・ケンビン
写真:ジェフ・ディバイン
グレンの人格形成に大きな影響を与えたのはラ・ホヤのグラニーの家だった。グラニーはジェフ・ディバインの祖母だった人物だ。ディバインとグレンは親友になった。グレンはグラニーの所有するコテージに泊まる代わりに、彼女の面倒を見て庭の世話をした。ディバインの写真はすでに米『サーファー』誌に掲載されており、まもなく正式なスタッフ・フォトグラファーとなった。1970年代が幕を開け、『サーファー』誌は黄金時代を迎えていた。
隔月の発行で、時代を超えたすばらしい写真が、良質なレイアウト、フォント、グラフィックデザインとともに掲載されていた。繊細で抑制の効いたうつくしい誌面は、当時のスタイル、想像力、そして理想主義的な流れを反映していた。『サーファー』誌でのディバインの仕事とともに、グレンのアートとサーフィンはサンクレメンテのサーフィンメディアへと浸透しはじめていた。グレン・チェイス、魔法使い志望、バレルローラー、旅人、アーティスト、そして宇宙的に革新的なこの男は、仕事を探していた。
Riders of the Storm
「ライダーズ・オブ・ザ・ストーム」
世界でもっとも売れたサーフボードを検証する。
文:ブレッド・メレキアン
ウェーブストームはもちろん、ある意味においていわゆるサーフボードだ。8フィートの長さでボトムはハード、デッキはソフトなフォームだ。コストコのような大型の量販店で購入できる。さらにホームデポのような店ならばゴミ箱のような空き箱に大量に突っ込まれた状態で販売されている。ウェーブストームの価格は99ドル。しかも壊してしまったらコストコでは新品と交換してくれる。
多くの人がこれを購入している。残念ながら正確な統計はないが、ウェーブストームを取り扱う会社でカリフォルニアのアーバインを拠点とするAGITによれば、2016年にコストコだけでも100,000本以上のウェーブストームを販売したという。このデータだけでも世界でいちばん売れたサーフボードと断言できる。既存のサーフボードよりも5倍近くは売っているということだ。
The Plural Island
「奥深き島」
ひとつのバルバドス、多彩な海岸線
文:ニック・ファラゴ
島の特徴や人々ではなく、なによりもその絶え間なく吹く風こそが、バルバドスや周辺の島々が「ウィンドワード(風上)諸島」と呼ばれるゆえんだ。貿易風は東に吹く。17世紀の船乗りにとっても21世紀のサーファーにとっても、それはまぎれもない事実なのだ。
この貿易風と海岸線との相互作用を探る、それが今回のショートトリップの目的のひとつだ。東側の海岸線は山が多い未開のエリアで、オンショアとなる。
発展している西側は、風をかわしやすくオフショアになる。まあ、たそがれどきの静けさや風向きの変化といった例外もあるけれど。もちろん東西だけでなく、北側の海にはダークブルーの海に向かって垂直にそびえる石灰岩の崖があるし、南側ではうねりと風さえあえばじつに豊富なファンウェーブに出会うことができる。ただしバルバドスの物語は、あくまでも東西の海が主役なのだ。
Portfolio: A Duncan Macfarlane
ポートフォリオ:ダンカン・マクファーレン
彼自身のディレクションによるこの特集には、マインド・サーフという言葉がふさわしい。