ディスカバリーインドネシアⅡ〜北マルク。その1「ここではハプニングがないのがハプニング」
再開された「ディスカバリーインドネシア」。東西南北、四方を海に囲れ、年間を通じて良質なスウェルが打寄せるインドネシアの知られざる波の魅力 に迫る。 2シーズン目を迎える今年も、世界が認める有数なサ-フィンデェスティネ-ションをクロ-ズアップし、年間で5つのロケーションを紹介していく予定。 未だ見ぬ魅惑のサーフスポットへの旅を楽しんで欲しい。シーズン2の第2弾はシーズン1でも訪れた北マルク諸島。
トラブルやハプニングのない旅なんて、なんと味気ないもの。
インドネシアの旅は何事も思い通りにはいかない。国内線の出発ゲートはチケットに記載されているFから二転三転を繰り返し、結局Cになるし、当然定刻通りには離陸しなかった。ここでの旅はハプニングがないことがハプニングなのではないかと疑ってしまうほどだったのだ。
でもなぜか不思議とそんな数々のスッタモンダにイライラするようなことはない。インドネシアとはそういう文化なのだ、そんなふうに受け入れてしまえばどうってことはない。むしろトラブルやハプニングのない旅なんて、なんと味気ないものだろう。そんなふうに達観しているつもりでいたが、やはり今回の旅でもハラハラし通しであった。
今回の北マルクボートトリップにはバリ島在住組の友人のヒデさん、フォトグラファーのノブさんとボクが現地で日本からの旅のクルーにジョインすることになっていた。バリ組の我々は飛行機を乗り継ぎテルナテ空港に降り立ったわけだが、薄々予想していた通り迎えの車の姿はなかった。ヒデさん、ノブさんの表情にも「やっぱりそうか」という落胆の色が滲んでいた。ボードバックとトラベルバックをひとまとめにして、エアコンの効かないターミナルで我々は所在なげに汗を拭っていた。
20分ほどすると戦後の日本で活躍していたカインドの味が出すぎているライトバンが我々の前に止まった。まさか、と思ったが、そのまさかだった。「お待たせー」とも言わず、「サーフィン? マルク?サマサマ?」とまるで悪びれる様子なく笑顔を向けてきたおじさんが我々の前に登場した。
3人で顔を見合わせ、困惑しつつも「そうだ」とこたえると、さあ、乗れ乗れ、急げ急げというようなことを言ってくるではないか。どう見てもその車には荷物、とくにフォトグラファーの機材一式を乗せてしまうと我々の乗るスペースはなくなってしまうことは明らかだった。
でも、こんなことがあっても我々3人はインドネシアで暮らしているわけなのでビクともしない。すぐにそこら辺でいかにも暇そうにタバコを燻らせながら新聞を眺めていた第二のおじさんと交渉し、まんまと目的地、前回のスンバでもお世話になったサマサマ号の停泊している港まで運んでもらえることになった。
我々のサーフボード、荷物一式をどっこらしょといった感じで乗せた味のあるライトバンを追い立てるようにクーラーの効きすぎたトヨタのワンボックスカーで我々は一息ついていた。あとはサマサマ号に乗るだけだ、乗ってしまえば、あとは波を求めてキャプテンが我々をポイントへと運んでくれる。そんな甘い考えは次の瞬間に脆くも崩れてしまった。
港が近づいてきた。サマサマ号がバリからやってきた我々を待っているはずだ。日本から先乗りしている旅のクルーとも、もうすぐ会える。今回はどんなサーファーと出会えるのだろう。ああ、もうとにかく全体的に楽しみだ〜なんて思っていたのも束の間、港に着くとサマサマ号の姿は見当たらなかった。
ライトバンのおじさんが「さあ、ここからスピードボートに乗って対岸に渡るのだ。そしてそこで車に乗って次の港へいくのだ」というようなことを矢継ぎ早にいった。ガックリしつつ疲れた体にムチを打ち、荷物をボートに運び入れた。
海面を跳ねるように進む超高速艇に一同不安を抱きながら対岸の港に着くとやはり迎えの車の姿はない。もうこうなったら自力でサマサマ号の待つ港にいくしかない。そんな具合でいつものごとくインドネシアの旅はハプニング含みでスタートしたのであった。
つづく。
バリ島在住プロサーファー。2000年〜2007年までJPSA(日本プロサーフィン連盟)ロングボードツアーでシード選手として活躍。その後、雑誌、webなどで執筆活動を行い、サーフィンや旅をテーマに啓蒙活動を行っている。
有本圭のブログ→ http://sw-players.com/
サーファー&フォトグラファー。最高の波を求め1994年にインドネシアのバリ島へ移住。バリ島をベースにインドネシア各地で水中撮影をメインに活動、 サーファーの視点から自然の素晴しさを伝える作品創りに努める。
Nobu Fuku Photography http://www.nobufuku.com/
協力:波伝説、ガル-ダインドネシア航空、BLUE、OMtour
ティ-ズ・ハウジング