カノアの母ミサさんと弟のキアヌも登場。五十嵐ファミリー・写真展 & トークショー by QUIKSILVER

五十嵐ファミリー

カリフォルニアに移住し「五十嵐カノア」を育て上げた父トムさん、 母ミサさん、そして兄カノアとともに成長した弟キアヌが来日し、父トムさん撮り下ろしの写真展とファミリーにしか知りえないエピソードや子育て論などのトークショーが開催され、多くのファンと関係者がイベントに参加した。

 

今回はカノアのイエロージャージと愛用のサーフボードも展示。
会場には五十嵐ファミリーの多くのファンが駆けつけた。

 

今回カノアは、南アフリカのCTイベント参戦中のため来日することは叶わなかったが、ツアーが終わった今年10月ぐらいには来日が予定されているそうで、カノアファンには朗報だ。

 

今回はカノアの写真など五十嵐勉さんの写真を展示
トークショーではミサさんの貴重なアメリカでの子育てのお話も聞けた。
今回はミッキーさんの愛称で知られる、日本のサーフィンのパイオニアである川井幹雄氏もイベントに参加。

 

 

今回は、カノアが南アフリカ遠征中に加え、WSL北アメリカ・リージョナルのQSに参戦している弟のキアヌの試合がないタイミングで、JPSAのプロトライアルがあり、キアヌ本人が日本のサーフ・コミュニティを見てみたいということで家族3人での来日が決定したという。

 

 

五十嵐キアヌ

 

 

日本のサーファーと一緒にいて本当に楽しかった。

 

 

「アメリカにはJPSAのようなコミュニティーがなくって、今回日本のサーファーと一緒にいて本当に楽しかった。日本のサーファーはみんなサーフィンがすごく大好き。そして、みんなサーフィンを上手くなりたい気持ちが強いんです。」とキアヌが言った。

 

 

QSツアーとの兼ね合いもあるが、日本の試合に出ることは、コミュニティーやカルチャーを学べることもプラスだと勉さんもミサさんも考えている。

 

コンテストに参加することで、同じ年代の日本のサーファーの友達も増えるし、お互いを刺激し合える関係になって、キアヌが学んだことを日本のサーファー達にも伝える橋渡しのような存在になればいいとも語っていた。

 

 

五十嵐キアヌ

 

 

カノアを倒してワールドチャンピオンになります。

 

 

「日本のサーファーは、サーフィンに対する気持ちがすごく真面目。アメリカ人はそれが足りないと思う。今回のトライアルもヒートごとにワクワクしてたけど、最後ライセンスは取れなかった。思い出したくないけど(笑)次にチャンスがあれば、またJPSAプロトライアル受けます。同じ失敗は繰り返しません。絶対に!」と元気いっぱいのキアヌが明るく答えた。

 

また兄や自分の将来についての質問に関しては、「カノアは世界一になる。そして自分はカノアよりも上に行きたい。カノアを倒してワールドチャンピオンになります。でも、その前に自分はいっぱい階段を登らなくちゃならない。JPSAも今年は残念だったし、CSにも入ってない。QSでランキング9番で自分の前に8人いる。3年後にはなんとかしたいです。頑張ります

 

 

3人のサイン入りカードが参加者にプレゼント。

 

 

父親の勉さんがこのような形で写真展とトークショーをやるのは4回目だが、ミサさんやキアヌが参加するのは初めて。今回はファンの前でキアヌの元気いっぱいキャラを披露。そしてミサさんのアメリカでの子育ての話などに注目が集まり、非常に興味深いお話が聞けたので紹介したいと思う。

 

 

 

 

僕らは本当にタイミングが良かった。

 

 

「子育てのことを聞かれることが多いんですけど、私自身もカノアとキアヌに育てられた感じがある」とミサさんが言った。

 

「僕らと同じようにアメリカに行ってチャレンジしてもいいんじゃないかって話はよくするんですが、僕らは本当にタイミングが良かった。

 

当時は1ドルが87円、いまは1ドルが137円ぐらいという過去最高の円安という状況。昔住んでいた2LDKの家賃は千ドル(9万円)ぐらい。今はそれが4千500ドル(60万ぐらい)もするんですよ」と、勉さんは1995年に渡米した当時を振り返って言った。

 

 

オーストラリアにサーフィン留学もしていたミサさん

 

 

ミサさん

 

カリフォルニアに憧れていた勉さんの背中を押してくれたのは、行動的なミサさんだったという。1990年に結婚する以前にオーストラリアにサーフィン留学もしていたというミサさんは一人でフィットネスの勉強のために渡米した経験もある。

 

「度胸はあるほうだったと思います。留学した時は、英語も好きだったし、サーフィンもやりたい。フィットネスの勉強もしたい。その3つが重なってカリフォルニアに行きました。」と結婚前の二人の話からか始めた。

 

「最初はオーストラリアに行こうか、カリフォルニアにしようか迷っていたんですが、その時に、父親に治安のことを考えてオーストラリアを勧められて。

 

それでオーストラリアに行って、でもやっぱりアメリカに行きたいなと思って、カリフォルニアに行ってフィットネスやサーフィンの勉強していたんです。一時帰国して本格的にフィットネスの勉強をしようとした時に、今の旦那さんと会っちゃんたんですよね。(笑)」と勉さんと出会った頃の話も。

 

 

 

 

自分は昔から子供をアメリカで育てたいというのが夢だった。

 

 

「お互いにフィットネスをやっていたので、価値観もあっていたんですよね。そろそろ子供も欲しいなって思った時に、自分は昔から子供をアメリカで育てたいというのが夢だったので行こうよって話になって。

 

でも仕事もないし、知り合いもいないよって勉さんに言われたんですけど、そんなのどうにかなるよって、自分も仕事をスパッとやめて、私も辞めたんだから、あなたも辞めてくださいって、無理や引っ張って行きました。(笑)

 

 

子供には英語を話せて有名なサーファーになって欲しかった。

 

 

アメリカに行ったのは良いんですが、最初は思うようにはいかなったです。何が一番大変だったとか、よく聞かれるんですけど、振り返ると辛かったことも全部が良い思い出みたいになってしまうんですよね。お金の面は大変でしたけどね。

 

 

渡米してから2年は二人だけで、子供はビザが取れてから考えようと思っていて。でもそれが意外にも簡単に取れてしまったので、じゃあ頑張ろうという話になって。子供が生まれて自分は子育て。彼は仕事を頑張って。なんだかんだあって今の生活があるんですけど。

 

 

条件が良いからカノアやキアヌみたいな子供ができたんだよって言う人がいるんです

 

 

3歳になったカノアはハワイのワイキキで初めて勉さんとサーフィンをした。

 

 

日本じゃなくてアメリカにいたから、条件が良いからカノアやキアヌみたいな子供ができたんだよって言う人がいるんですけど。日本にいたとしても出来たんじゃないかなって思うんですよね。

 

なんとなく理由つけて最初から言い訳とか、ネガティブなことばっかり考えちゃって、先に進めないことってあると思うんですけど。ポジティブなことを考えてやるようにしたら、以外と上手くいくことがあると思うんです」

 

 

日本のバブルも弾けて、それとリーマンショックでアメリカの経済が年々機能しなくなって、さらに同時多発テロも発生。家族を養うために仕事を転々としていた勉さんも自分だけ日本に帰って仕送りすることも考えたほど厳しい状況の時もあった。

 

もともと仕事の関係でハリウッドに住んでいた五十嵐家は、ハワイでサーフィンを覚えたカノアが、毎日サーフィンしたいからと言い出したことで、ハンティントビーチに引越した。カノアが4歳半、キアヌが生まれて2日目の時だった。

 

 

カノアと勉さんとキアヌ

 

 

「朝学校行く前にサーフィンするためには、時間がないのでスタートする時間が少しでも遅い学校を探して、その学区に住みました。引っ越しはまさかのキアヌが生まれて2日後でしたね。

 

こどもが二人になっちゃて知らない土地で大変でした。でも、そこから色々なことがうまく進むようになって、彼の仕事も安定したものが見つかって。カノアは毎日サーフィンしてましたね。

 

カノアの学校が休みになると違う場所でサーフィンしようってことで、大会とかもあってハワイに行ったり、バリに行ったり、オーストラリアに行ったり。彼は仕事をしなければいけないのでキアヌの面倒を見てもらって、私とカノアが二人で旅をするようになっていました。

 

 

五十嵐ファミリーというのは、この4人だから上手く回っている。

 

 

 

 

今はカノアの手が離れたんですけど。結構カノアにかかりっきりになってしまった自分がいて、いまはキアヌに一生懸命、愛情を注いでます。ちょっと疎かにしすぎて反省しているんです。

 

いまはカノアから『マミーはキアヌの方が好きだからね。』ってよく言われるんですけど。そんなことは全くなくって、同じレベルで好きなんですけど。私が子離れしなくちゃいけないんですけどね。

 

私たち家族4人はバランスが取れていて、カノアと私は慎重派。キアヌと彼はアバウト派。五十嵐ファミリーというのは、この4人だから上手く回っているんだと思うんです。

 

カノアとキアヌがちょっと有名になったから言うんじゃないんですけど、最初から結婚する時から旦那さんの方が友達に恵まれていて、いろんなところに友達がたくさんいて、うらやましいなと思っていました。

 

 

周りが助けてくれて、温かく見守ってくれたから、ここまで来れている。

 

 

そして、いまはカノアやキアヌのファンでいてくださる方が、たくさん集まってくださって、私たちは自分たちで頑張っているというよりも、みんなに助けられて、ここまで来ているなって思っています。自分たち4人だけで頑張っているんじゃなくて、周りが助けてくれて、温かく見守ってくれてここまで来れている。

 

 

今日は話をさせてもらう場を作ってもらって本当に感謝しています。オリンピックがあって、いままでサーフィン好きだった人以外にもサーフィンをやってみたいと思いましたとか、サーフィンはこういうスポーツなんですねって分かってもらえて凄く嬉しくて、幸せでした。みんなに温かく見守ってもらえて本当に感謝しています。」とミサさんは最後を感謝の言葉で締めくくった。

 

 

 

今回のトークショーでは、五十嵐家の絆の強さ、そしてカノアを育て上げた両親の愛情の深さを強く感じるイベントだった。この家族あってこそのカノアなのだ。いつも家族でいる時は一歩下がって勉さんを立てていたミサさんが、こんなに多くのことを語ってくれたことに本当に感動した。今度はカノアも一緒に家族4人で楽しいイベントができたら最高だと思った。