茨城復興に向けてのコンテスト開催

震災から約4ヶ月。日本プロサーフィン連盟が示した、
茨城復興に向けての一助としてのコンテスト開催


東日本大震災から約4ヶ月。福島第1原発の問題も含め、まだまだ被災地はたいへんな状況にある。そんな中でJPSA主催のプロサーフィン大会が、今回の大震災の被災地の一つでもあり、福島第1原発の隣県である茨城県の海で行われるということで,関係者のコメントなどを交え,いつものコンテストのリポートとは別の角度から、茨城鉾田プロをリポートした。

 

 


3月11日に起きた東日本大震災から約4ヶ月。テレビで恐ろしい映像が幾度となく流れ、計画停電で電車等が止まるという日々から考えれば、だいぶ日常に戻りつつあるこの頃ではあるが、福島第1原発の問題も含め、まだまだ被災地はたいへんな状況にある。しかしながら、生活を支える基盤としての経済活動は行わずにはいられないし、復興のためにも被災地以外の場所では元気を取り戻しながら被災地に元気を送っていかなくてはならない。そんな中で、サーファーたちも日常の生活を取り戻しながら、海に戻りつつあるようだ。そして復興支援を掲げて各地で支部やサーフショップ主催の大会や毎年恒例のサーフィン大会が行われている。JPSA主催のプロサーフィンの大会も復興支援を掲げながら「がんばろう日本!」の言葉をゼッケンに入れ、まずショートボード第1戦が5月に伊豆で行われた。そして先日7月9~10日にロングボード第1戦が茨城県鉾田市で行われた。



行われた場所が茨城県ということで、今回の大震災の被災地の一つでもあり、福島第1原発の隣県であるため、大会開催にあたっては多くの考慮が必要であり、主催者もスポンサーも選手も大会を決行するのには大変な判断があっただろう。大変な判断としては二つ、「被災地の人の心情、地元の復興状況としてサーフィンの大会を行うことは適切かどうか」、「水質の問題は大丈夫なのだろうか」ということだろう。茨城でサーフィンの大会をやるということを聞けば誰もがそれを考えると思う。それで“百聞は一見にしかず”という言葉もあるので、大会に足を運んでみた。

 


大震災以来初めて茨城に行ったが、当日は太陽がビーチに照りつき、サーファーが待ってましたという暑い夏日。大会会場のとっぷさんてには多くの車が所狭しと停まっていた。既にプロトライアルのヒートが行われていた。ヒート表を見ると、いつもよりややエントリー者は少ないようだが、プロを目指しているアマチュアの選手も通常どおりエントリーがある。そこで偶然プロトライアルにエントリーしていた知り合いの女性サーファーに会ったので、今回の大会についてどう思うかを聞いてみると「この大会に出ると言ったら、周りからいろいろ言われましたよ。でも水質も問題ないということなので。放射能というよりも被災地の方の心情として、ここで大会をやるということの方に戸惑いもあったけど、地元のプロをはじめ地元の方が開催することを歓迎してくれたので参加してよかったと思いますよ」と語ってくれた。大会の様子をざっとみる限り、いつもと変わらないように思えた。

 


主催者であるJPSAの牛越理事長に話を聞いた。牛越理事長は「今回の大会は茨城県が専門機関に提出して検査した水質に問題がないということで開催を決定しました。毎年開催させて頂いている鉾田市で今回開催することは、地元の人たちのためにもなると考えました。地元の人たち、スポンサー、選手、観に来てくれる人たち、JPSAが協力して大会を行うことによって、気持ち的にも一つの復興になると。もちろんビーチクリーンも行うのですが、今回の開催にあたって、震災でビーチに流れ手つかずでいたテトラを除去できました。それからここでプロサーファーの大会を開催することによってこれから茨城は海開きをするとのことで茨城の海の水質が安全であることをPRできるので、茨城県や鉾田市からも歓迎して頂いたんです。県知事から県知事賞を頂き、ファイナルデーには鉾田市長が来て下さってサーフィンに挑戦するんですよ」と話してくれた。
JPSA名誉顧問川井幹雄氏も「海の水質検査は安全と結果が出たので、この大会を通して、一般の人が戻ってくるきっかけになればと思いますね」と語る。また、ハワイから大会に来ていた植村未来選手がいたので、今回の大会について聞いてみると「みんな場所的にちょっと怖がっている部分あるのかもしれないけど、海は繋がっているから、ハワイにも繋がっているし。サーフィンしている限りはどこで入っても同じだと思う。水質がOKなので、ローカルの人たちのためにも大会に参加しました。地元の小熊ちゃん(小熊明美プロ)もみんなが来てくれて嬉しいって言ってくれたからよかった」と語ってくれた。


 

 

 

 

 

 

 

会場で大会を観戦していると地元の女性が話かけてきてくれた。地元の人に話を聞けるチャンスと思い、状況を聞いてみた。その人は地元で食堂を営んでいて、サーファーがよく来てくれていたが、震災後ぴたっと来なくなり、今回サーフィンの大会が開催されるというので偵察に来たと言う。「毎年夏はサーファーが来てくれていたので今年はどうなるかと。海の家も嘆いていたんですよ」と。

水質が安全という結果が出た地元としては、サーファーに来てほしいと思っているということを直に聞けた。今回も復興支援の一つとして大会会場ではプロサーファーによるチャリティバザーが行われた。バザーの収益はすべてサーフィン連絡協議会を通じて東日本大震災義援金として寄付される。そしてその横のブースでは茨城サーフユニオンが茨城の海の復興のためにとチャリティーステッカーとチャリティーリストバンドを販売して義援金を集めていた。集められた義援金によって放射能チェックの機材も購入したいと考えているそうだ。

さらにその横では、地元特産のメロンとトマトの試食ブースが設置され、地元の有志の方が訪れた人に茨城の農作物の安全性のPRも含め復興に向けて頑張っておられる姿を目の当たりにした。話を伺うと、皆さん多かれ少なかれ、ご自宅が地震の被害を受けている中で復興のためにと今回ブースを出されていた。そんな姿に、いろいろな支援があるが、毎年サーファーが良い波を求めて訪れるこの場所でプロサーフィンの大会を開催したことも一つの支援になると実感した。大会開催にあたっては多くの意見、非難もあったことだろうが、隣県である福島県や東北の被災地にとってもまだまだ見えない復興に対して身近な場所である茨城県でサーフィンができるということは少しずつ復興が広がりつつある兆しの希望の光の一つとなることを願いながら大会会場を後にした。

text&photos/米地有理子