「ゴーイング・バーティカル」 ディック・ブルーワー来日記念インタビュー3

巨匠ディック・ブルーワーが語る、ショートボード・レボリューションのリアル・ストーリー。

 

「ゴーイング・バーティカル」ディック・ブルーワー来日記念インタビュー3


76歳になるいまもなお、ビッグウェイブ・サーフィンに情熱を注いでいるブルーワー。60年代のビッグウェイブ・ガンから現代のトーインに至るまで、長きにかけてブルーワーのデザインにおける進化は続いている。

 

あなたがハワイに住んでいるのはビッグウェイブがあるから?

 

DB: そのとおり、世界のどこよりもハワイにはビッグウェイブがあり、波質も安定しているからだよ。水も温かいしね。

 

1961年にハワイで「サーフボード・ハワイ」を始めて以降、いまもずっとビッグウェイブ用のボードを作り続けている。ビッグガンにはじまり、ミニガン、ショートボード、そしていまはトーイン・ボードの開発に力を入れているんだ。

 

こうした進化は起こるべくして起こったのでしょうか?

 

DB: ボードが機能するために何が必要かを考えれば、ドラッグする場所を少なくしていくことは当然の結論。たとえ私がやらなかったとしても、誰かがやっていただろう。だってボードが速くなるんだからね。

 

マニューバー性だって高まるんだ。いま、私のボードでゲリー・マクナマラやレアード・ハミルトンは6フィート以下の小さなボードで、巨大な波にものすごいスピードで乗っている。それが進化だ。

 

今後、再び何らかのデザイン・レボリューションは起こると思いますか?

 

DB: いまはわからないな。現在、進化のレベルは最高度だからね。ただ言えることは、テクノロジーがどんなに進歩してもハンドシェイプはなくならない、ということかな。

 

微細なデザインの変更を容易に調整できるからだ。マシーンではそうはいかない。そして何より、ハンドシェイプは削り手がボードに魂を注入することができる唯一の方法だ。

 

結局、ショートボード化していくあの時代のデザインをリードしたのは、マクタビッシュだったのでしょうか、それともあなただったのでしょうか?

 

DB: 映画のなかでは、まるで私とボブとが敵同士のように描かれているが、あれはあくまでも演出であって、私たちは敵ではなく友だちだよ。いまだって、つねに連絡を取りあいシークレットな情報を交換しているんだ。

 

どっちがリーダーだったかという論争は絶えないが、私たちは結局同じ方向に向かって進んでいたんだ。この映画の最後のハイライトで、それが理解できると思うよ。これは誰もが楽しめる映画だが、やはりサーファーに見てもらいたい。そして正しい史実を知ってほしいね。

 

ブルーワー&マクタビッシュ

 

ゴーイング・バーティカル」公開情報
【新宿】
新宿K’s cinema 6月16日(土)より 新宿K’s cinemaにてロードショー!
6/16(土)〜6/19(金) 15:00〜 / 17:00〜
6/30(土)〜 17:50〜
K’s cinema www.ks.cinema.com

 

【大阪】
シネ・リーブル梅田
6/16(土)〜6/22(金) 1週間限定
シネ・リーブル梅田 www.ttcg.jp

【名古屋】
センチュリーシネマにて7月上映予定
他、全国順次公開予定。

 

Dick Brewer@his shape room / photo:Takashi Tomita

 

(プロフィール)
Dick Brewer ディック・ブルーワー

1936年ミネソタ生まれ、カリフォルニア育ち。53年にサーフィンをはじめ、17歳で初シェイプ。60年にハワイに移住し、サーフボード・ビルドを本格的にはじめ、61年に自分のレーベル「サーフボード・ハワイ」を設立。パット・カレンやボブ・シェパードらのデザインの薫陶を受けつつも、当時名うてのビッグウェイバーだったバジー・トレントと独自にエレファント・ガンのデザイン開発に邁進する。

 

61年にマカハのコンテストでバッファロー・ケアウラナが、63年に同じくマカハでジョーイ・キャベルが、ともにブルーワーのガンに乗って優勝すると、“ブルーワー=ガン”の伝説が生まれる。60年代半ばには、故エディ・アイカウのトレードマークだった“レッド・ホビー”を削る。またビングからは“パイプライナー”や“ロータス”といった名器をリリース。

 

その後60年代後半はミニガンの開発に力を注ぎ、ショートボード・レボリューションの中心人物として世界にその名を轟かす。80年代にはデレック・ドナーをパートナーに研究を進め、スラスターガンにおけるスタンダード・デザインを確立。90年代からはレアード・ハミルトンとトーインでのビッグウェイブ・サーフィン用のボードのデザイン開発に没頭。76歳の現在も、カウアイ島ノースショアの自宅のシェイプルームでサーフボードを進化させ続けている。

 

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