田中英義インタビュー

 

14歳で最年少プロとしてデビュー。2006年には、一度この日本タイトルを獲り、次の舞台は世界へ。そして、海外を転戦する日々。英義の世界での活躍を期待し、順風満帆の選手生活が待っていると誰もが信じて疑わなかった。しかし、その後の英義は、思うような結果が残せず、表彰台から姿を消した。日本人がぶつかる海外との実力差なのか。それとも競技人生への疑問だったのか。若くしてプロになった事の重圧だったのか。栄光を掴んでからの挫折。そして、見事な復活劇。今、初めて自分の言葉で、その時の気持ちを一つ一つ語ってくれた。

Text &Photo : : Sadahiko Yamamoto

▶ 5年前のグラチャン獲得後を振り返る
 

Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto

 

Q. グランドチャンピオンおめでとう! この結果は今までの英義の歴史があってこその結果だと思うけど、2006年にグランドチャンピオンを獲った後、世界へ進出。でも、その後、世界でも、日本でも結果が出せずに不振に喘いでいたよね? 海外で勝てなかったのが、直接の原因なのかな?

海外で勝てないからということでなく、今だから言えるんですけど、グランドチャンピオンを獲って、本当はふっと力を抜きたかったんですよね。休みたかった。僕ってその当時、息抜きも何も無かったし。彼女がいたわけでも無いし、誰かとつるんで遊ぶっていう事も知らなかったんです。頭で考えて動いているような人間ではなく、単なるロボットみたいな感じで。

そういう状態だったから、実は本当は試合も廻りたくなくて。嫌だという気持ちの方が強くて。でも、頭ではグランドチャンピオンを獲ったら、次は世界に行って、その位置、その場所にいないといけないという観念が常にあったんです。それで一年廻るじゃないですか。そんな状態だから、もう雑念ばかりで。心ここに在らず状態でしたから。自分に対して「素直さ」が無かったんですよね。

▶ こんな風になってしまった自分を責め続けて

 

Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto


Q. 廻りたくないのに、無理矢理廻っていたんだ。自分のやりたいことのはずだったのに、それができない、やりたくない状態になった。自分ではその時どんな風に考えていたの?

 

何をやっているのか?それさえも気付けなかったです。ただただパワーが落ちていくことだけは、自覚していました。2007年はオーストラリア、ポルトガル、ブラジルなどを一人で廻ったんですけど。帰国して引きこもりました。引きこもりと言っても、気持ちの方ですけど。内にこもるようになりました。とりあえず、疲れたというのがあって、自分というものがわからなくなって。夜寝られないですよ。それでも寝ようとするんですけど、すぐ目が覚めてしまって。不安だったんでしょうね。今思うとその時は、自分の中に自分自身の気持ちは無かったと思います。人の話も聞ける状態でなく、身体だけで動いていたんじゃないかと。

Q. 内にこもってしまったと自覚した後、どうしたの?

翌年の2008年は、こもったとは言え、それでもまだ、多少はできていたと思います。自分の中では。一瞬、調子いいのかなって、思える時期もありましたし。夏ぐらいかな。でも、後半、また墜落してしまって。何があったということでなく、自分の内面のことなので。常に自分自身との対立で、こうなってしまう。何が原因ということはわかりませんでした。
その時は、何でこうなったんだ、ということの答えを探していました。自分のこの状態を、自分の頭で理解したかったんですけど、でもわからなくて。そしたら、また落ちていってしまって。

2009年は最悪の年でした。自分自身、こんな風になってしまったと責め続けて。回りにはそう見えなかったと思いますけど。毎日毎日が辛くて。海外遠征なんかあり得なかったです。このままの気持ちで海外へ行ったら、パニックになっちゃうと思っていましたから。それでもバリには何とか行って。メンタワイも誘われたりしたんですけど、心では行きたい、でも、頭では行きたくない。無理だって。この年は、もう自分がダメだって気持ちが強くて、さらに自分が見えなくなった年でした。

▶ 自分で自分を理解することを始めました
Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto

海にいてもいきなり落ちてしまうこともありました。そのうち、普通にしていても、落ちてしまうようになって。サーフィンしていて、このまま行ったらぶつかってしまうという時でも、自分はどかない。ぶつかってもいいって思うようになっていて。ものすごくイライラしていました。

常に出口を探していました。でも、すぐには見つからなくて。でも、ある時、自分はこんなはずじゃなかったんだ、ということを冷静に一歩引いて、受け止めることができるようになって。実際、自分が結果として失敗している事実があって、その理由は何なのか?何かが間違っているからこうなっているわけで。何で俺はこうなんだ、と自分で自分を理解することを始めました。

この原因を何とか自分の中で、理解したかったんですね。絶対に何かが間違っているのだから、こうなってしまっているんだ、それはわかっている。こんな風に繰り返し、繰り返し、問いかけているうちに少しずつ浮かび上がって来て。

▶ 本気になれたからこそ、また少し開けた
 

Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto

Q. 自分を取り戻すのに、助けとかはあったの?

家族や友人がいてくれたのは、確かに支えにはなりましたけど、この事は人には話していませんでした。自分自身のことは、誰にも話していなかったです。話すような事でないと思っていたし。自分では病院で薬もらって飲むとか、そういうのではない、違うと思っていましたし。僕は自分の中に答えがあると思っていましたから。ふっとした時に頭に浮かんだこと一つ一つを自分で考え、理解していく作業を続ける毎日でした。
2010年に入り、年が変わるということで、気持ちも新たに取り戻そうと思ったんですけど、それでも上がったり下がったりで。試合に出ても結果は出ない。でも、自分の心に「諦めたくない」って気持ちが生まれて。そうすると少しずつ良くなっていることで、心の底辺が上がってくるから、自分を取り戻すのも早くなって。そしたら、サーフィンも調子良くなって来て。
その年のASP JAPAN公認のBillabongの大会が一宮で開催されたんですけど。僕の地元だし、一宮でやるからにはプライドもあるし、後悔したくないって。そこで本気になれたんです。本気になれたからこそ、また少し開けたっていうか。少しずつ自分を取り戻してきた感覚でした。自分で自分を納得させながらですけど。その翌週、鉾田で行われたJPSAムラサキの大会で優勝できました。

Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto

 

Q. 鉾田では泣いていたよね?それはこの自分のダークサイドを乗り越えたからの涙だったの?

自分がまだ完全じゃなくて、まだ焦りもあって、いつまた落ちちゃうか、不安の中でそれでも表彰台に立つ事ができて。あっ、また、ここに立つ事ができたんだ、自分は表彰台に乗れたんだなって。自分が良くなっていることがわかっている結果として、目に見えるわけじゃないですか。心の葛藤はあるんですけど、少しずつパワーが上がってきたことを実感したんです。

 

 

▶ 「毒」みたいなものが、僕を育ててくれた
photo:S.Yamamoto

 

Q. そして、2011年。シーズン最後にJPSAのグランドチャンピオンを再び手に入れた。今、振り返ってどう思う?

この年は最初のASP JAPAN の奄美の大会で2位。JPSAの伊豆の大会で2位。2番ですけど、自分で良い結果として残るから。2回も2番になれたって。とにかく、悪い結果でないと自分に言い聞かせていました。これでいいんだって。

そして、グランドチャンピオン獲って、またこの位置に戻って来れたんだって思いました。また一つ結果として残したわけじゃないですか。みんなのサーフィンのレベルがアップしている中で、結果としてここに立っている。戻れたのは、正直うれしかったです。

前は自分一人でやってきた自負心が強かったけれど、あのコールを聞いた時は、みんなのおかげだなって。家族や仲間が応援してくれたおかげだなって、すごく感じました。感極まるって言うんですかね、僕の中で。

悟りとかではないですけど、こう思うんですよね。一歩間違えれば、またそっちの世界に戻ってしまうような、何か「毒」みたいなものが、僕を育ててくれたんじゃないかって。こんなこと言っていると悲観的な人間かと思われるけど、そうじゃないですよ(笑)。

 

 

▶ 長く停滞してしまった大きな原因は?
Hideyoshi Tanaka photo:S.Yamamoto

 

Q. この長く停滞してしまった大きな原因は、今、思うと何だったと思う?14歳で早くからプロになったから?ある意味、この年で仕事を選んだわけでしょ。プレッシャーだったのかな?

いや、違いますね。20歳ぐらいまでは、何の問題もなかったです。プレッシャーもなかったし。まあ、若いし元気もあるし、子供だったから何も悩まなかったというのもあります。

Q. でも、前にインタビューした時、自分はサーフィンだけできたから、学校とか友人とか一緒にいろんな所へ行った記憶とかそういうのが少ないって言っていたよね。だから、英義が落ち込んでいた時、そっちがやりたいのかなって思ったけど。

それは、確かにすごく後悔がありました。16歳ぐらいでみんな高校へ行くじゃないですか。一度、文化祭に連れていってもらったんですけど、すごく楽しくて。こんなんなら高校行けば良かったなって。
その当時は、通信入っていたんですけど。高校へ行かないから、サーフィンがたくさんできる環境なのに、サーフィンも全然やらなくて。通信のレポートや勉強もしないで、親父にいつも怒られていました。
ただ、その時はサーフィンをやるって言っても、そういうもんだと思っていたし。プロサーファーになったら、そんなもんだと思っていました。

Q. やりたい事ができずにいたことが、自分がわからなくなった原因ではないんだね?

そんな深い考えはなかったですね。僕は、要はいじけていたんだと思います。いじけて、わかんなくなっちゃっていたんです。

試合で疲れちゃった、って言いましたよね。本当はいじけて、自分のやるべきこととか見失って、逃げたんです。サーフィンの試合を止めたら、もっと楽になると思ったんですけど、止めたら逆に苦しくなった。自分から逃げたら苦しくなるんだって、わかりました。

やはり「素直さ」がないから、いけなかったのかなって。本当は2007年やりたくなかったら、やらなければ良かったんですよ。疲れちゃったなら、休めば良かったんです。

何も知らないんですよ、サーフィン以外は。サーフィン以外で友達と遊ぶ事もなかったし、彼女がいた訳でもないし、酒を飲むという事に対しても、それは逃げだと思っていたし。今、思うと本当に無駄な時間を過ごしてしまったと思います。でもその当時は、それすらわからなかったですけど。

昔は自分を強く見せていたところがあったと思います。自分で見栄を張って。そういったところから、僕は落ちていったんだと思います。

 

 

▶ 世界再挑戦の手応えは?

 

Q. さて、最後に世界再挑戦だけど、手応えは?
僕はチャンスあると思っています。自分のいいところ知っているわけじゃないですか。グランドチャンピオンを獲っているわけだし。いつもイキイキすることができるようになったし。

自分はあそこから時間が止まっていたんですよね。時が経って、自分に後が無いというわけじゃないけど、今しかできないことやるべきだって。それをやらなかったら、何が自分だって、思っちゃうし。

あの震災で、わかったんです。いろいろな人の立場があって、いろいろな気持ちがあることを。そして、自分にとっては、サーフィンの大切さを改めて知ることになりました。だから、思いっきりやろうって。

ただ、次、気持ちが落ちたら、もう即、引退ですかね。そうなったら、もう戻って来られる事は無いと思っているし。だから、最後のチャンスとしてでも、挑戦したいですね。悔いの無いようにしたいです。

▶ インタビューあとがき
田中英義、25歳。 

昔は人と話すのが嫌だった。
しかし、今は人と話す事で変われたと言う。

英義がここまで語るようになったのは、「素直さ」だと。
これは自分に、そして自分の人生に対しても。
素直になることで、正直にすべてを受け入れ、自分をさらけ出す。

自分の頭で考え、あくまでも自分で解決することを選んだから苦しんだ。
でも、その分、英義は自分の弱さを知り、強さを身につけた。

英義は自分の今ある環境をも否定しない。
すべて自分が行う世界だと。
もう、諦めたくないと。

そして、最後に言う。
二度と自分みたいなコンペティターを作っちゃいけない。
苦しんでいる人がいるなら、ぜひ自分を参考にしてほしいとも語った。

自分のことだけでなく、人の事を思いやれる、一回り成長した英義がここにいた。

今年の英義は楽しみだ。
大きく羽ばたくことを期待して。

ゴー!ヒデ!

▶ 田中英義の大会戦歴、スポンサー
2011 JPSA 年間グランドチャンピオン
2011 JPSA 第6戦「ガルーダ・インドネシア トラベルシーンプロ」2位
2011 JPSA 第5戦「ムラサキプロ鉾田」 5位
2011 JPSA 第4戦「千葉オープンJWMAプロ マニューバーラインカップ」 3位
2011 JPSA 第3戦「第16回 I.S.U茨城サーフィンクラシックGOTCHA・G-LANDカップ」 5位
2011 JPSA 第1戦「RONINプロ 藤本軌道カップ」 2位
2011 ASP JAPAN WQS「MALIBU AMAMI Island Pro」 2位
2010 ASP JAPAN WQS 年間チャンピオン
2010 JPSA 年間ランキング 6位
2010 JPSA スパーヒート『ムラサキプロ九州』 優勝
2010 ASP JAPAN WQS2☆「MALIBU HYUGA PRO」3位
2010 JPSA 第5戦「MURASAKI PRO」優勝
2010 ASP JAPAN WQS4☆「Billabong Tusrugasaki Pro」4位
2009 JPSA 年間ランキング 7位
2009 JPSA 第3戦「14回I.S.U茨城サーフィンクラシックGOTCHA・G-LANDカップ」3位
2009 JPSA 第1戦「ガルーダ・トラベルシーンプロ」5位
2008 ASP WQS 年間ランキング 4位
2008 JPSA 年間ランキング 25位
2008 ASP WQS「MURASAKI PRO」優勝
2006 JPSA 年間グランドチャンピオン
2006 JPSA OXY ALL JAPAN PRO 優勝
2006 JPSA GOTCHA G-LAND CUP 準優勝
2006 JPSA 田原プロジュニア 優勝
2006 WQS 千葉プロオープン 優勝
2006 WQS 千葉プロオープンジュニア 優勝
2006 JPSA アロハガルーダトラベルシーンカップ優勝
2005 JPSA 年間ランキング16位
2004 WQS CHIBA PRO OPEN優勝
2004 JPSA 年間ランキング4位
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