糟谷修自インタビュー

糟谷修自インタビュー

 

プロデビューした頃からグローバル・スタンダードな視点でサーフィンをとらえ、常に日本のサーフシーンをリードして来た糟谷修自。現役を退いた今では、長年の外国経験を活かし、プロサーファーのコーチングという新しい分野に踏み出し、遺憾なくその実力を発揮。日本で開催されたビッグイベントに合わせて帰国した糟谷にデビューの頃の思い出やプライベートライフそしてコーチングという仕事について語ってもらった。

 

 

ハワイに住まれてどのくらいですか?

 

もう30年くらいですね。

 

以前はカリフォルニアにも住んでいらっしゃったんですよね。

 

初めてのカリフォルニアはダン・フレッキー(プロサーファー)のところでした。当時のカリフォルニアはクイックシルバーのニューウェーブだったダニー・コークやフレッド・マーレーというツインフィンが全盛の頃でした。

 

 

彼の流れるようなスタイルはカリフォルニア時代に培われた。@Jベイ

 

 

トム・カレンはもうデビューしていたんですか?

 

いや、トムが登場する直前ですね。ケイティンのプロアマチームチャレンジで、ショーン・トムソンとトム・カレンがファイナルで当たって、そのときにトム・カレンを初めて見たのかな、僕は19歳でした。

 

その試合を見ていたんですか?

 

はい、見ていました。

 

トムの才能はすでに光ってましたか?

 

光っていましたよ、スムースでした。他の選手は力ずくというかパワーでサーフィンしている感じでしたね。ショーン・トムソンやマイケル・ホー、デーン・ケアロハ、ハンス・ヒデマンもちろんMRも出ていましたが、トムは光っていました。

 

当時トムはツインフィンに乗ってたんです。ツインフィンはトライフィンと違って力だけでなく上手にパワーを配分させてサーフしなければならないのですが、彼は上手にサーフしていましたね。

 

 


 

当時の選手はツインフィンが主流でしたか

 

MRはもちろんツインフィンだったですね。でもパワーのある選手はシングルフィンでしたね。その試合にサイモン・アンダーソンがトライフィンを持ってきていたんです。ライダーのマイク・ニューリングとそれに乗って出場しました。

 

サイモンがトライフィンを?

 

そうです。それで翌年のベルズでサイモンが勝ってナラビーンのコーククラシック(サーフアバウト)で勝って、さらにパイプでも勝って、いきなりトライフィンが大流行したんです。

 

だから僕はサイモン・アンダーソンの店にトライフィンを買いに行きましたよ。そしたら中古しかなくて、しかたなくてそれ買いました。初めてのオーストラリアだったかな?

 

カリフォルニアはまだシングルかツインフィンでしたね。ジョイ・ブランとかデビット・バーの時代です。

 


 

その頃のカリフィルニアを経験されているなんて羨ましいです。

 

いい時代でしたね。70年代のヒッピーが終わってサーファーもちょっと小ぎれいになっていました。パンクというよりニューウェーブかな、音楽はブロンディやゴーゴーズなんか流れていました。華やかな80年代の始まりでしたね。

 

 

いまと違ってその当時にカリフォルニアに住むってかなり大胆な行動でしたね。

 

お世話になっているサーフショップのオーナーがカリフォルニアに住んでいて、ダン・フレッキーもサポートしていたんです。それもあってダンのところで世話をしてもらえることになったんですよ。

 

まだ英語もぜんぜんわからなくてダンについていくだけでしたね。彼と海やパーティーに行ったりしていました。サーフボードはショーン・スチューシーやピーター・シュロフが流行っていましたね。

 

もうスチューシーはその頃から

 

そうです。彼はハンティントンでシェープしていたんです。ハーレーのボブ・ハーレーともケイティンのチームチャレンジで初めて会ったんです。いろいろなシェーパーがハンティントンにはいましたね。それからカリフォルニアへ通うようになったんです。

 

シュウジさんはカリフォルニアがサーフィンの原点だったんですね。

 

サーフィンだけでなくファッションも音楽もアメリカが、やはり一番格好良いなと子供の頃から感じていたので、カリフォルニアから学ぶべきものは多いだろうという予感は子供の頃から感じていたんです。

 

 

自分の経験を若い世代に継承する糟谷修自

 

 

当時のカリフォルニアのサーファーは上手かったですか?

 

上手かったですね。スタイルがあるし、僕が見てきた日本の上手いサーファーともまた違ったスタイルがあったと思います。サーフィンを追求するならば世界を見なくてはダメだと感じましたね。

 

それでは日本に帰ってくるとかなりギャップを感じていましたか?

 

当時の日本はかなり遅れていましたね。とくに80年代は音楽やファッションがアメリカから入ってきて一般の人に普及するまでは時間がかかっていましたから。いまはかなりオンタイムで流行が入ってくるようになりましたけれど。

 


アジアンパラダイスなど多くのサーフムービーにも登場した糟谷修自 from ENCYCLOPEDIA of SURFING videos

 

その頃は、もう日本でのプロ活動よりも海外に重点を置いていたんですか。

 

そうですね。プロデビューして、直ぐにランキング3位だったんです。あと1試合出ていればグランドチャンピオンになれただろうという年もありました。でも日本での実績よりもASPの試合を優先していましたからね。昔はASPの試合が少なかったんです。

 

 

歌を唄ってCD出しましょうとかTVの出演という話もありましたよ。

 

 

少し話が変わりますが、日本にサーフィンブームが起きて修自さんがサーフスターとして一般のメディアから注目されましたよね。当時を振り返って、そのフィーバーぶりで覚えていることはありますか?

 

サーフィンだけでなく一般誌やファッション誌からも取材が来ましたね。サーフィンがブームというだけでなく日本の経済が好景気だったんです。だから僕はいい波に乗ったんですね。

 

下世話なことお聞きしますが、CMにも登場するようになって当時の出演料は凄かったんではないですか。

 

笑、うーん、そうでもなかったですよ。エージェントを通せばもっと多かったかもしれませんけど。契約したいって日参したエージェントもいましたね。でもサーフィン優先で僕の生活は成り立っていましたし、世話になっていたお店もそういう僕の生活を大切にしてくれていました。

 

歌を唄ってCD出しましょうとかTVの出演という話もありました。あの頃その流れに任していたらどうなっていたでしょうね。でも当時は、僕はサーフィンが一番でお金ではなかったからお断りしました。

 

ハワイでは、父親として家族との時間も大切にする糟谷修自

 

現在はハワイのサウスショアにお住まいですが、やはりハワイは特別な場所ですか。

 

住むようになった経緯はプライベートなこともあったのですが、結果としてサーフボードビジネスやコーチングという新しい仕事をインターナショナルな視野で考えるとハワイはやはりベストな場所といえますね。

 

世界中のサーフィン業界ともコミュニケーションが取りやすいですし。各方面のトップの人たちとの出会いの場でもありますから。

 

ハワイ住んでいて日本はどう感じますか。

 

サーフィンに関して日本ははまだ遅れているところがあります。でもハワイも島ですからファッションなどの流行はハワイの方が遅れているということもありますよ。情報は日本が速いと思います、でも流行が盛り上がるのも速いけど廃れるのも速い。

 

ハレイワで毎年行われるコンテストには必ず出場する。

 

 

日本のサーフィンのレベルと世界のレベルは縮まってきていますか?

 

そうですね特に若い世代のサーファーたちで世界を志向しているサーファーたちのレベルは縮まっていると思います。

 

 

大原洋人がUSオープン優勝。日本のサーフィン史上初となる快挙 Image: © WSL / Morris

 

 

 

大原洋人君の去年のUSオープンの勝利は冷静に判断してどう評価されますか?

 

彼にとって全てが良い方向に向いた、良いところが出たと思います。波のサイズからコンデションと彼のサーフィンそしてサーフボード全てが良かったと思いますよ。最近はずっとコーチングという立場で一緒に世界を回って見てきて、その成果が出たんだと思います。

 

コーチとして戦略的なアドバイスはするんですか

 

潮の変化によってポジションが変わったりしますから、そういうアドバイスはします。でも選手の持っている直感的な勘を大切にしたいです。いつ良い波がどこにくるかは、結局は勘ですから。その野生の勘を引き出すのがコーチの役目でもあると感じています。

 


 

 

さて、元CTサーファーだったクリス・ギャラガーはコーチングでも活躍されていますね。修自さんは彼と交流が深いとお聞きしていますが?

 

クリスはサーフボードデザイナーとしても有名で僕のSKサーフボードのメインシェーパーでもあるんです。CT選手で彼のボードを使っている人は多いんですよ。

 

なるほど、コーチングに関して彼といろいろ意見をぶつけ合うことがあるんですか?

 

クリスとはよく話をしますね。彼はCJホブグッドが世界タイトルを獲ったときにコーチをしてきました。他にはテイラー・ノックスなんかもしていました。最近ではジョディ・スミスもしています。彼の優れているところはアドバイスが的確なんですね。わかりやすいんです。そうすると選手は安心できるんです。

 

選手と共に南アフリカ遠征へも出掛ける

 

 

父親よりそれ以上の献身が必要な場合もあります。自分の子供よりもいる時間が長いですよ。

 

CTの選手は全員がコーチを雇っているんですか?

 

コーチを必要としていない選手もいるんですが、コーチはゴルフでいうキャディのような立場で芝が読めるんですね。だからゴルファーがパットのラインを読むときにキャディのアドバイスがあればそれが自信になるんです。

 

そこまでコーチングの技術を高めるには、普段の生活から選手と生活しないと視点が同じにならない。日常生活のくだらないことでも共有してお互いの気持ちや考え方を共有しあっていかないとコーチはできないと僕は考えています。

 

じゃあ日本でいう監督と選手という上から押さえつけるというような関係とは違うんですね。

 

いろいろ僕が経験してきたことを教えてあげたいという気持ちはあるんですが、それよりもまずは社会の一員として普段の生活をどういう風にするかというところから始めますね。

 

だから父親というよりそれ以上の献身が必要な場合もあります。自分の子供よりもいる時間が長いですよ。

 

 

カノア五十嵐 image/WSL morris

 

 

ヒロトとはライバルのような立場でカノア五十嵐がいますが、彼のように家族でアメリカに住み向こうで成功していくのは日本人サーファーの新しいスタイルなんでしょうか?カノアのようなライフスタイルを実践すべきなんでしょうか。

 

やはり吸収するものは早いですよ。環境が良いですからね。しかもメジャーなスポンサーがつきやすいですね。またカノアは賢くて誰にでも優しく接することができます。

 

彼はすごく良い子ですよ。CTに上がれたのもプライムで勝ったわけではないけど彼がコツコツ積み上げたものがあって、さらに家族のサポートもあっての結果ですね。ヒロトはUSオープンで勝ってその後に良い成績を残せなかったですね。

 

カノアは日本人サーファーの新しい形ということはいえますね。

 

そうですね。英語が話せるというだけで大きな違いですから。たとえばケリーと付き合うにしてもジョークひとつで笑いあってコミュニケーションが築かれるわけですから、通訳してもらわないと分からないというのはそれだけで違うわけです。

 

2016WSLルーキー・コナー・コフィン(USA)

 

 

カノアと同じCTルーキーのカリフォルニア出身のコナー・コフィンが活躍していました。彼はパワフルなマニューバーを売りにして高得点を叩き出しますが、ジャッジングの新しい流れなんでしょうか?

 

コナーは他の選手と違ってカービング重視なんです。それにはブラッド・ガーラックが何年もコーチをしてきていることが背景にあります。そういえばブラッドは僕と高校時代からのつきあいで昨日も話したばかりですよ。やんちゃな高校生でした。彼ともコーチという立場で話しをします。同じレベルで話しができているなと思いますよ。

 

WSLのジャッジはコナーを高く評価していますか?

 

していますね。

 

それはエアーが全盛になってしまっていることも影響しているんでしょうか?

 

そうですね。クリティカルな位置で、どのくらいレールを入れてターンができているか、彼の良いところはそこですね。リスキーではあるけどそこが評価されていると思います。

 

エアーにしてもパワーや高さで評価が変わってきていますから、コナーはターンでそこを追求しているわけで、それを評価されているわけです。だからエアーができなくてもサーフィンの基本ができていてターンがすばらしければ8点や9点は出すことはできます。

 


 

さて、最後にストレートにお聞きしますがオリンピックは賛成ですか反対ですか。

 

僕は良いことだと思います。人によってはこれ以上海が混雑したら困るという意見もあります。誰もいないところでサーフィンができたら最高ですが、いまの世の中どこに行ってもサーファーはいて、どこももう混雑していますよね。

 

オリンピックの正式種目になるっていうことはいままでの日本のサーフィンの歴史が培ってきたことですから。それはそれで評価したいです。スキーからスノーボードに変わってきたように若い世代のジェネレーションが志向するジャンルとしてサーフィンがあるのならば、そういう時代なんだと思いますね。

 

今年も7月25日からカリフォルニアのハンティントンビーチで開催されるUSオープン。今年はディフェンディング・チャンピオンとして追われる大原洋人をコーチという立場からサポートする糟谷修自。今回、糟谷修自と大原洋人はどんな作戦でUSオープンに挑むのか。日本と世界の期待を集め、バトルがスタートする。

 

TEXT & portrait : Ri Ryo