李監督がインターナショナル・サーフフィルム・フェスティバルで最優秀撮影賞を授賞

李リョウ監督がインターナショナル・サーフフィルム・フェスティバルで最優秀撮影賞を授賞


 

写真家で映像作家の李リョウ氏が監督&プロデュースしたサーフドキュメンタリー映画「factory life」の上映会が鎌倉で開催された。この作品は、今年7月にフランスのアングレットで開催された「インターナショナル・サーフフィルム・フェスティバル」で、最優秀撮影賞を授賞。その映像にかける情熱や、今回の作品に対する話を伺った。

 

撮影、取材;山本貞彦

 

 

・この「SURFFILM FESTIVAL / ANGLET 」への応募のきっかけは?また、ここで初めて「AILERON DE LA MEILLEURE PRIZE DE VUE」という賞を獲得しましたが、どんな賞でしょうか?


インターネットでこの映画祭を知り応募しました。頂いた賞は「最優秀撮影賞」です。銀メダルですね。


・撮影日数はどのくらいかかったのですか?


全行程で、1.5年ぐらいかかりました。

 

 


・李さんは写真家でありながら、映像作家というもう一つの顔をお持ちですが、映像の方はいつから撮りだしたのでしょうか?また、映像を撮るきっかけを教えて下さい。


「mune kata atama」というサーフムービーが最初です。それから映像製作会社で仕事をしながら技術を学びました。


サーフィン映画を作りたいという夢はずっと自分のなかに暖めてきました。いろいろアイデアや構想もありましたが現実的には資金面も含めて製作が困難でした。

 

も、この映画ならば現実的に製作可能だと判断したんです。撮影が千葉だから鎌倉からも通えるという理由もありました。映画の面白さは大きな制作費をかけなくても表現できると思っていますので。

 



・また、写真とは違って、映像に込める想いは何でしょうか?逆に写真にしか出せないものって何でしょうか?


映像と写真は、近くて遠い関係だと思います。似ているけれど全く違う。それは人間でも男と女とでは全く違うのと同じです。さらに映像で表現したほうがいいものと写真で表現したほうがいいものがあると思ってます。今回の映像に込めたものはサーファー礼賛です。


写真にしか出せないものはと問われれば、一瞬の表現力でしょうか。バットがボールを芯で捉えた瞬間のような、そんな強烈なインパクトは写真でしか表現できないかもしれませんね。

 

映画のワンシーン

 

 

・ところで、李さん自身は一時期、映像を観るのを止めたそうですね。でも、今の映像の何が面白くないのか再確認しようとまた観るようになったと聞きました。実際に何が面白くなかったのでしょうか?

 

世の中に出回っているサーフムービーがなぜつまらないのか。これは個人的な主観ですが、結論を先に言えばストーリーがないことが原因なのだと思っています。サーフムービーのほとんどが、サーフィンのアクションに音楽を載せただけものです。自分はもう、そういう映画は見飽きてしまったんですね。


もちろん、尺 の短い作品にはストーリーがなくても面白いものもあります。ここで言うストーリーとは、起承転結という話の筋です。それがサーフムービーには、今までほとんどありませんでした。いや、無くても許されていたということでしょうか。

 

上映会には多くの人が集まった

 


それはサーフムービー自体がサーファーにとって作品を楽しむというより、「イメージトレーニング」の道具という役割を果たしていたからです。だから、映像を作る側もライディングをたくさん撮影して、選りすぐりのフッテージを編集して映像にすることが使命でした。そこにはストーリーはまったく必要無く、高度なテクニックや驚きが、まず在りきだったのだと思います。


それにビデオの制作自体が、誰でも安直かつ大量にできるようになったこと。これも映像のクオリティーを落とした原因だと思います。なので、今回の私の映画は、そういう映画を作っている映像製作者たちへのアンチテーゼでもあります。


・ここで最後に作品について。テーマは「サーフボードを作る」「サーファーとして生きる」とあります。メインは「サーファーとして生きる」だと思うのですが、なぜファクトリーを選んだのでしょうか?


ファクトリーを選んだわけではなくてそこにファクトリーがあったという感じです。サーファーたちがそこで働きサーフィンを生活の一部としてライフスタイルを送っている。サーファーとして生きる姿がそこにあったんです。

 



・「サーフィンの本質を見極めようとして制作した」とありますが、李さんが思う「サーフィンの本質」って何だと思いますか?


まだ、わかりません。サーフィンってシンプルなスポーツのようなものでも、他のスポーツにはない不思議な魅力がそこには存在しますよね。今はサーフィンがあまりにも商業主義的に染まってしまい、若い世代はそれがサーフィンだと勘違いしている気がしてならないんです。

 

 

だから僕は映画を通して「これがリアルサーフィンだと思うけど君はどう感じるかな?」そんな問いかけでもあるんです。

 

 

スライドショーも同時に行われた。これは、この世界に入るきっかけとなった写真。ハワイで撮影した写真が2000年の『Patagonia』のカタログの表紙に採用された。

 

factory life上映会追加公演が決定

8月6日(木)

場所:浅草ゴロゴロ会館ホール
7:00pm会場 7:30pm開演

前売1000円 当日 1300円

お問い合わせ
http://y-leefilms.com/
info@y-leefilms.com
090-7020-2223

 

 


 

今作品はシークエンスサーフボードの蛸さんがFacebook上で、「工場の天井裏に忘れかけていたフォームを思い出した。」「久々にそのフォームでガンをシェイプしようかな」とアップ。このコメントを見た李さん撮影を申し込むと「ハンドで削ってみようと思う。」と返事。「ならば映像として残したい」とメッセージを送り、撮影が始まったという。


この映画はサーフボード工場に係わった人だけでなく、一般の人でも楽しめる作品。ストーリーはあるものの、その過程でサーフボードがどうやって作られるのか。実際に工場に行かないとわからないことが、映像にすべて表されている。


自分もソエダサーフボードで工場長として、5年ほど勤務した。シェープやサンディングの音、ラミネートをする作業でベタつく足音。そして、作業に必要なレジン、アセトンなど、そこにある臭いまでが映像から感じることができる。


サーフボードの製作行程の中で、映像がモノクロからカラーへ変わる場面。鮮やかな赤色のガンが象徴的に演出されている。とても印象的なシーンだ。


「サーフボードを作る」「サーファーとして生きる」というテーマで、
「ある一人のシェイパーが人生最後のガンを作る様を映像に収めた作品。」と評される。


しかし、李さんの想いはそれだけに収まらない。日本のサーフィン文化を世界に対し発信していきたいという。


そう、この作品には細かい伏線がちりばめられていた。

 



蛸さんがマシンシェープ全盛の時代で考えれば「この時代にハンドってね。」と話すくだり。映像ではこのハンドシェイプに関しての趣が語られる。ハンドの良さもあるのだが、実は今の時代の可能性を蛸さんは喋っている。


クラークフォームはモールドで制作されていて、ロッカー等が最初から決まっている。その代わり、いろいろなサイズ、モデル、軽さが選べるようになっていた。映画の中で使用されたフォームはデザインがパット・ローソン。


「実際、マシンシェイプである今の方が、自分なりに手が加えられるんだよね。オリジナルで好きにシェイプできる。」この場面は、今の時代を生きるシェイパーの言葉だと思う。


工場のメンバーを紹介する映像の中では、サーフボードの工場の在り方も見せている。シークエンスサーフボードでは工場で人を雇うのではなく、それぞれ独立した7人がこの工場をベースに仕事をしている。



シェイプが在りき。それに加え、ブラシ、ラミネート、フィンナップ、サンディングなどの作業ができるオールマイティをそれぞれが目指す。

 

 

YouTube Preview Image



原田正規、森山鉄平、徳田昌久、Ben Weiなどそれぞれ自分のブランドがあり、この場所を起点に活動している。
これも工場の新しいスタイルの一つだと改めて知った。


そして、工場で働く森山鉄平さんのビジネスと友人の関係について語るくだり。「一般では仕事の仲間と友人は別。でも、自分はサーフィンにおいて同じである。」という発言。


関わる人間がすべて、サーフィンを通してつながっているということ。それを良しとして、サーフィンを生業として生活のすべてにしている姿が描かれている。

 



サーフィンを突き詰めれば、もっと上手くなりたいとは誰もが思うこと。上を目指そうとプロになるサーファーがいれば、その反対に位置するのがボードビルダーだと自分は思う。


サーフィンへの興味からその道具にこだわり、自分で作り、試すことを繰り返す。そこにあるのはサーフィンが、ただ好きだという素直な気持ち。それはプロサーファーと一緒で、とてもストイックでもある。


蛸さんの人生最後のガンシェイプがメインに進行するも、実はファクトリーの在り方も映し出した今作品。
サーフィンを極めるということはどういうことなのか。


シェイプやシェイパーの在り方だけでなく、裏方と思われがちなファクトリーマンの日常をあるがままに映し、
そこに「サーファーとして生きる」という意味が深く込められている。

 

 

サーファーはあの佐久間洋之介。