トム・カレン・インタビュー

 

Tom Today:トム・カレン・インタビュー

 

カレンの独特なリズムを持ったスムーズでパワフルなサーフィン・スタイルは、80年代初期のサーフィン・レボリューションをリード。世界中のサーファーをインスパイアし、誰もがカレンのスタイルを模倣した。世界が認めるサーフィンヒーロー。3度のワールドチャンピオン、33回のワールドツアーイベント優勝など輝かしい記録を持ち、影響力という意味では彼以上のサーファーは未だ現れていない。

 

YouTube Preview Image今年行われたJベイのスペシャルマッチではパーフェクト10をスコア。世界中のサーファーに変わらないカレン・スタイルを見せた。

 

撮影、取材、記事:李 リョウ

 

2014年9月3日 、インタースタイルのためにリップカールジャパンが、世界中のサーファーのアイコン、トム・カレンを日本に招くことになった。サーフメディアからそれに併せてポートレート撮影とインタビューをという要請を私はいただいた。フォトジャーナリストとしてはこんなチャンスはなかなかない。だが私は返事をためらってしまった。正直、ビビってしまったのだ。

 

しかも、それをフェイスブックでつぶやいたらあっというまに「いいね」のレスポンスがなんと300を超えた。さらにプレッシャーが大きくのし掛かった。やはりサーファーにとって、トム・カレンは世代を越えて、いまもなお特別な存在なのである。しかし考えてみれば断るなんてありえないこと。まあやれるだけのことはやってみようと腹をくくって準備に取りかかった。

 

 

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Tom Curren Team Profile Video

 

 

撮影とインタビューのために

 

さて、写真ということなので、パシフィコ横浜の屋外にトムを連れ出して撮影するしかないのだろうかと思っていた。だがどうもイメージが湧かない、それでは場所を設けてストロボをセットして撮ってみてはと思いついた。インタースタイルを統括している長谷川氏に事情を説明したら、部屋を提供していただけるということになった。さて、彼を撮るならばサーフィンのイメージを写真のなかに添加したいと思った。そこで思いついたのがサーフボードと、もしくは彼のサーフィンの写真だ。サーフボードを持ってもらえばサーファーとしての印象を強くすることができる。さらに彼のサーフィンのポスターを背景にしみてはどうかとも考えた。

 

そんな思案中に友人の遠藤氏のところに出かけることがあった。彼はシェイパーである。彼の家で発見したのが彼自身のハンドシェイプによるアライアだった。日本で最高級の桐材を使ったアライア。これならトムの撮影に使えるかもしれないと思った。アライアならスポンサーとの契約などでトラブルは起こらないだろう。遠藤氏もトムの撮影ならばと、快く貸してくれた。

 

さて次にサーフィンの写真をどうするか、私の部屋にトムのラウンドハウスカットバックのポスターがある。それを使ってみようかと思った。だがどう使うかだ、使い方によっては陳腐になってしまうだろう。背景や床に並べるか、どれもあまりピンとはこない。

そこで小さな写真にプリントアウトして手に持ってもらったらどうかと思いついた。データ化しポラロイドで撮ったような合成をしてプリントアウトしたら良い感じになった。だが一つ問題があった。この有名な写真の使用許可が必要だった。

 

surf photo by TOM SERVAIS http://tomservais.com/

 

 

撮影は有名な写真家トム・サーベイ、世界で最も売れたポスターの一つと言われている写真である。当たって砕けろと本人に交渉してみることになった。じつはこのもう1人のトムとはフェイスブックで繋がっていたのだ。思い切って初めてメールを送ると、なんとOKの返信がきた。

 

YouTube Preview ImageLive the Search Series: Tom Curren Collection “Backdoor”写真家トム・サーベイがこの写真の撮影秘話を語る

 

つぎはインタビューの質問内容だ。トムのプロフィールをサーフィンエンサイクロペディアで調べなおしてみる。あのケティンのプロアマでアマで優勝していることがわかり、ある質問が思いついた。それは日本のプロサーファーがWCTで活躍するにはどうしたら良いかということだった。あとはお決まりの質問をぶつけて、どこであの質問を突っ込むか、インタビューは相手に好かれようとしないことも一つのスタイルだ。

 

当日9月3日は午後二時からインタビューと撮影となった。午前中に撮影機材を搬入し準備を進めた。リップカールのブースに行くとそこにトムがいた。挨拶と午後の約束を確認。ブースで待っていると二時を30分ほど経過してから雑誌の取材を終えてトムが戻ってきた。アテンドのランディ氏と共に4人で部屋に向かい、そこでまずインタビューが始まった。

 

 

パーティでの演奏を前に念入りなリハーサルを行ったトム

 

 

 

お名前をもう一度お聞かせくださいいま何才ですか?

トム・カレン。正式な名前は、トーマス・カレンという。50才になった。

生まれはどこですか? 今はどこに住んでいますか?

カリフォルニアのニューポートビーチ出身でサンタバーバラに住んでいる。フランスにも住んでいたことがあって、5~10年くらいかな。

フランスはサーファーにとっては住み良い場所ですか? 物価が高いようですが?

うん、フランスは波が良いからね。住み易いね。物価は、う~ん、まあね。でもそうでもないよ。

ヨーロッパで一番波の良いところはどこでしょうか?

難しい質問だね。季節や波のディレクションにもよるかな。ポルトガルやスペインも良いよ、アイルランドも良いね。でもフランスがやはり良いかな。

 

YouTube Preview ImageLive The Search Series: Tom Curren Collection “Jeffrey’s Bay”親交の深かったフォトグラファー故ソニー・ミラーがJベイとカレンについて語る。

 

 

さて、サーフィン映画の話をしたいのですが、お気に入りの映画はありますか?

そうだな、好きなサーフムービーはすごくたくさんあるからね。う~ん、なんだろう「ファイブサマーストーリー」が好きかな

映画フリーライドは? 映画フリーライドから影響を受けましたか?

ああ、好きな映画だよ。すばらしいね。影響を受けたよ。

あの当時のスターだったショーン、ラビット、マークでは誰が好きでしたか?

ラビット。でも他の2人も好きだな。

あなたのサーフィンはラビットから影響を受けていると聞いたことがありますが

その通り、ラビットから大きな影響を受けたよ。

映画フォーローザサンについてお聞きしますが(トム・カレンのデビュー作的作品)

フォローザサンってスコット・ディットリッチ監督が製作した映画?

そうです、あのとき何才でした?

あの頃はたしか15か16才かな

すでにハワイの経験は豊富に積んでいたんですか?

そんなことないよ

でもあの映画でバックドアのチューブを完璧にメイクしていましたね。

そうだったかな?いつの頃だろう?

 

今年のJベイで様々なサーフボードのテストを繰り返すカレン

 

世界チャンピオンなんて全く考えていなかった。

 

チューブのスキルはどこで磨いたんですか、サンタバーバラにはバレルになる波は少ないかなと思いますが?

そんなことないよ。リンコンもバレルになるときはなるからね。砂のつきかたによるんだ。チューブになる波はサンタバーバラにもあるよ

子供頃はリンコンでサーフィンをしたんですか、ハモンズでも?

ハモンズでもしたよ、どっちもね、そのときの波しだいだったね

カリフォルニアでお気に入りのスポットはどこですか

リンコンの周辺かな。セントラルコーストも好きだ。町から離れているから人も少なくて静かなんだ

リンコンの波で、あなたのカービングはスムースでスタイリッシュになったのですか?

うん、その通りだよ。サンタバーバラにはビーチブレイクのような波もあって、そこではクイックにターンをする練習をしたんだ。いろいろなタイプの波がサンタバーバラにはあるから、いろいろな練習ができるんだよ。

アマチュア時代にはコーチのような人はいたのですか?

ピーター・タウネンドにコーチを受けたね。ピーター・タウネンドはNSSA(アマチュア組織)のコーチだったんだ

彼からは戦略も学んだのですか?

そうだよ、彼からはいろいろなことを学んだ

1981年のケイティンプロアマであなたは世界チャンプのショーントムソンに次いで2位になりましたね。翌年は優勝しました。憶えていますか? そのころは、もう世界チャンピオンになる目標はできていましたか?

憶えているけどけど、全くそんなことはないよ。あのころの目標はとにかくプロになることだった。世界チャンピオンなんて全く考えていなかった。

サーフコンテストは好きですか。それともプロになるための手段として取り組んだだけだった?

コンテストは好きだね。僕はコンテストが好きなんだ。フリーサーフィンも好きだけどね。どちらも同じくらいかな。

 

 

18才でプロに転向して、もっとも印象に残った経験はなんですか?

そうだな、いろいろ思い出はあるけれど、いろいろなところへ行くことができたのが良かったと思っている。プロになる前はそんなに旅行をしていなかったからね。新しい場所へ訪れることは印象深いよね。最初のオーストラリアの旅は強い印象があったな。

その思い出を話してください

1982年のアマチュアの世界戦だった。ゴールドコーストは地元の波と似ていたけれど、それ以外はどれもが新しい経験だった。僕はオーストラリアのサーフィンに憧れていたんだ。MRやラビットはツアーで活躍していたからね。だからオーストラリアに行くことはそれだけでも強い影響があったな

オーストラリアで好きな波はどこですか?

バーレーヘッズとブラックロック。

世界でお気に入りの場所は?

ハワイのサンセットビーチが好きだな。波のディレクションでコンデションがいろいろ変わるから、それが面白いね。インドネシアは多くのパーフェクトウェイブがあるからすばらしいね。

メンタワイの波で当時としては変わったサーフボードに乗って話題になりましたね。その話をしていただけますか?

あれは二度目か三度目のトリップだったと思うけど、映画の撮影が目的だったんだ。バワと呼ばれるところで良い波と遭遇した。そこで僕はフィッシュテールの短いボードを使ってそれが映画になったんだ。ボードが小さかったから驚いた人が多かったけれど、あの波は大きかったけれどスムースだったから小さなボードでも波に乗れたんだよ

 

 

日本のプロサーファーはなぜWCTで戦えないのでしょうか、それについてなにか感じることはありますか?

(黙考)そうだな、そのためには、たくさん外国で試合の経験を積むことかな、それには日本は遠いんだよ、日本はすごく遠いところにある。最近ハワイやカリフォルニアでも日本人の若いサーファーが活躍しているだろう。彼らはCAやハワイに住んでいる。日本だけでがんばっても思うようにはいかないな。しかも日本から外国の試合に出ようと思ったら遠いだけでなく、すごくお金が掛かる。それも原因の一つかな。

 

 

ダニエル・トムソンのサーフボードに乗っていますね?調子はどうですか?

うん。良い板だよ。

彼のデザインは未来のサーフボードですか? またサーフボードはシェイプしますか?

うーん、それはどうだろうか。サーフィンは多様化しているから、サーファーそれぞれでスタイルも違う、合う人と合わない人がいるだろうね。シェイプはしない。

 

原子力発電についてはどう思われますか支持しますか?

あれは水を汚すんだ。だから支持しない、福島はいまどうなっている、汚染水が漏れているんだろう?

<アテンドしているランディ氏が福島原発の事故を説明した>

(大きなため息のあと無言)

サーファーは原発反対に大きな声をあげるべきでしょうか?

難しい問題だからね、解決法があればいいんだけれど、どうしたらいいか。残念ながら僕にはなんともいえないな。

 

20年前、奇跡が起きた宮崎カレンズポイント。昨年10月トム・カレンは娘のリーアンらとともにその場所で再びセッションをした。

 

あなたの子供たちがサーフィンの世界で活躍しはじめていますがどのような気持ちですか?

すごくうれしいね。彼らは4人とも純粋にサーフィンを愛している。年長の娘はスポンサーも付いてコンテストにも出場し、チャンピオンシップチームのメンバーでもあるんだ。音楽にも興味がある。年下の息子もスポンサーを受けていて上手くもなっているよ。みんながんばって成長しているし競技でもうまくやっている。

彼らとトリップには行くんですか?

時間が許す限りね。他の2人の息子はすばらしいサーファーに育った。でも彼らは競技には興味無いんだ、サーフィンは上手いけどね。

 

コードを憶えてオリジナルの曲を作ってみるようになった。

 

YouTube Preview Imageイーグルスを彷彿させるトムのミュージック・スタイルだが、これまでリリースした3枚のアルバムでは、ブルース、フォーク、クラシック・ロック、レゲエなど様々なテイストがミックスされている。

 

音楽と関わるようになったきっかけを教えてください

記憶であるのは2つか3つのときにベッドを揺すりながら歌ったことかな(笑) 学校でドラムのクラスを取って楽譜の読み方を習った。ドラムのセットを手に入れて好きなレコードを聞きながら演奏したんだ。それからギターを弾くようになって、コードを憶えてオリジナルの曲を作ってみるようになった。

どんなアーチストが好きですか?

たくさんいるけど、ベン・ハーパーやジャック・ジョンソン、ドノバンは個人的にも知っているし彼らの作品を尊敬している

いまはどんな曲を作っていますか?

新しいアルバムを出すための新曲をいくつか作っている。あとすこしでデモができるよ。友人が小さなスタジオを持っていて、そこで本格的に始めたいね。10から20曲くらいあるけどまだ気に入っていないよ。(笑)

 

 

 

後記

トム・カレンはインタビュアー泣かせで有名な人である。でも彼は寡黙(かもく)なだけ、という印象が取材を終えて私の心に残った。彼はいつもありのままなのだ。無駄口は叩かず、波の上やコンテストで結果を残し、それを貫き、ありのままで生きようとする彼を世界は認め賞賛した。ありのままで生きてきたからこそ、傷ついたことも多かっただろうなと思う。だから彼は人を上にも見ず下にも見ない。インタビューでもギターを演奏しているときでも、ファンと接しているときにでさえその目線は変わらなかった。取材中、彼の瞳が雲間から昇る太陽のように輝いたときがあった。あのアライアを手にしたときだ。その一瞬の表情はサーファーだけが共有しているものだ。サーフィンを続けてきて良かったなと私は思わずにはいられなかった。

 

追伸、インタビューの内容は構成のためトム・カレン氏のtomcurren.comに掲載されたインタビューから一部付け加えさせていただきました。