東日本大震災から1年半経った福島~岩沢ポイントを訪ねて

東日本大震災から1年半経った福島~岩沢ポイントを訪ねて

文・写真/米地有理子

 

東日本大震災から1年半が過ぎた。その後、被災地の方々は悲しみを乗り越えて復興へ向けて進みながらも、大変な状況の中で暮らしている。そして復興どころか復旧も難しい場所がある。福島第一原子力発電所の水素爆発、倒壊により、その周辺地域は立ち入り禁止の警戒区域とされた。長年暮らして来た町、家に戻ることは当面できない。
そんな周辺地域の中で双葉郡楢葉町について、原子力災害対策本部は、7月31日、区域見直しの基本的考え方を踏まえ、8月10日0時を以て、陸域の警戒区域を解除し、 避難指示区域を新たに避難指示解除準備区域に見直すこと、また、楢葉町の東側、 前面海域の警戒区域等を解除することを決定した。
併せて、富岡町、大熊町、双葉町及び浪江町の東側の海域について、8月10日0時を以て、警戒区域等を陸域から約5キロメートルの範囲に縮小することを決定した。このことにより、福島有数のサーフポイントとして知られる「岩沢海岸海水浴場」、岩沢ポイントも基本的には立ち入ることができるようになったのだ。その決定を知り、岩沢のローカルサーファーが解除の8月10日にホームポイントに集まり、サーフィンを再開すると聞いた。そこで解除の日の次の日の8月11日に岩沢ポイントを訪問することになった。

 

岩沢ポイントを開拓し、共に波乗りを楽しんで来たレジェンドローカルの関根乃さん、鈴木一司さん、坂本巖さん(左から)。8月10日の警戒解除の日を待ち望み、当日そして8月11日と早朝から海に入った。

 

8月11日午前、福島県の楢葉町に車で入った。前日の8月10日に楢葉町は警戒区域を解除され、同時に楢葉町の前面海域も警戒区域を解除され、サーフポイントとして知られる「岩沢海水浴場」も警戒を解かれたのだ。解除のことを1週間前に聞き、岩沢ローカルである関根乃さんと連絡を取り、この日に取材に入らせてもらうことになった。

 

8月11日早朝から波乗りを楽しんだローカルの皆さん。板が折れても笑顔。

 

 

常磐道で茨城を通過し、福島県に入った。常磐道はちょうどJビレッジのある「広野」までとなっており、そこから先は通行止めで、海側の6号線も通行止め。その先へは山側の道を通って行かなくてはアクセスできない。6号線を福島から宮城へ、また宮城から福島へよく通っていた人にとっては思い出深き場所へは一部立ち入れないようになってしまった。「岩沢海岸海水浴場」の変わらぬ看板を見つけたとき、ほっとしつつも、どきどきしながら下の海岸へと車を走らせた。岩沢ポイントが見渡せる場所まで行くと、台風のスウェルが入ってきており、海に何人かのサーファーがすでに入っていた。折れ曲がったガードレールを横目に下の駐車場に辿り着くと、ちょうど関根さんが二つに折れたサーフボードを抱えて海から上がってきた。サーフボードが折れてしまうほど、岩沢の波はヒットしていた。

 

およそ1年半ぶりのローカルたちを岩沢ポイントは台風のウネリで迎えた。

 

 

そして昨日の解除と同時に海に入った関根さんをはじめ、関根さんの仲間の岩沢ローカルのレジェンドの坂本巖さん、鈴木一司さんに今日の波や今日の日までのことを聞いた。そうこうしていると、岩沢ローカルの方たちが次々と駐車場に現れ始めた。皆、約束をした訳ではないが自然にここに集まってきたのだ。崖は崩れ、駐車場のまわりは瓦礫がそのままであったが、久しぶりに顔を合わした仲間たちの笑顔の花がその場所に咲いた。皆、震災でさまざまな思いをしながら今日まで来たが、ホームの海を目の前に、サーファーの顔が戻ったように見えた。そして若手ローカルの中心者の遠藤さんが持って来たお酒と塩を皆で海に捧げて手を合わせた。懐かしく、そして変わらないホームの海が震災の辛かった思いをすべて包み込んでくれているようだった。

 

ローカルの人たちはどんな気持ちでそれぞれホームポイントを見つめていたのだろう。

 

 

その後、海の準備をしてきた人は着替え、1年以上も入れなかったホームの海へと入っていった。レジェンドの坂本さん、鈴木さん、関根さんは若手との再会を喜びながら一足先に家路に着いた。そして集った全員が海から上がったところで、さまざまな話を聞き終え、岩沢ポイントを後にした。そして6号線を南下し、いわき市へと入った。いわきの沿岸部が津波で甚大な被害に遭ったことは聞いていたが、今どんな状態であるかをこの目で見て行こうと思った。ちょうど四倉に入ると、海岸でイベントが行われていて、多くの人で賑わっていた。イベントを覗いてみると、一つは新しくオープンした道の駅のイベントと、MBLが主催する子供たちを対象とする野球イベントだった。小さな女の子から野球少年まで子供たちがバッティングを楽しんだり、一生懸命ピッチングをしている姿に釘付けになった。”不安な状況の中ではあるが、子供たちは思いっきり遊びたいんだ”と子供たちの楽しそうな笑顔が胸に迫った。

 

空き地には民間ボランティア団体が植えたヒマワリの花が咲いていた。

 

 

四倉を後にし、数年前は毎年訪れていた豊間や二見ガ浦ポイントへと車を走らせた。徐々に見覚えのある風景が目に入ってきたが、時に瓦礫の山を目にする。そして豊間ポイントの前に来たとき、その風景は見覚えのない風景に変わっていた。海には変わらない豊間ポイントのいい波、そしてサーファーの人たち。しかし海の反対側を見れば、あったはずの民家がほとんどない。残るのは民家があったという基礎の部分だけ。日本の素晴らしい田舎ともいえる、美しい町の風景がそこにはなかった。更地になった場所にヒマワリの花がいっぱい咲いていた。NPO団体が植えたもののようだが、ヒマワリは太陽の方向を向き、全部海を見ていた。ちょうど夕暮れどきになり、あのヒマワリと同じように海を見て佇んだ。またこの町の人たちが生活を取り戻し、素晴らしい風景が戻りますように。

 

今回の最終目的地、渡辺広樹プロ、学プロの「Ben Surf」へ。震災後、神奈川へ一時避難したが、今は福島に戻り、不安が続く中でも頑張ってお店を切り盛りするお母様と。

 

 

海に向かって祈りながら、今回最後の目的地の渡辺広樹プロ、渡辺学プロのいる「Ben Surf」に向かった。雨に降られながらも何とか辿り着き、渡辺兄弟のお母さんに再会できた。そして震災当日から今までの話を聞き、未だに福島が大変な状況であることを再認識した。今回の福島取材をとおして、今や震災から1年半以上が過ぎようとしているけれども、復興以前に復旧までもされていない場所もあること、福島の人たちは未だに不安の中で耐えながらも、自分たちで希望を見出して頑張っていることを目の当たりにした。そこに住んでいない私たちはその本当の苦しみをわかることはできないだろう。でもサーファーの友人として、心を寄せ、助け合うことはできるはずだ。福島をはじめ、被災地の人のことを心に入れながら、自分たちが力になれることを考えていきたい。

 

二見ヶ浦でも良い波がたっていた。

 

 

※現在、岩沢ポイントを擁する楢葉町では、警戒区域の解除を受けて、住民の帰還に向けて除染やインフラの復旧工事を進めています。岩沢ポイントへは車両は入れなくなっています。

 

 

◆震災のときのことと、岩沢ポイントが解除された今の気持ちについて岩沢ローカルの方々に聞きました。続きはこちらをご覧下さい。

 

 

常磐道は福島県の広野インターまでは走行できるが、その先は通行止めになっている。
解除の次の日のため、まだ駐車場は瓦礫除去がされていなかった。後日、ローカルサーファーが中心となって瓦礫は除去された。
楢葉町から6号線で四倉方面へと南下すると、海側にはこのような風景が至るところで見られる。
これからここの場所がどうなるのかわからないが、この場所に住んでいた人たちが早急に安心して暮らせるようにしなくてはならない。
このあたりのシンボル的な塩屋埼の灯台が静かに見つめている。