「ゴーイング・バーティカル」 ディック・ブルーワー来日記念インタビュー2

巨匠ディック・ブルーワーが語る、
ショートボード・レボリューションのリアル・ストーリー。

「ゴーイング・バーティカル」ディック・ブルーワー来日記念インタビュー その2


(C)2010 Going Vertical Pty Ltd and Screen Australia

 

ミニガン開発のエピソードには諸説ある。デヴィッド・ヌイーバが9’10″のガンを折ってしまったため、そのボードをブルーワーが7’6″まで短かくしてリシェイプしたこともあった。これがミニガンのデザインの始まりともいわれているが、実際のミニガン開発は、いつからスタートしたのだろう?

 

本格的なショートボード・レボリューションは1967年からと言われてますが、あなたのミニガン開発もその頃からですか?


DB: 1967年頃に私はゲーリー・チャップマンといっしょにボードのあちこちを切ってテストしてはいた。ヌイーバが折ったガンを7’6″に削り直したのもこの頃だ。その後、当時私のボードのテストパイロットをしていた若いサーファー、ジェリー・ロペスとリノ・アベリラとともに67年の後半にマウイに引っ越した頃から、私たちの実質的なミニガンの研究が始まったといえる。マウイのホノルアにはパーフェクトなライトの波が立っていたからね。私はグラッシーでホローな波にあったミニガンを作るためにマウイに移り住んだんだ。賑やかになりつつあったオアフのノースショアの喧噪から離れたかったことも理由のひとつだったが。

 

この年にあなたとマクタビッシュは出会っていますよね?


DB: この冬、ボブたちがマウイに来て、当時私がやっていたラハイナのショップを訪ねてきた。そこでボブが持参した、短くデザインされたVボトムのボードを初めて見たんだ。私もボードを短くするために、ガンのテールを切り落としてみた。だから、マクタビッシュが私に影響を与えたと言ってもいいかもしれない。この切り落としたガンはジェリーのためのボードだった。彼は当時としては短い9’8″を欲しがっていたが、私は8’6″にしてしまった。彼はショックを受けていたようだが、結果的にはジェリーが乗ったこのボードが見事に機能し、8’6″の“ブルーワー・ピンテール”はショート化された初のミニガンとして認識されたんだ。

 

その後もミニガンの改良を重ねていった?


DB: もちろん。8’6″はすぐに7’6″までショート化した。1968年にラハイナからカウアイに引越してきたときには、私たちはすでにダウンレール・デザインをボード作りに取り入れていた。それによってミニガンの機能性も高まった。ピンテールとダウンレールの組み合わせは、ハワイの波との相性が抜群に良かったんだ。長さ的には誰もがしばらく7’6″で止まっていたが、リノは大胆にも6’6″まで短くしていたな。その後70年代に私たちは本物のショートボードを作った。サンセットにビッグススウェルが入った日に、マイケル・ホーとサミー・ホークが私の削った6’4″のボードに乗ったのを覚えている。それまでは夢にも思わなかった短さだったよ。

 

グリーンルーム・フェスティバルでは試写会とトークショーに出演した。
マクタビッシュがマウイを訪れた時、ホノルアにスウェルが入り、オーストラリアンたちのVボトムとハワイアンのミニガンとのセッションが繰り広げられた。ノースショアの掘れた波でスピンオフしていたVボトムはホノルアのスムースな波でパーフェクトに機能した。ホノルアのセッションではオーストラリアンのVボトムが勝利したように見えたが、実際にはその後10年間に渡り、サーフボードのデザインをリードしたのはブルーワーのミニガンだった。ブルーワーの弟子であるジェリー・ロペス、リノ・アベリラ、オウル・チャップマン、テリー・フィッツジェラルド、サミー・ホーク、マーク・リチャーズらによって、ブルーワーのデザイン・インフルエンスは世界中に広まったのだった。

 

ショートボード・レボリューションが勃発した当時はアンチ・エスタブリッシュド・ムーブメントやヒッピー・ムーブメントがサーフィン界を席巻してましたよね。体制や既成概念から離れることが重要だったのでしょうか?


DB: ホビーやビングとも仕事をしたが、彼らはプロダクションでボードを量産するメーカー。私がマウイやカウアイに行った理由は、ひとりになって自分自身のデザインを突き詰める必要を感じていたからだ。流行などの影響を受けずに、ピュアでありたかった。当時のノースショアは、ある意味で古い考え方をもった連中が多かった。また60年代半ばのワイメアで使われていたガンの90%が私のボードだったこともあり、私を妬む者も少なくなかった。そんな雑音の多いノースショアから離れて、私はインディペンデントにデザイン研究に没頭したかったんだよ。

 

インディペンデントなシェイパーのほうが、より自由で独自性の高いデザインを生みやすいのでしょうか?


DB: 私は60年代初頭に「サーフボード・ハワイ」という大きなレーベルをやっていた。しかしリサーチと開発こそが本当に私が興味を抱くものだったので、それ以降は大きなショップを持ったことはない。インディペンデントで、ひたすらデザインに取り組める環境を私は求め続けているんだ。いまもカウアイ島に住んでいるが、誰の影響も受けずに独自のデザインを手がけることができているよ。

 

あなたは禅を学び、サーフィンやシェイピングに精神性をもたらしましたね?


DB: 私はあの時代、ワヒアワで禅の和尚と出会った。ワヒアワにキャンプがあり、曹洞宗の禅寺があったんだ。私にとって禅は思考のスイッチを切ってくれるもの。ものごとを、より純粋に考えられるようになるからね。

 

「ゴーイング・バーティカル」のポスターでは、当時あなたとジェリーとリノが、禅やヨガのポーズをとっていますよね?


DB: 当時、私たちはサーフィンがもっとうまくなるために、すべてのことをうまく運ぶために、考えを清めるために、心を浄化させるために禅を始めたんだ。いまも毎日ではないが瞑想はしているよ。禅と出会ったおかげで心が穏やかになり集中力が増し、シェイピングの助けになっていることは間違いないね。

 

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