ジョンジョンの母、アレックス・フローレンス インタビュー

 

第39回トリプルクラウンに輝いたジョンジョン・フローレンス。史上初だ。18歳と いう若年サーファーがそのタイトルを手中に納めたのは。結果的にその事実は今まであったノースショアのサーフィンのセオリー「精神的にも肉体的にもマチュ アであり経験を積んだ人間のみ克服でできる」を覆すことになった。

11回の世界タイトルをとったケリー・スレーターでさえも、「他人には見えてないものが ジョンジョンには見えている」と、ノースショアの波に対して英旬豪傑、優れた才能があることを、認めている。さて、こうなると気になるのは「一体ジョン ジョンがそこまで成長するのに、どんな行程を経てきたのか?」その疑問を解決するべく、ジョンジョンの母、アレッックスにインタビューを試みた。

 

Interview:Emiko Cohen Photo : Gordinho

 

 

Q アレックスさんはノースショアで育ったのですか?

 

「いいえ。私はイーストコーストのニュージャージー出身です。16歳の時のノースショアに来ました。」

 

Q どういう経緯でノースショアに越してきたのですか?

 

「兄弟は3人で私だけが女でしたから、小さい時から男の子がやる様な遊びばかりをして きました。家がビーチの前にあったんで、サーフィンは小さい時から生活に密着していました。昼間は海。夜はサーフィンビデオ鑑賞、という具合に。笑。

 

実際 にノースショアに移る切っ掛けになったのは「Beyond Blazing Boards」というビデオ。それを見た瞬間に「あそこに行って、あの波乗るわ!」って決めて、計画性もなしにノースに移り住んでしまいました。笑!」

 

Q シングルマザーで3人の息子さんを育てていらっしゃる。生活を支えるだけでも大変だと思いますが、海に行く余裕を作りだすのは大変だったんでは?

 

A 「シングルマザーだったからこそ、海にばかり行っていたのです。家の中で男の子がウロウロされると家の中がメチャクチャにされてしまうでしょ。海で遊んでくれた方が全てが纏まってくれるのです。夜は良く寝てくれるし。笑。」

 

結婚生活がうまくいってなかったから「海にエスケープ」していました。

 

John John photo:Gordinho
John John photo:Gordinho

 

Q とはいってもノースショアの波は激しいから、3人が小さい時は安全確保が逆に大変だったんじゃないでしょうか?

 

A 「実は、結婚生活がうまくいってなかった。だから子供たちが赤ちゃんの時から常に「海にエスケープ」していました。連日、家に近寄らない様にと、朝か ら晩まで海にいました。海に居ると悪いことも忘れられるし。あの時は他に方法が見つからなかったし、子供たちにとってもその方が健全だと思ったので。

 

そん な状態だったから子供たちにとって海は自分の家であり父親でもありました。それだけの時間を費やしたからでしょうか、彼らは小さいながらに「この大きさの 波は危ないから入っちゃダメだ」とか「どこに居たら安全だ」とか、よく把握できる様になり、波が大きい日でもそれほど神経質にならなくても良かったんで す。」

 

Q それでもヒヤヒヤする様な事もあったんじゃないですか?

 

A「確かにありましたね。ジョンジョンが5歳くらいの時にパイプラインの沖に出ていっ ちゃったのです。廻りの大人たちの真似して。その時はパニクりました、さすがに。 「今すぐに戻ってきなさい!」 って、岸から狂乱したように叫び続けました。笑。今となれば笑い話になっていますけど、その時は冷や汗かきました。」

 

関係は親子というより解り合える「親友」

 

Alex FLORENCE photo:Gordinho
Alex FLORENCE photo:Gordinho

 

Q それがあったからでしょうか。ジョンジョンが「12歳になるまではワイメアに出てはダメ」という規則を作ったと聞いたことがあるんですが、その噂は本当ですか?

 

A 「いいえ。それはただの噂ですよ。子供に対して「波のリミット」を決めたことは一度もありません。実際に私、ジョンジョンが7歳の時にワイメア(ピンボー ル)に連れ出したりしていましたから。赤ちゃんの時から築きあげた彼らの技量を持ってすれば、7歳の年齢でも、たいていの場所で普通に波乗りできたんですよね。

 

その頃はすでにジョンジョンは私のサーフバディーで、どこで波乗りするのにも連れていき、楽しんでいました。 離婚したのはジョンジョンが5歳の時です。子供たちとはいろんな事を一緒に経験してきただけに、関係は親子というより解り合える「親友」同士です。」

 

Q 海中心の羨ましい生活を送られてきた様ですが、一般的に考えるとそれで経済的に生活が成り立ったのか、というところですが、子育てはお金が掛かるし、そのあたりは実際のところどうだったのですか?

 

A「大変でした。ハッキリ言って。毎月の請求書を払う工面をいつもどこかで考えていな ければならなかった。養育費や食費の足しになる政府の補助金も貰っていましたが、それだけでは十分ではなかったので、私がハワイ大学に通うことにしまし た。学生だと補助金が多くでるので。結局、教職の免許をとりました。今も母親業で忙しいので使ってませんが。」

 

「やっていて楽しくて仕方ない!」って思わないと上手くならない

 

John John/Gordinho
John John/Gordinho

 

Q プロサーファーの家はたいてお金持ちの家が多いと認識していますが、ほらコーチングや旅行費やらサーフボード代と諸々かかかる、その辺りはどう工面してきたのですか?

 

A「 地元の人たちが協力してくれたお陰もあります。パイゼルはジョンジョンが小さい時から板を提供してくれていたし。高いお金を出してのコーチングは、子供の 時には必要ないと思いますね。ただ必要かなと思った時期もありました。

 

はじめてトリプルクラウンに出れるチャンスを貰えた辺りにコーチを頼んでみました が、何をしてくれたかというとヒート前に「リラックスして波に乗ってきなさい。」くらいしか言わない。「あ〜〜これだったら私にも出来るわ。わざわざ高い お金を払わなくてもと思いました。笑。だからそれから最近になるまでは全くコーチを頼みませんでした。」

 

Q お母さんがジョンジョンをサーファーとしても育てたという事ですが、厳しいシゴキとかあったんですか?

 

A「ありませんよ。だって子供ですよ相手は。押し付けたら逃げられるでしょ。笑。世間 の親御さんはよく自分の子供をプロサーファーにしたいが為に、立派なコーチをつけたり食べ物をコントロールしたりとカッチリと管理されている方が多いけ ど、どうやったらそう出来るのか、逆に学びたい位ですね。笑。

 

やはり子供ですからね「やっていて楽しくて仕方ない!」って思わないと、巧くならないし、続 かないでしょ。実は私もトライした事があるんですよ。サーフィンではなくて音楽の方で。

 

私自身、クラシックロックが大好きで、息子3人になった時から、3人居るから3人にバ ンドをやってもらいたいなと思ってね。習わせたんですよ。ジョンジョンにはギター。ネイザンにはドラムを。ところが親の気持ちに反して全くといって練習し てくれないんですよ。練習しないのに習いにいかせても全然うまくならないんですよね。

 

当然。結局、お金を払っているこちらの方がバカバカしくなってしまっ て辞めました。とはいってもまだ楽器が倉庫にしまってあるけど。笑。逆に波乗りに関しては一度たりとも強制したことはありません。自由に楽しめたからここ まで来れたんじゃないかと思います。」

 

「子供に好きな道を選ばせる」が私のモットーです。

 

Alex photo:Gordinho
Alex photo:Gordinho

 

Q テレビは家で見ない主義と聞きましたが、子供たちのサーフィンのビデオは撮ったりして研究したりするんですか?

 

A 「しますよ。というかしたいのですが、結局撮っているうちに自分が波乗りしたくなってしまって、ビデオは浜に置き去りになってしまうんですよ。笑」

 

Q サーフィンの腕もスゴいらしいですね。パイプラインで「ゴー ママ ゴー」と、子供たちから声をかけられゴーフォ−イットしていらっしゃったという話は有名ですよね。

 

A 「ええ。それも息子たちをサポートするつもりで沖に行ったのですが、結局乗りたくなってしまって、乗り始めちゃうんですよね。笑。

 

でもさすがに12フィー トあった時にネイザンもパイプでサーフィンしたいからというので、一緒にサポーターとして出て行ったら、怖い思いしました。沖に出てから失敗したな、と 思ったり。日常茶飯事である話ですけど。笑。」

 

Q ジョンジョンの他に3歳下のネイザン、(ジョンジョンから)5歳下のアイバンの息子さん二人がいますけど、彼らにも「ジョンジョンの様な強いコンペテター」になって欲しいと、期待する気持ちはありますか?

 

A「なるべく家族みんなで動く様にしているんですが、ジョンジョンに合わせると結局ネイザンやアイバンの年齢で出られるコンテストに連れていくこと が出来なくなるんですよね。

 

それに3人を見ているとジョンジョンからは「試合にで勝ちたい」というモチベーションを感じられるけど、下の二人はもっとワイ ルドで、型にハマるタイプではなさそう。

 

ただネイザンのサーフィンも私、好きですよ。将来的にはブルース・アイアンズみたいな存在になるのでは、と密かにですが、期待してるんです。笑。でも、やはり「子供に好きな道を選ばせる」が私のモットーですから、コントロールするつもりはありませんが。 」

 

今のところまだ女性よりもサーフィンの様です

John John/Gordinho
John John/Gordinho

 

Q 一般的な質問をまたしますが、ティーンエージャーになると親の言う事を聞かなくなりますよね。自己が強くなるから。ジョンジョンもそんな年頃だと思うけど、大変ですか?

 

A「もちろん楽ではありませんよ。場所的にも人の出入りが激しい場所ですからね。(エフカイビーチの真ん前)うちでパーティーしたいとか言うんですけど、断ると、じゃあ俺出て行く、なんて言っては次の日は普通に会話してたり。笑。

 

一時は いろんな事を試してみたい時期で波乗りに集中できてない時期もありましたが、ただ今は戻ってきたかんじですね。何が自分に大切な事か、が解ってきたみた い。といはいえ、これからも色々あるでしょうけど。笑」

 

Q あの天才少年だったジョンジョンがもう子供ではなく大人サーファーとして花を開き始めた。そうなると女性関係とか心配になるのでは?

 

A「たまに30歳以上の女性がジョンジョンにアプローチしていたりするのを見ると「子 供に対して危ないよな」なんて思うんですが、気がついてみるともう19歳になるんですものね。ただ今のところまだ女性よりもサーフィンの様です。WCTを 決めるまではよそ見する余裕もない様ですよ。」

 

Q ノースショアの波に憧れを持ち、移り住んだ。夢が実現になった。今後の夢はなんですか?

 

A 「うちから見えるパイプラインの風景は最高。移動するつもりはありません。ノースショアの海がある意味わたしたちの人生を救ってくれたんですもの。今ハマっているのはカメラとスケートボード。ノースショアの生活を相変わらず楽しんでいます!」」

 

▶ インタビューあとがき

アレックスの言葉のみを鵜呑みにすると、ジョンジョンが大物に育った秘訣は「親にも他人にも押し付けられることなく自分自身で決めた道を自分の力で突き進めているから」となる。が、6フィートがバリバリ割れる沖で、小学生になったばかりのジョンジョンのテイクオフを手伝っていたアレックスをこの目で見ていた私からいえば、それは彼女の体裁ぶったコメント。

 

実際には「子供に気がつかれない様に方向づけ続ける意志堅固な母親の存在」があり、その母親自身が波の上でも人生の生き方でも究極に直面すれば何とかなるさ、という「窮すれば通ず」を身をもって教え込んでいるから、大舞台で物怖じしないジョンジョンが出来上がったと言えるだろう。